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西銘復興大臣記者会見録[令和3年11月4日]

令和3年11月4日(木)16:07~16:22 於)大槌町 中央公民館

1.発言要旨

 本日は、宮古市、山田町、釜石市、大槌町を訪問し、市長、町長に復興大臣就任のご挨拶をいたしました。また、現地を視察させていただき、復興の状況を拝見してまいりました。

 私自身がちょうど10年前の2011年の4月に、バックパックに黒糖あるいは缶詰、お菓子類を入れて、宮古市の田老地区に入ったことがあります。今回、震災の被害から10年7カ月経って、どのように立ち直ったのか、復興の状況をこの目で確かめたかったという思いもありました。田老のほうでは、残っている防潮堤や、あるいは被災直後の当時の状況を思い出しながら、市長さんの説明を聞きました。また、新しい防潮堤が整備をされて、安全に暮らせるようになったという説明も受けました。

 その後、津波の遺構のたろう観光ホテルの上の部屋でビデオを見させていただきました。オーナーさんが撮っていたビデオで、本当にあの映像を見ていると、オーナーさんご自身も途中で驚いて、映像が上の屋根しか映らなくなったりしていたんですが、本当に津波が来たらとにかく逃げることの大切さ、またそのことを伝承して伝えていくこと、あるいは学びの場でも、この活動をされているガイドさんのお話を聞いて、大変大事な活動だなということを心に深く刻みました。海のそばで住んでいて、そのための防潮堤の役割の再認識をさせられたという思いであります。

 あるいは説明の中で、明治、昭和と津波が何回か来て被害に遭われていることで、防災教育の重要性というのは極めて重要だなということが強く印象に残りました。てんでんこの教えによって、釜石市の小学生、中学生がとにかく避難ということで、できたということ、またこの子供たちが10年たって、二十歳になって、地域の防災を自らの体験を通じて担っていくということも、極めて重要なことだなということを感じました。

 それぞれの市長、町長さんからそれぞれの地域の要望書を受け取りましたが、この要望書はしっかりと受け止めて、また復興庁に戻りまして対応したいと思っております。主な話題としては、移転元地の利活用が課題であるという点が共通しているのかなという印象を受けております。

 最後に、大槌町では、車座による意見交換を行わせていただきました。震災伝承の活動をしている方、名古屋から来られてそこに住み着いて、震災伝承を10年間やっていく中で、最初の頃はその伝承活動もうまくいっていたんですが、途中で苦しい時期もあったという話もありました。また漁業の青年部長からは、水産資源の保護、藻場の再生等々の要望等の話もありました。観光業の方からも、復興道路が開通して人流が戻ってきている、あるいはこれからGoToの予算がどう動いていくのかというところのお話もありました。ジビエで取り組んでいる方からは、ジビエというと硬くてちょっと臭いがきつくてというようなイメージが強いんですけれども、この方がやっているジビエは柔らかくておいしいと、そのノウハウを岩手県全体で共有しながら、ジビエ全体の発展にもつながればいいというようなお話もありました。

 震災のこの伝承事業を行っていく、アフターコロナ、ウィズコロナであるから、むしろもう災害と一緒に、ウィズ災害みたいなことも含めて、日頃からの伝承事業をやっていかないといけないという話は大事な視点ではないかなというふうに聞いておりました。

 磯焼けとか藻場の再生に取り組むというのは、何とか、国直轄とは言いませんが、スピード感を持ってやってほしいというお話もありました。

 ジビエのお話は、今話したとおりであります。三陸のこの復興道路、あと少し、わずか北のほうで残っておりますが、これが開通したら、それを契機に、コロナ禍の対策をやりながら、人流が起こって、観光やビジネスの交流につながっていけたらいいなという思いで聞いておりました。

 これらの今日の車座の話を通じ、あるいはこの地域の市長さん、町長さんの話を聞きながら、それぞれの市や町によってそれぞれの課題があるということを日頃から感じておりますし、きめ細やかな、地元に合った支援や後押しが極めて重要だなということを感じております。私としては、これからも現場主義を徹底しながら、恐らく11月のコロナ経済対策の補正予算、そして来年度予算の概算要求から閣議決定に至る予算の仕事も出てまいりますので、必要な予算の確保をしっかりとやらなければいけないなという思いを持ちながら、今日の視察のまとめで感じたような次第であります。

 私からは以上です。

 

2.質疑応答

(問)今、予算の話がありましたけれども、一方で復興予算、向こう5年間1.6兆円のうち、岩手に注がれるのは6%しかないという試算もあって、それだけ復興が進んだとも言えるかもしれませんが、もうあとは福島しか向いていないんじゃないかという声も、宮城と岩手に復興庁は向いてくれていないんじゃないかという声も聞かれます。復興交付金ももうなくなって、予算が大変厳しい状況にありますけれども、どのように臨まれますか。

