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秋葉復興大臣就任記者会見録[令和4年8月10日]

令和4年8月10日(水)21:30~21:53 於)復興庁記者会見室

1.発言要旨

 どうも皆さん、遅い時間までお残りいただいて恐縮でございます。

 本日、岸田総理から辞令を頂戴し、復興大臣及び福島原発事故再生総括担当大臣を命ぜられました秋葉賢也でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 まず、総理からは、この難局を突破するための政策断行内閣を立ち上げたというふうに記者会見で触れておられました。また同時に、全閣僚に対して、東北の復興なくして日本の再生なしとの強い思いの下、全閣僚が復興大臣であるとの意識を共有して、被災者、被災地に寄り添う、特に、福島の復興・再生に向けて、福島国際研究教育機構の整備をはじめ、全力を尽くすことについて御指示があったところでございます。

 その上で、私に対しては、被災地に寄り添いながら、各省庁の縦割りを廃して、現場主義に徹したきめ細かな対応によって、福島の本格的な復興・再生、東北復興のいわば総仕上げに取り組むということ、また、被災者の心のケアや残された課題、また人口減少等の全国の地域に共有する中長期的な課題に取り組むこと、また、福島の本格的な復興・再生を加速するために、国が前面に立ってそれぞれの地域の実情や特殊性を踏まえながら、帰還などの促進、風評払拭等に向けた取組を進めること、また、関係大臣と協力をし、創造的復興の拠点施設と、中核拠点として福島国際研究教育機構の整備に早急に取り組むこと、などの御指示をいただいたところであります。

 現在、第2期の復興・創生期間において、地震・津波被災地域の残された課題に全力で取り組むとともに、福島の本格的な復興・再生に向けた取組を一層進めてまいりたいと思います。

 総理から御指示いただいたとおり、特に現場主義を徹底して、被災者の方々に寄り添い、縦割りを廃して司令塔の役割を果たしつつ、被災地の復興に全力を尽くして取り組んでまいりたいと思います。

 明日は休日になりますけれども、早速、明日、あさっての12日にも福島県を訪問し、内堀知事に就任の御挨拶を行う予定です。また、諸般の事情が許せば、来週16日火曜日には岩手県の達増知事、翌17日水曜日には宮城県の村井知事へ就任挨拶を行う予定です。

 また、被災地の現場の実情をしっかりと把握するため、福島県の原子力災害被災12市町村をはじめ、被災市町村にもできるだけ積極的に早めに訪問を実施をしたいと考えております。

 被災者の方々をはじめ、国民の皆様におかれましても、御指導を本当によろしくお願いしたいと思います。

 最後になりますけれども、私も被災地宮城県が選挙区の議員でございます。そういう意味で、震災から11年たちましたけれども、本当に復興はまだ途上であるという意識がございますし、本当にその総仕上げを一日も早く、前に進んでいることが実感できるように取り組んでまいりたいというふうに思います。

 そして、よく被災地では、心のケアが大事だと言われますけれども、私も実は厚生労働副大臣と兼務でしたけれども、以前、復興副大臣を務めさせていただきました。復興副大臣を務めていたときに、まず事務方の皆さんにお願いしたのは、心のケアの中でも震災当時、ゼロ歳から18歳未満の遺児・孤児問題、これのフォローアップをしっかり丁寧にしてほしいというような指示をいたしました。

 当時、18歳未満のデータしか取っておりませんけれども、遺児と孤児の違いをよく御理解いただくために念のため説明しておきますと、孤児というのは、いわゆる父親母親、両親を一瞬で亡くしてしまったお子さんが孤児という定義になります。その孤児は、被災3県で合わせて244人、そのうち半分が宮城県で、129人おります。また、遺児と申しますのは、父親か母親、どちらか片親を亡くしてしまった子供たちのことを定義しておりますが、被災3県全体で1,538人いらっしゃいます。このうち、宮城県が約半分の882人です。※

 心のケアはもちろん大事なんですけれども、その中でもこうした遺児・孤児のフォローアップというものが、11年たってどうなっているのか。震災発生時には、ほとんどの遺児・孤児の皆さんは、近くの親戚の方々に引き取られるというケースがほとんどでしたけれども、中には残念ながら引き取り手がいなくて、施設に入ったお子さんもいらっしゃいましたし、遠くは沖縄県に行かざるを得ないという子供たちもいました。当時、ゼロ歳だったお子さんは、ちょうど成人式が目の前なわけでありまして、順調に本人の希望どおり、成育しているのかということ、心のケアの中でも、しっかりフォローアップをして支えていくということが大事だというふうに思っております。

 いずれにいたしましても、被災者の皆さん、被災地に寄り添う姿勢で、現地現場主義で取り組んでまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 以上です。

 

2.質疑応答

 

