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平沢復興大臣就任会見録[令和02年09月17日 於)復興庁記者会見室]

(令和2年9月17日(木)1:41~2:05 於)復興庁6階記者会見室)



1.発言要旨
 今日総理から復興大臣の辞令をいただきました衆議院議員の平沢勝栄でございます。皆さん方にはこれから何かとお世話になりますけれども、どうかよろしくお願いしたいと思います。
 総理からは指示がありまして、1つは、全大臣共通の指示でございまして、全大臣共通の指示は、全ての大臣が、自分は復興大臣だと思って、そして被災地の人たちの心をよく考えて、しっかりこの被災地の復興再生に取り組んでほしいということでございました。そして、私に対しての指示は、それをかなりブレークダウンというか、細かくした指示でございまして、いずれにしましても、そういった問題に取り組むに当たっては、縦割り主義を排して現場主義でしっかりときめ細やかに取り組んでほしいといったような内容でございました。いずれにしろ、こうした総理の指示も踏まえまして、しっかりやっていきたいと思っています。
 私は、福島で小学生から高校生まで過ごしまして、二本松で育ったわけでございまして、その関係で福島にはよく行っております。震災の被災の状況等々についてお話もずっと伺ってきましたし、そして何とかしなければならないという思いも強くしていたところでございますけれども、そういった中で今回こういった任に就くことができまして、大変うれしく思うと同時に、責任の重さを痛感しているところでございます。
 今年1月には河村建夫代議士と2人で韓国に行きまして、韓国では文在寅大統領にはお会いしていませんけれども、文在寅大統領以外のナンバー2以下の方にはほとんどお会いしまして、いろんな話をした中で、日本の産品に対して、韓国が安全上問題があるという形で排除しているところがありますけれども、これはおかしいんじゃないかということも言いました。そういった風評被害的なことに関しても、韓国側はなかなか強気でございましたけれども、いずれにしましても、こうした風評被害的なこともしっかりこれから私たちが取り組んでいかなければならない問題かなと思います。
 いずれにしましても、来年3月には震災からちょうど10年になりまして、これからまた新しい10年が始まるわけでございまして、今までいろんな取り組みをしてきて、それなりの結果が出ていることは間違いありません。しかし今までやってきた10年と、また来年3月以降の新しい10年は、全く別なステージになっていくわけでございまして、今までは被災者の再生復興ということに力を入れてきましたけれども、これからはそういったことはもちろんですけれども、福島のそれから被災地の将来をどう持っていくかという将来ビジョンにしっかり裏打ちされた、地域の方々にとっても希望の持てる街づくり等を進めていかなければいけないんじゃないかなと思います。その橋渡し役として復興庁に与えられた役割は極めて大きなものがあるわけでございまして、優秀な職員がいますので、優秀な職員と一緒に力を合わせて、しっかり取り組んでいきたいと思いますので、どうか、御理解、御支援をよろしくお願い申し上げたいと思います。
 私からは、以上です。あと御質問があれば受けたいと思います。

2.質疑応答
(問)大臣、先ほど就任会見で、これまでと来年3月以降の取り組みについて、取り組みと考え方が違ってこなければいけないだろうとおっしゃっていたんですけれども、そのことについて、これまでと来年3月以降がどう違ってこなければいけないのか、具体的に少しお伺いします。
(答)今までは、被災地でいろいろと被災を受けられた方がおられるわけです。そういった方々を一刻も早く元の生活へ戻してさしあげるというのが、一つの大きな目的で、あるいは避難された方々をまた帰還できるような状況にもっていこうと。ですから、元の状態に戻すというのが目的ですけれども、これからは元に戻すのはもう当然のことですけれども、それを差し置いて、要するにもっと一言で言えば、全くその地に関係ない方が、ぜひあの地に行ってみたい、住んでみたいと、そう思っていただけるような街づくり、そういったものがこれからは求められるんじゃないかなと。ですから、今までとそこはコンセプトというか、考え方は私は別にしていいんじゃないかなと思います。
(問)お疲れさまです。よろしくお願いいたします。
