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吉野復興大臣記者会見録[平成30年10月2日]

吉野復興大臣閣議後記者会見録(平成30年10月2日(火)12:01~12:21 於)復興庁記者会見室)

1.発言要旨
 先程、閣議で辞表を提出してまいりました。この機会に改めて所感を申し上げたいと思います。
 昨年の4月26日就任以来、約1年5か月がたっております。現場にこそ課題と解決のヒントがあるという考えのもと、延べ111回にわたり被災地や全国26か所の生活再建支援拠点を訪問し、被災された方や支援を頂いている方の声を直接伺ってまいりました。
 このような訪問を通して、地震津波被災地域では、生活インフラの復旧はほぼ終了し、住まいの再建も今年度おおむね完成する見込みとなるなど、ハードを中心に復興が着実に進展してきたことを実感いたしております。
 一方で、復興のステージの進展に応じて、ソフト面の課題に対応していく必要があると強く感じてきたところでもございます。そのため、避難生活の長期化に伴う見守りや、心身のケア、コミュニティーづくり、心の復興、そして被災者支援に携わる方への支援などソフト支援に注力し、地域や被災者のニーズにきめ細かく対応してまいりました。
 また福島における原子力災害被災地域では、避難指示が解除された地域において小中学校が再開するなど、生活環境の整備が進みました。
 昨年5月には、改正福島復興再生特別措置法が成立いたしました。この改正福島特措法に基づき、帰還困難区域における特定復興再生拠点について計画策定を進めてきた6町村全ての計画を認定することができました。
 たとえ長い年月を要するとしても、将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除するとの決意のもと、まずは認定された特定復興再生拠点の整備をしっかりと前に進めていくことが大切でございます。
 また福島イノベーション・コースト構想の実現に向けて、関係閣僚会議を立ち上げるなど、抜本的に推進体制を強化いたしました。
  昨年12月には、復興庁が中心となり、「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」を策定し、政府一体となって風評の払拭に全力で取り組んでまいりました。私自身、PTAの全国大会に3回参加し、福島県への教育旅行の回復に向けた協力や、放射線に関する理解の促進をお願いをしてまいりました。
 また、先日のワールドプレスブリーフィングレセプションや、昨年のアメリカ訪問、先月のフィンランド、アイスランド、英国訪問などを通じて、海外に対する情報発信にも取り組んでまいりました。
 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会は、復興五輪として、復興しつつある被災地の姿を国内外に発信する絶好の機会でございます。復興の後押しとなるよう、引き続き復興庁としても被災地などと連携した取組などを期待いたします。
 復興・創生期間も残り2年半となりました。2020年度末までにできることは全てやり遂げるという気概を持って、被災地の復興に全力で取り組む必要がございます。また、福島復興再生には、中長期的な対応が必要であり、復興・創生期間後も、国が前面にたって取り組んでいく必要があります。
 復興・創生期間後の復興の進め方については、先般公表されました与党の7次提言においても検討を始めるべき時期を迎えている旨、御提言をいただいております。現在、3県を通じて、事業の進捗状況を確認しているところでございます。今後、県や市町村と丁寧に意見交換を重ねながら、ポスト復興庁で対応していく課題を整理していかねばなりません。その際には、被災地の声に耳を傾け、現場の実情をしっかり把握してもらいたいと考えております。
 今後とも、現場主義を徹底し、被災者に寄り添いながら、復興を加速していく復興庁であることを期待しております。

