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西銘大臣記者会見録[令和3年10月6日]

令和3年10月6日(水)18:05-18:15 於)福島県庁2階応接室

1.発言要旨

 ただいま内堀知事と、復興大臣を拝命しまして、就任のごあいさつを済ませました。貴重なお話を知事さんから伺いました。現在進行形であるということ、あるいは被災地の12市町村でも、それぞれで様々な課題があるということ、そして福島県と沖縄県の子供たちの交流のお話も頂きました。知事さんからは、心のひだが触れ合うような話を、市町村長さん、市町村議会の議員さん、あるいは現場の方々とやって、最後には福島県の「うちなーんちゅ」になってくださいと言われました。私どもからは、とにかく現場に出向いて、声をたくさん聞いて、真摯に知事さんが言われたように心のひだが触れ合うような形で仕事ができたらという思いで、就任の会談を済ますことができました。

 今日は復興大臣就任後、初対面ではありましたけれども、沖縄県庁に出向されていた職員の関係の話とか、そういうつながりのある話もしました。また、特に沖縄県の米を販売している会社があるんですけれども、そこの会社の会長さん、もう亡くなられましたけれども、私も弟のようにかわいがっていただきましたが、私たち沖縄県民は福島県の米をたくさん食べて育っておりまして、その会長さんから福島の話も聞いておりました。内堀知事もその会長を存じ上げておりました。そういうつながりの話もできたこと、まず今日は就任のあいさつができたこと、これからがスタートだと思っております。

 私からは以上です。ありがとうございます。

 

2.質疑応答

(問)今ほど知事から現在進行形、複雑多様化、現場主義という言葉がありましたけれども、それをどういうふうに受け止められたかというのが1点と、あと、とにかく現場に出向いてというお話がありましたが、大臣、今度双葉郡を訪れる予定ですとか、考えがありますでしょうか。

(答)何回でも足を運ぼうという気合は入っています。とにかく現場に足を運んで、知事さんが言われるように、心のひだが少しでも触れ合うような形でないと、いい仕事はできないと思っておりますので、これから何回通えるか分かりませんけれども、実績で残して、知事さんの言われた3点も理解しながら、全力で仕事を復興局の現場で頑張っている方々も含めて、岸田総理大臣からは、全閣僚が復興大臣だというお話も冒頭にありましたので、その辺のところを踏まえて、しっかり対応していきたいと思っております。よろしくお願いします。

(問)浜通りの復興を進める上での大切な拠点として、国際教育研究拠点の整備を今検討されていると思うんですけれども、運営組織形態を含めて、今後どのように進めていくかという辺りをお聞かせください。

(答)この話も聞いております。秋頃までにというお話も聞いておりますので、今日の事務方との会議の中でも、これは早急に取り組まないといけないなと、秋頃までにと書いてあるがどうなっているかというお話も進めておりますので、これも含めて全力で取り組んでいきたいと思っております。

(問)復興大臣就任に当たって、今の福島の復興で最も大きな課題だと思うことに関して、現時点でどういうことがあるのかというところを教えてください。

(答)知事さんのお話の中で、浜通りの中で人口の戻りが0%の双葉町の話なども聞いております。その辺の話を聞いて、厳しい現実だなと。

 私の沖縄の周辺でも、震災の後、当時の仲井眞県知事さんが福島からの避難者を受け入れようという話をしていたのを、私はあの当時は政権交代で落選中ではあったんですけれども、県の副知事等々とは会っておりましたので、震災の現場を、副知事の部屋で意見交換している場でたまたまテレビを見て、これは何だろうかというのが私の思いだったんですが、仲井眞知事が福島からの人を受け入れようとか、あるいは沖縄の経済団体とかが激励に行こうと言って、ツアーを、1年ぐらいたった後かと思いますけれども、組んでいたり、そのような交流もありますので、今の時点で浜通りのことを考えると、本当に30年の単位か長い勝負にはなりますけれども、任期中にできるだけ全力で、何か目に見える形で仕事ができたらなという思いで、今日は知事さんとの面会を済ませたところです。

(問)これまでの発言の中で、福島の復興と沖縄の復興に似たような点があるというような趣旨のお話をされていたかと思うんですが、その意図をもう少し詳しく教えてください。

(答)私が67年間の人生で、知事さんに申し上げたのは、5歳ぐらいまでの軍票の話が記憶に残っていますと。通貨ですね。高校卒業するまでには米ドルを使って生活をしていたと。それから日本円の世界に入っていますけれども、ちょうど終戦直後の復興期には、全国の皆さんに大変お世話になって、沖縄の人口も、終戦直後50万であったのが、復帰の1972年、昭和47年に95~6万にきて、今現在148万ぐらいになっていると。そういう復興という意味では、時間はかかるかもしれませんけれども、何か相通ずるものを感じていたものですから、内堀知事にその辺の話を申し上げて、とにかくお互いに何か沖縄と福島はいい交流をしている、子供たちの交流も含めてやっているものですから、全力で頑張りたいということを申し上げました。

(問)さっき、あいさつの冒頭でもあったんですけれども、やはり福島県民の中には、初の兼務になることに対する不安であるとか、大臣が沖縄出身であることから、福島が二の次になるのではないかという懸念の声があるんですが、そういう声にはどのように答えていくつもりですか。

(答)沖縄は、生まれ育って67年間見ておりますので、現場に足を運ばなくても、ある程度県議会の前の県知事の秘書の頃からの活動、あるいはその前の社会人1年生の頃の開発金融公庫での融資の活動等々見ていますと、物理的に限られた時間で、優先してこの被災地域に足を運べるのではないかなと。それによって、知事さんが言われた心のひだが触れ合うような形で、今日からがスタートですからという話を頂きましたので、こればかりは一生懸命やって、県民の皆さんの不安が少しでも消えていくように、行動で示すしかないのかなというふうに考えております。

(問)大臣が福島復興で早急に取り組みたいことを教えてください。

(答)直前、秋までに国際教育研究拠点というのもありますので、その辺のところはしっかり、早急に取り組んでいきたいなと思っています。とにかく足しげく、何度も何度も繰り返し通うことによって、肌感覚で10年半たった地域ごとの課題の認識も変わってくると思いますし、まず第一歩は足しげく被災地に何回通えるかというところに、全力を集中してみたいと考えております。

(問)大臣、兼務本当にできますか。

(答)できますかというより、兼務を拝命しておりますので、全力で頑張ります。どうかご理解いただきたいと思います。

(問)福島が片手間になることはないですか。

(答)片手間ということは全くありません。全力で取り組みますので見ていただくことしかないと思います。福島の「うちなーんちゅ」になるよう頑張ります。

    
(以  上)

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