 総理から個別に御指示を受けられたということですが、もう少し具体的な指示の内容を教えていただけないでしょうか。
(答)総理が言われたのは、細かいことを言ったのはペーパーで渡してくれたんです。その中で総理が言われたのは、まず一つに、被災地に寄り添いながら、縦割りを排して、現場主義に徹したきめ細かな対応によって、福島の本格的な復興再生、東北復興の総仕上げに全力で取り組むと。それから2番目として、被災者の心のケアを初めとする残された課題に対して、被災者の生活再建のステージに応じた切れ目のない仕上げを行うと。3番目には、被災地における人口減少等の全国の地域に共通する中長期的な課題について、関係大臣と協力して、政府全体の政策を活用して、持続可能で活力ある地域社会の創造に取り組むと。こういったことがずっと並んでおります。
 ですから、非常にブレークダウンしたというか、総論的なことを各大臣にいわば指示しているわけですけれども、そういった中で、そこをまたもっと掘り下げた形で私に対する、いわば指示があったということでございます。
(問)ありがとうございます。もう一点お尋ねします。大臣御就任になられる直前に、自民党と公明党の東日本大震災の復興加速化本部から、前安倍政権による9次提言ということで、復興加速化の取り組みの提言がありました。その中で、新しい柱として、先ほど大臣がおっしゃられたように、福島県の浜通りの地域に国際教育研究拠点をつくるべきだということで、政府に対して具体的な取り組みを求めております。大臣が御就任なされて、最初の大きな仕事になるかと思いますが、これについてはどのように取り組まれる考えでいらっしゃいますか。
(答)去年私の属する、要するに志帥会という政策グループの研修を郡山でやりまして、その郡山での研修の後、浜通りのこのイノベーション・コーストという地域、あそこの研究施設のあるところ、スポーツ施設のあるところ、特にロボットなんかの研究をやっているところ、それから、ドローンの研究をやっている施設だとか、あるいはスポーツ施設、そういったところを見てきたところでございますけれども、研究者は大変に士気旺盛でしっかりやっておられるなと。
 ですから、ああいったところを最先端の例えばシリコンバレーみたいなところにしてもいいし、いわば教育の最先端の地域にしてもいいし、同時に、先ほど私が申し上げましたように、住む場所として、生活地域としては、いわば地域の人たちが非常に住み続けたいと思うような、それと同時に、どこかに避難された人がおられれば、そういう人たちが戻ってきて、ぜひこのまま住みたいと思うようなだけじゃなくて、今まで全くまちに関係ない人がどんどん移住してくれなければ、その地域の活性化というのはあり得ないわけですから、そういったことができるような街づくりというのはできないかどうかというのをこれから考えていくのが、私はこの復興庁の大きな役割だろうと思うんです。
(問)今後よろしくお願いいたします。今回の新政権・新内閣の顔ぶれを見ますと、続投や再入閣の安定した政権運営を意識された顔ぶれが多いと感じるんですけれども、その中で数少ない初入閣のお一人として大臣に就任されました。新政権のカラーをつくっていくお立場になるかと思うんですけれども、大臣としてどのようなカラーを出していきたいなという思いがありますでしょうか。
(答)それはもう私が答えるというより、総理が答えるあれですから、もうあまり私からコメントするのはどうかなと思いますけれども、いずれにしろ、復興庁というのは、いわばいろんな復興の総司令塔、ここでリーダーシップを発揮して引っ張っていかなければならないわけで、そういう意味での役割というのは大変に大きなものがあるだろうと思うんですけれども。
(問)関連でお伺いします。大臣、これまでに自民党の広報本部長を務められたりだとか、またメディアへの露出も非常に多くされていて、発信力に強みがあるかと思うんですけれども、先ほど冒頭も韓国を含めた風評被害の払拭ということをおっしゃっられましたが、御自身のそのような発信力を生かしていきたいというような、そういうようなところの意気込みをお伺いします。
(答)それは全く今お話があったとおりでございまして、この風評被害の対策については、当然各自治体に任せるんじゃなくて、それは国の例えば外務省とか農水省とか、そういったところがしっかり取り組まなければいけないなと。私は過去を見たとき、外務省は何をやっているんだとつくづく思いましたけれども、そういったこともあります。同時に我々復興庁も、もっとしっかりコンセンサスする必要があるんじゃないかなという感じがしております。