(問)今回、秋葉大臣は、復興大臣専任ということで、前任の西銘大臣は沖縄・北方と兼務ということで、就任当初は被災地地元からは、復興を軽視しているんではないかという批判をするような、心配する声も上がっていたんですけれども、今回、専任に戻りまして、専任に関して、岸田総理から何か言われたことがもしあればということと、専任に対して秋葉大臣の受け止めをお願いいたします。

(答)総理からは、やっぱり秋葉の場合は、被災地の選出なんで、現状をよく分かっていると思いますがということで、被災地出身の復興大臣として期待をしているということ、そして、私自身も、復興大臣はできれば専任が望ましいという意識を持っておりましたから、本当にこの問題に集中して仕事に取り組んでいくということが大事だというふうに思っております。

 

(問)福島第1原発の処理水の海洋放出については、岩手県の、また宮城県とかもそうだと思うんですけども、沿岸部の漁業者の方々を中心に、風評被害とかを懸念する声というのが大変強いんですけれども、改めてこの風評対策にどのように取り組んでいかれるか、お聞かせいただければと思います。

(答)ALPS処理水、本当に大きな問題だと思いますし、第一義的には経産省が所管というふうに認識しておりますけれども、先延ばしできない重要な課題だというふうに思っております。

 国内外の方々の理解と協力が、まずは極めて重要でありまして、政府として国民や関係者の方々をはじめとして、継続的に丁寧に説明責任を果たしていくということが、最も求められているんじゃないかというふうに認識しております。

 御案内のとおり、基本方針や行動計画というものを既に発表しておりますので、こうしたものをしっかりと踏まえて、政府一丸となって、決してこの風評被害というものを生じさせないという強い決意の下で、科学的根拠に基づいた情報発信などの風評対策に、引き続きしっかりと取り組んでまいりたいと、そう思っています。

 

(問)今回の発言の中で、遺児・孤児問題について情熱というか気持ちを感じたんですが、これ特出しした理由は、心のケアの中でも特に力を入れてやるという大臣の決意なんでしょうか。その辺のところをお伺いしたいです。

(答)私もまさに11年前は、忘れることができないわけでありまして、そのときにやはり、この遺児・孤児という過酷な環境に置かれた子供たちがしっかりと成長できてこそ、初めて復興が完遂するんじゃないかという個人的な問題意識を持っています。

 本当に多くの方々が大変苦しい思いをしたわけですけれども、震災でまだ半年ぐらいで夏ぐらいだったですかね、ちょうど、石巻でこういった遺児・孤児が引き取られた御家庭で、本来、両親が頂くべき見舞金であるとかなんかが着服されて、6,000万ぐらいの相当だったですかね、そういったことは結構ありまして、やっぱり自己決定権のない未熟な遺児・孤児の皆さんを、本当にしっかりとフォローアップしていくということが大事、これは、基本的には各市町村でお願いしていることなんですけれども、それをまず都道府県でしっかり束ねて、最終的には復興庁やあるいは、ちょうど私、厚生労働副大臣との兼務でしたんで、まさに子供の問題の担当でもありましたものですから、復興副大臣のときに初めてこういった話をさせていただいたことを思い出しました。

 そういったことも、今、大臣という立場を頂戴して、引き続きフォローアップが本当に大事だということを、発言をしていきたいというふうに思っております。

 

(問)11年前、少し前のお話なんですけれども、振り返っていただいて、御自身の震災のときの見聞きされたり体験されたりしたこと、それが今、復興大臣に就任されて、その経験をどう生かしていかれたいのか、ちょっと経験に基づいて、改めて教えていただければと思います。

(答)まさに、被災地が選挙区ということで、当時、震災のときには私は議員会館にいたんですけれども、党で副幹事長という立場にありまして、復興の緊急対策会議みたいなものを設置して、翌日、朝一番で党の会議が開かれて、御案内のとおり当日は電車も何もないので戻れないということで、翌日も全部止まっているので、道路も寸断されているので、というような状況でしたけれども、何とか震災発生2日目には現場にたどり着きまして、選挙区に戻りまして、もう本当に戦場のような光景を目の当たりにしました。死体も含めてですね。

 ですから、もう本当に私の人生にとっても、鮮烈な経験で忘れることはできません。そしてまた、本当に被災者の皆さんの思い、この平成の豊かな時代の光景とは思えないようなことを見聞きしてきましたので、そういった思いが原点にあるという中で、本当に声なき声も含めて、復興の総仕上げにそういった部分も生かしていきたいなという思いでございます。

 

(問)旧統一協会との関係について、改めて大臣、関係があるのかということを確認させてください。

(答)本日、大臣を命ぜられるに当たりまして、旧統一協会との関係について、岸田総理からは、国民の皆様の疑念を払拭するために、個々の政治家としての責任において点検し、厳正に見直すよう御指示をいただいたところであります。