2.質疑応答
(問)この1年5か月の間で、大臣として取り組まれて印象深いことですとか、印象深い法制度の整備ですとか、何かありましたら教えてください。
(答)ハードからソフトへと、かじを大きく切らせていただきました。心のケアをはじめとするコミュニティーの形成や見守りなど、全国よろず相談所、26か所ございますけれども、ここも全部訪問させていただき、支援に携わっている方々の生の声、そして避難を余儀なくされている方々の声も聞いてまいりました。
 それは私自身の復興行政に大いに役立つものでございましたので、これからも現場主義、そして生の声をきちんと聞いて、これから私は党へ帰って、加速化本部の中で与党としてきちんと政治の世界で復興に携わっていくつもりでございます。
(問)大臣は就任以来、帰還困難区域の全域の避難指示解除に向けて並々ならぬ決意を持って取り組まれてきたかと思います。
 先程言及がありました昨年の特措法改正によりまして、特定復興再生拠点の整備が決まりまして、緒についたところだと思います。
 今後、長い年月がかかるかと思いますが、今後の立場でどのように帰還困難区域の復興を引き続き進めていくよう政府に対して求めていきたいと考えていらっしゃいますか。
(答)帰還困難区域は、ふるさとでありますし、長い歴史を持っている地域です。そして、そこには文化がございます。この文化をきちんと継承していくためにも、帰還困難区域は除染もしない、人も入っちゃいけないという形だったものを、長い年月がかかろうとも、将来必ず解除するという決意を政府として決めさせていただきました。
 ふるさとに文化があるんだ、長い長い歴史が育んできた場所なんだという思いで、7次提言に織り込まれたわけですけれども、帰還困難区域の取扱方がこの7次提言によってがらっと変わることができました。このことは私の思いを実現できたということで、大変うれしく思っております。
 でも、まだまだ帰還困難区域では、特定復興再生拠点区域でやっと除染が始まったばかりでございます。ですから、長い時間がかかろうとも、将来的には全部解除する、それを閣議決定させていただきました。また、基本方針にも3回、この言葉を決意で述べ、政府は約束をしたわけでございますので、それも任期中の出来事としては思い出に残ることかなと考えております。
(問)先程、党の方に戻って復興ということでございますが、復興大臣としての後任の方につきまして、どのようなお願いといいますか、メッセージといいますか、あればお願いいたします。
(答)後任の方は、私の先輩でございます渡辺博道衆議院議員でございます。
 彼はですね、千葉県人ですけれども、常磐線なんです。私も同じ常磐線ということで、東北の言葉が理解できるという、私たちの被災者の気持ちをきちんとくむことのできる先生だなということで、本当に私はうれしく思っているところです。
 渡辺先生は水素社会をつくる議連の会長さんもなさっております。福島県は浪江に大きな水素製造装置をつくるわけですけれども、福島イノベーション・コースト構想のためには、大いに理解を示してくれる方になると考えます。
 閣僚名簿はまだ発表されておりませんけど、報道によれば、渡辺博道先生が就任するということでしたので、今お話を申し上げました。
(問)先程、帰還困難区域の文化の話をされましたけれども、先日、浪江の津島の裁判、原告の人たちの現地視察がありました。非常に帰還困難区域を解除するということについても、住宅提供を2020年の3月に打切るということについても、全く住民の意向を聞いていないと、福島県政と国の方で勝手に決めてしまったということで、怒っていらっしゃる原告の方が沢山いらっしゃったんです。そういう方を含め、それから全国各地にいる区域外避難者の人も含めですね、今のままの体制でいいのか、それとも次の大臣の課題として、長期の避難の対策をもう一回講じ直すべき、災害救助法を見直すべきとか、何かそういったお考えというのはお持ちでしょうか。
(答)避難を余儀なくされている方々の住まいの確保、これは一番大事なところでございます。国家公務員住宅等々も来年の3月で支援が打切りになるかという状況でございますので、10月6日、近々ですね、住居、住まいの確保についての相談会を開催して、個別のそれぞれの事情に合った御相談をきちんと受けていくという形になっておりますので、一人一人の事情が違うものですから、個別の相談に応じていく、こういう形になっております。
(問)閣僚として復興・創生期間を見届けることができないということに対して、何か思いというか、じくじたるものは何かあるんですか。
(答)大臣職は、行政復興庁の責任者、トップでございます。政治の世界と行政の世界でございますので、政治の世界がきちんと方向性を示して、それを実行していくのが行政という関係に今なっていると思います。行政での1年5か月の経験を生かして、次は党に戻って、正に政治の世界で復興の方向性、これからポスト復興庁をつくるかつくらないかも含めて、政治の世界で議論をしていかねばなりませんので、そういう意味では、早く政治の世界に戻りたいというのが本音でございます。
(問)去年の4月にですね、今村さんのいろいろ問題があって、大臣が就任してからですけれども、その前に、ずっと吉野正芳という政治家を見てきてですね、被災地出身の代議士として、かなり政府に対して先鋭的な物の言い方とかですね、かなり鋭い要求なりですね、現地の状況について政府側に言う先頭だったと思うんですけれども、それが大臣になられて、もう記者会見でもそういうふうになりましたけれども、政府の一員、これからは政府の一員である。あるいは、報道によると、私は1時間前の吉野ではないんだというようなことも言ってですね、つまり政府として復興を見る、被災者の声を聞く側に今度立ったわけですけれども、それがこれまで続いてきたわけですが、今度、退任して、一政治家というか、党の加速化本部に戻るわけですけれども、どのようなですね、政治スタンス、またかつてのような被災者、被災地の代表として、政府に対してきちんと物が言える、物を言うべき立場なのか、それとも今、大臣としての経験を踏まえてですね、政府の主張を説明する側であり、代弁する側でありという閣僚の側の立場だったんですけれども、そういったスタンスを続けるのか、どういうふうなスタンスでこれから臨むのかというのをお聞かせください。
(答)東日本大震災が起きた7年半前は、私たちは野党でございました。時の政権は余りにも被災者の声を聞いていないということで、実は私、福島県でたった1人の衆議院議員だったんです。私しかいないんですね。ですから、全ての委員会で、約60回近く質問をさせていただきました。これは現場の声をきちんと届けるという、そういう役割で時の政府を追及してまいりました。
 私たちが政権を奪還してから、特に根本匠復興大臣のときに、今の復興庁の礎を築いていただきました。方向性、線路を引いてくれたものですから、以降の歴代大臣は機関車を走らせればいいというわけでございまして、今日のような復興を見ることができたわけであります。
 質問は、一政治家として役所の立場になって物を見るのか、被災者の立場になって現場の声を伝えていくのか、どちらなんだというふうに理解をしますと、当然私は、私自身が被災者でございますので、被災者の目線でこれからも政治の世界で、被災者が幸せになれるような、そういう立場でこれから物を申していきたい、こう考えております。
 ありがとうございました。

(以    上)

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