 私は自民党の広報本部長をやって、自民党の広報本部長というのはいろんな仕事がありますけれども、その中の一つは、何といっても風評被害というか、風評被害というんじゃなくて、自民党の場合は要するに、全く根拠のない、いわば嫌がらせ攻撃が今問題になっています。ネットでいろんな嫌がらせ、攻撃、妨害を書かれると。そういったときに、じゃあどう対応したらいいのかというケースがありますけれども、そういった経験を生かして、そういったことは、これは自民党でもいろいろとやっているんですけれども、そういった取り組みを生かして、これから風評被害とか、今なお福島というブランドだけで、いわばマイナスのイメージを張りつけられている、そういった被害に対してはどうしたらいいかということに、しっかりと取り組んでいく必要があるんじゃないかなと思います。
(問)朝からお疲れさまです。これからよろしくお願いします。
 2点ほどあります。1点目が、新型コロナウイルス対策に関してなんですけれども、被災地でこれまで9年半、担当として企業の復興だったりとかに取り組んできたと思うんですけれども、このコロナの影響で、かなり水産業なんかの倒産がすごく増えてきておりまして、この10年間入れたお金が無駄になってしまうんじゃないかというところまで、皆さん懸念を持っていらっしゃるんですね。今回コロナで苦しんでいる被害者の方々に対して、独自の上乗せの支援だったりとか、そういったものは必要とはお考えでしょうか。
(答)コロナの問題は、これはもう全国民が、今いろんな意味で困っているわけで、それは例えば私の地元、私は葛飾区ですけれども、私の葛飾区も、ともかく観光地でもあるんです。柴又がありますから観光地でありますけれども、いろんな観光地のお土産だとか、それから街のレストランとか、中小企業とか、もう倒産したところも出てきていますし、それから倒産一歩手前のところがいっぱいありますから。もちろん被災者の方も大事ですけれども、全国民が今非常に苦しんでいる。それで必死に今闘っている問題でもございますので、そういったことも加味しながら、しっかりと関係者、そういった被災者の方に何ができるか。要するにみんな苦しんでいるわけですから、そういう中で、まさに必死に闘っているわけですから、そういった中で何ができるかということは考えていく必要があると思いますし、いきたいなと思います。
(問)すみません、あともう一点なんですけれども。これまで9年半の中で、今回、平沢大臣で復興大臣が9人目になるんですね。復興は継続性が非常に大事だと思うんですけれども、実際に大体1年限りで代わってきたという実態がありまして、これについてはどう受けとめていたかというのと、御自身はどうされたいのかというのをお願いします。
(答)確かにそういう御意見もあるでしょうけれども、日本は別に復興大臣に限らず、総理大臣まで1年でくるくる今まで代わっていたんですけれども、今年は平成32年になるでしょう。総理大臣は安倍総理がずっとやっていましたから、随分長くやっているような感じがしますけれども、安倍総理はお一人で7年8カ月やられたわけでしょう。やっぱりそれを除きますと、残り平成になって何人だと思いますか、総理大臣は。安倍総理で18人ですよ。今度は19人目が誕生したと。ですから、諸外国から見たら、日本というのは猫の目のように総理大臣がくるくるかわると。もっといえば回転ずしのようにかわると。
 これは確かに大臣もそうですけれども、これはもう総理大臣も含めて日本の国の全体のあり方自体が問われている問題だと、私は思いますよ。ですから、それはおっしゃるように、しっかり変えていかなければならない。
私は地元にいますと、地元でいつも言われるのは、警察署長が1年くらいでくるくる代わるのはやめてくれと。やっと名前と顔を覚えたころに辞めていくと。それはやめてくれと、警視庁にいくら言ってもやめない。
 ですから、学校の先生は長いですよ。学校の先生は5年、校長先生は5年だとか6年やる。ところが警察の署長さんなんていうのは、せいぜい1年、長くて1年半でくるくる代わっていると。これはもうぜひやめてくれというのが、地域の方々の強い強い要望なんです。
 ですから、こういったことも含めて、これからやっぱり、日本の社会全体がそうなっている中で、そこだけをあれするというのは、なかなか私は難しいんじゃないかなと。全体を変えるという形に持っていかないと。おっしゃることはよくわかりますけれども、いかないんじゃないかなと思います。
