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西銘大臣記者会見録[令和4年7月12日]

令和4年7月12日(火)10:58~11:09 於)復興庁記者会見室

1.発言要旨

 明日13日水曜日から14日木曜日にかけて、北方対策担当大臣として、北方領土隣接地域を訪問します。今回の訪問では、隣接地域1市4町の全てを回り、地元自治体関係者や元島民の方々と意見交換を行う予定です。
 また、地元で啓発活動に熱心に取り組んでいる「根室高校、北方領土根室研究会」の生徒の皆さんとも意見交換をする予定です。さらに、今後予定されている「洋上慰霊」のために、根室港に入港する船舶「えとぴりか」の船内も視察する予定です。
 地元関係者の皆様の声を直接お聞きしてまいりたいと思います。
 私からは冒頭、以上です。

2.質疑応答

(問)選挙戦お疲れさまでございました。これまでの選挙戦ちょっと振り返っていただいて、8日に安倍元総理が事件でお亡くなりになるという非常に衝撃的な出来事もございました。その8日の当日の動きなんですけれども、大臣、地元から一旦戻られてまた戻るという形で非常に慌ただしい1日だったと思いますけれども、その当日、談話など、ちょっとお出しになる余裕がなかったかと思いますけれども、その当日の動きと、改めて今回の事件を受けての受け止めと、あともう一点、今回の選挙戦の結果についての受け止めもいただければと思います。

(答)まず、今回、民主主義の根幹たる選挙中に卑劣な犯行が行われたことについて、いかなる理由であれ、断じて許されるものではなく断固非難いたします。
 安倍元総理は在任中、復興庁の集中復興期間から復興・創生期間にかけて、一貫して「東日本大震災からの復興」を内閣の最重要課題として掲げ、政府の総力を上げて取り組まれ、その結果、復興は大きく前進したものと承知をしております。復興の推進に大きな功績を残された方を、このような形で失うことは誠に残念であります。心から御冥福をお祈りするとともに、復興大臣として引き続き被災者に寄り添いながら、復興の加速化に全力で取り組んでまいりたいと考えております。
 7月8日当時の状況についてお尋ねがありましたが、復興庁に戻るようにという指示を受けまして、急遽飛行機の便を、満席で夕方4時の便でしか取れなくて、羽田空港についた時点で官房副長官から総理の指示を電話で受けまして、その後、夜8時の便が取れたものですから、同日の8時の便で地元に帰ったという慌ただしい動きになりました。
 あと、選挙についての受け止めでありますが、この選挙の結果については、大臣の立場でコメントすることは差し控えたいと思いますが、選挙の結果は真摯に受け止めたいと思っております。
 あと、安倍元総理の件について、沖縄振興の観点からいたしますと、今回法律が延長されましたけども、その前の10年間の沖縄振興予算については、総理の決断で毎年3,000億円台を確保という方針を示され、沖縄振興のことを強力に進められたと理解しております。
 その間、例えば、1年間に1,000万人を超える観光客が入域したり、あるいは、沖縄県で有効求人倍率が1を超えるなんていうのは、沖縄が超えたことによって全国の有効求人倍率が1を超えるという事態になりましたけれども、こういうことがあり得るのかなというぐらいの記憶が残っております。
 (那覇空港第二)滑走路の供用開始を始め、社会資本の整備も活用しながら、今、こうして私が政府の中で「強い沖縄経済」を実現していく使命を帯びておりますが、安倍元総理の様々な思い出があります。沖縄振興についても、引き続き全力で取り組んでいきたいと思いますし、今年の4月頃、安倍元総理が沖縄に来られたときには、復興大臣、復興大臣と声をかけていただいたことなど、様々なことが頭の中を巡っておりますが、心から御冥福をお祈りしたいと思っております。

(問)先ほどからおっしゃっている安倍元総理の事件について、今後の復興政策や沖縄、北方領土に関して、振興政策等への考えられ得る影響とか、それから安倍元総理がいないことによる影響をどんなふうにお考えでしょうか。

(答)復興大臣としましても、沖縄北方対策の大臣としましても、大臣就任以前から、安倍内閣の元で経済産業副大臣をしたり、あるいは、党の活動等々で接点が何回かありました。安倍元総理とはたまたま同年という、私の側で勝手に同年というよしみもあって、私は安倍(元)総理の一番の功績といいますか、これだけ世界のトップと首脳会談をした人はいないという意味で、ぜひ沖縄に来て1度お話をしていただきたいということで、今年の4月に私の講演会のセミナーでお招きをして話をしていただきました。首脳会談を1,000回ぐらいやったという話をされておりましたし、私はその意味では、地元が沖縄ですから、沖縄県民の一番望む平和というものに対する政治家として、私自身は認識をしておりました。非常に政治家の世界、最初に当選したときにも、当時幹事長で応援演説もいただきましたし、様々な思い出が頭の中をよぎります。こういう形でお亡くなりになられましたけども、沖縄振興に対する思い、あるいは、復興に対する思いの強い総理でありましたし、その思いを個人的にしっかり受け止めて、復興あるいは沖縄振興、与えられた大臣としての職務をしっかり務めていかなければいけないなという強い思いに駆られております。
 以上です。

(以  上)


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