 私について申し上げれば、私が認識している限り、旧統一協会が主催している会合に出席したことは一切ございません。また、当該関係団体から政治献金を受けたり、あるいは逆に当該関係団体に会費を支払ったり、選挙応援を受けたりということも一切ございません。

 

(問)ちょっとテーマは替わるんですけれども、終戦の日の前の最後の会見になるかもしれないので、靖国神社の参拝についてお伺いできればと思います。

 8月15日の終戦の日に、靖国神社に参拝する御予定はありますでしょうか。ある場合は、参拝の理由とどのような方式で参拝するかというのを教えていただけますでしょうか。

(答)今、急な質問でございましたので、どうするか結論をまだ自分の中で出しているところではありませんけれども、一個人として適切に判断していきたいというふうに思っております。

 

(問)先ほど、震災当日の話が出たので、ちょっと関連なんですけれども、見聞きしたこと、体験したことで、今でも忘れられない具体的な光景だったり、人との会話だったりというのがあれば、教えていただければと思います。

(答)本当に今でも忘れられないのは、石油コンビナートの悪臭がまず、選挙区に近づく中でとにかく漂ってきたということと、もくもくとした黒い煙が目に焼きついて離れません。

 実際に、まだ警察や自衛隊が出動する前でしたから、本当に現場の中の現場まで行けるところまで車で行って、瓦礫でなかなか奥には、沿岸部まで行くのは難しかったんですが、とにかく車はもうみんなひっくり返ってるわけですし、キリンビールの大きな工場もありますが、道路に缶ビールが散乱してて前に進めないとか、本当に戦場じゃないかというのが第一印象でありましたんで、本当に私にとっては想像を絶する風景というものが、震災復興に向けた原点だし、原動力になってきたなというふうに思っております。

 細かく言えばもっともっとありますけれども、黒煙と戦場のような、本当にもう天地がひっくり返ったような、そして沿岸まで行きたかったんですけれども、なかなか瓦礫やいろんなことで行けないような状況、本当に今でも忘れられない体験です。

 

(問)復興の総仕上げの時期というお話、ありましたけれども、先ほど遺児・孤児問題というようなことをおっしゃっていましたが、これからの復興に向けての課題という部分で、大臣が今感じてらっしゃるものを教えてください。

(答)課題は、本当にたくさんあるというふうに認識しております。特に、地域のなりわいの再生でありますとか、コミュニティの再生、こういったものがなければ、なかなか福島においても避難者の方が戻っていただくのは難しいというところでございますので、そうしたコミュニティの再生というのをどう図っていくのかということがあると思います。

 また、先ほども御質問がありましたけれども、ALPS処理水の問題とか除染の問題とか、特に福島の課題については中長期的な対応が、どうしても必要にならざるを得ないということがございますので、本当にそういう意味では、これまで表明してまいりましたとおり、福島の国際研究教育機構、これを来春、しっかりとオープン、仮オープンできるように準備していくということが大事だと思っております。また、特定復興再生拠点区域内外の避難指示解除に向けた取組、これもやはり目に見える加速が必要だというふうに思っております。

 いずれにいたしましても、本当に中長期的な息の長い課題ということもありますけれども、しかし一日も早く、避難者の希望されている皆さんが戻れる体制というものを進めていきたいなというふうに思っております。

 

(問)復興庁の発足から10年余りたって、大臣が11人目ということで、約1年ごとに替わっているということで、被災自治体からすると、信頼関係が築きそうになったときに大臣替わってしまうというような、そういった声も上がっていまして、本当に1年ずつ替わっていくことについて、今、就任されたばかりですけど、どうお感じになっているのかということと、長く続けたいという今の時点でお気持ちがあるのかというのを、ちょっと伺えればと思います。

(答)本当に、時々で、任命権者が判断してきたことだとは思いますけれども、私の記憶の中では平野大臣や、あるいは根本大臣、そして吉野大臣、恐らく被災地出身では私が4人目の大臣ではないかと思います。

 そういう意味で、やはり被災地出身で実際に厳しく激烈な被災の現状を2日目から、本当に、御案内のとおり、水も出ない、電気、ガスも止まった状況の中で、また、ガソリンもなかなか融通が難しくなっているという中で、3月12日からずっと地元で現職の国会議員として対応してまいりましたので、そういう被災地の議員としての思いというものをしっかり踏まえて、私自身は仕事をしてまいりたいというふうに思います。

 

 遅い時間まで、今日はお疲れさまでした。今後ともよろしくお願いいたします。

 

※令和3年3月1日現在、震災孤児は被災3県で243人、うち宮城県は129人です。また、震災遺児は被災3県で1,564人、うち宮城県は901人です。

(以  上)


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