(問)先ほど官邸での会見でも質問があったんですけれども、被災地ということについて具体的に伺いたいんですが、震災後に初めて被災地を訪れたのはいつで、どういった状況だったのか、またそのときの感想と、あとそれまで被災者と接してお話をした中で印象に残っていることがあればお聞かせください。
(答)被災地に最初に行ったのは、私は宮城県の石巻ですけれども、いずれにしましても、凄まじかったですね。これは災害の直後に行きまして、余りの凄まじさに言葉を失ったわけで、そこに友人がいたということもあって、地域の方々にいろいろお話を伺いましたけれども、ともかく要するに何をしていいか、どうしていいか、わからないというような状態だったんです。
 そこで、市長とかいろんな方にもお会いしましたけれども、ともかく市のほうも、とても自分たちの能力を完全に越えているということで、ですから、国の支援がとりわけ期待されていたわけでございます。その間、いろいろとやってきたわけですけれども、これがまだまだ私はやらなければならないことが残されているんじゃないかなと思います。
 私は先ほど言いましたように、福島の出身ですので、福島にはその後、頻繁に福島市にも行きましたし、育ったのが二本松市ですから、二本松市にはもう大体2、3カ月に1回くらい行っておりまして。それでいろいろと市長を初め、地域の方と話をさせていただきましたけれども、今回つい2、3日前も二本松の三保市長と話をしました。二本松の市長も、とにかくまだまだ震災の災禍というか被害に、まださいなまれていると、これを何とかしてほしいと。
 私がこの復興大臣になったことを、最も喜んでくれた一人が二本松の市長でございまして、いずれにしましても、そうした方々の期待に応えられるよう、しっかり取り組んでいきたいと思います。
(問)大臣、これからの10年は、福島に人が集まるようなまちにしていきたいというような御発言がありましたけれども、ビジョンはもちろんありがたいんですけれども、実現するには時間もお金もまだまだかかるのかなと、正直思うところであります。
 大臣、二十数年来の政治経験もおありでしょうし、いかにこの財源を予算を獲得してくるかと、その手腕が期待されているところもあるのかなと思うんですが、意気込みを改めていただけたらと思います。
(答)まず、最初そういった形で話をさせていただいたのは、今までの要するに一言で言えば、車があちこちあれだから、ちょっと修理をしたというような形の復興じゃだめでしょうと。要するに全く希望の持てるような、そして将来は本当にこれはすばらしい街が実現するなと。もう要するに誰もが住んでみたいような街が実現するなと。そういった誰もが希望を持てるような街づくりというか、そういったビジョンに基づいてやることによって、いわば地域の人たちもいろんな希望が出てくるんじゃないかなと思います。
 それをやるに当たって、確かにこれは大変に難しい問題で、特に財源の問題なんか難しいですけれども、一番大事なことは、政府がやる気になることも必要だし、自治体がやる気になることも必要です。もっと言えば、地域の人たち、とりわけ国民の人たちのサポートというか、理解というか、協力というか、これがなかったら、私はどうにもならないんじゃないかなと思います。
 ですから、そういった中で、要するにこれだけの被害に遭った福島を、いわばまさに禍転じて福となすで、もう見違えるような地域づくり、まちづくりが行われたというような形にもっていく必要があるんじゃないかと。今その転機じゃないかなと。ちょうど10年というのは、その転機じゃないかなという感じがしておりまして。そういう意味では、こういったことに国民の、まず予算を使うというのは、ただ我々が予算をとってくればいいということじゃなくて、その予算についてマスコミの皆さんも含めて、国民の皆さんが、それに対して理解をしてくれなければだめですから、それも極めて大事になってきます。国民の皆さんが理解してくれれば、予算は絶対に取れますよ。
 ですから、そういった形で、ぜひマスコミの人たちも協力していただければと思います。
                                                                 (以  上)

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