(答)私が宮城県知事、岩手県知事に会ったりした中で、そういうお話は直接まだ聞いたことはないですけれども、岩手県の知事さんからは、復興局が盛岡から釜石に移って、国のやる気を感じたというお話はありました。今日、実際、宮古市、山田町、釜石市、大槌町、現場での話を聞いて、要望は受け取るだけにとどまったんですが、それぞれの地域の課題はそれぞれにあるものと思っております。ハード面の整備は進んできたけれども、まだまだ産業とか生業とか、心のケアとか、あるいはコミュニティをどうつくっていくかとかいう話は極めて重要な課題だと思っております。それぞれ総理からの指示は、常に現場に寄り添いなさいというのが総理の指示ですから、全ての閣僚が復興大臣だという指示もありますので、必要な予算の確保はしっかりとやっていかんといかんなということを改めて思った次第です。

(問)西銘さんの在任中、ここまでは進めたいとか、こういう目標を達成したいというのはどうでしょうか。具体的に。

(答)まだ就任して1カ月ですから、回りきれていない市町村もありますので、とにかく国会に言って、事情が許す限り現場に出向いて、現場のきめ細かな要望等を聞き取りながら、それを具体的に予算でどう確保していくかという作業が待っているものだと思っています。とにかく現場に何度でも顔を出して、現場の声を聞くという基本姿勢は徹底していかんといけんなという思いを強く持っております。

(問)復興交付金はなくなりましたけれども、被災地からの要望にできる限り答えたいということでよろしいですか。

(答)その強い思いを、現場を回る度にそういう気を強くしております。頑張りたいと思います。

(問)今回の視察訪問を通して、具体的にこんな成果があったと感じている部分はどんなところでしょうか。

(答)たろう観光ホテルで見せてもらった、オーナーさんが6階の部屋から撮ったという津波の写真、あれはマスコミには出ていないという話を聞いたんですけれども、あの写真を見ると改めてぞっとしましたし、大変な災害だったなと。テレビではずっと見ていたつもりではあるんですけれども、改めて沖へ戻っていく波と沖から押し寄せる波が一緒になって、17メーターのあれがきたということを想像すると、映像でも見させてもらいましたが、大変な現実だったんだなという思いを強くしました。また釜石のほうでの小学生、中学生の校長先生、OBの先生の説明を聞いていても、子供たちがとにかく逃げろといって逃げていって、学校の子供たちがみんな助かったこととか、あるいは膝まで水が来ていたけれども、危ないからといって一緒に逃げたとか、具体的に子供さんたちが体験をしたことを、10年経って、大人になって、自分たちはそういうことを体験しているからもっとつなげていこうというような説明等もありましたので、そういう伝承というのも忘れないように続けていかなければいけないなと。

 もう一つ、釜石の市長さんからは、祈りの黙祷、献花を捧げた場所で、その場所はにぎわいの街の市民会館とかつくっていたんですけれども、当初は静かな場所がいいんじゃないかという話はあったけれども、何回か話を重ねるうちに、いや、時間が経っても、人が来て、この場所で祈りを捧げられるようにしたいというふうになって、今のような形に、何回も話し合いを続けることによってなったというのも、なるほどなという思いで聞きました。これも伝承、話が伝わっていくようにという意味では、人が来なくなってしまうとどうしても忘れられがちになりますので、その辺の話は、にぎわいの場がありながら、ここにまた来た人が祈りの場にも行けるという、こういう話し合いで、こういうことになったのかという話も非常に印象に残っております。

 今日、今回の宮古市、山田町、釜石市、大槌町、4カ所を訪ねたんですが、もっと時間が許す限り、とにかく現場に運んで話を聞くことは大事だなという思いを改めて強くしたところです。

(問)大臣のお言葉にありましたが、ハードは別にして、今日の車座集会でもあったように、新しいことを何かやろうとしている人というのがいて、ただ新しいことをしようとしたら、いろんな今までのことができなかったり、それに対して予算がなかなか付く方法がなかったりするんですよね。そういうことに対して、大臣としてはどういう働きかけをしようとか、今日は心に残った、これは何とかこうなるんじゃないかとかというのがあったら教えていただきたいと思います。

(答)印象としましては、10年経って、新しい何かをしようという話が出てきているんだなと、前向きのそういう気持ちが若い人たちの中から出てきているんだなということを感じました。何が障害なのか、まず私からはとにかく地元の町長さんと話をしてくださいと。ここをこうしたらよくなるという話が具体的に聞けたら、復興局長から私のところに来ると思いますので、できる限り現場の声に寄り添う形で、何か障害があれば取り除きたいなと思います。その辺はきめ細かくしっかりと後押しができるようなことをしたいなという思いは、今日の車座集会でも感じました。

 先般、総理に同行して、車座集会の総理の対応を見ていても、総理ご自身がメモを取っておりましたし、そういうことであれば現場に寄り添ってやりたいという思いは強くしておりますので、何かできることがあったら、具体的に今すぐお話しはできませんけれども、やらんといかんなという思いは強くしました。

(問)大臣、10年前の訪問は宮古だけですか。

(答)田老地区だけ。あのときは、手帳を見たら4月14日で、青森の駅から盛岡に入って、盛岡から宮古のバスで2時間半ぐらい、さらにそこでバスを乗り換えて30分ぐらいで田老に入っていって。震災後まだ1カ月ちょっとだったので、大変な時間でした。

    
(以  上)


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