合資会社旭屋

合資会社旭屋

【福島県浪江町】

「なみえ焼そば」ブームに流されることなく
強固な基盤を再構築

企業情報

  • 企業名 合資会社旭屋
  • ヨミガナ ゴウシガイシャアサヒヤ
  • 業種 食料品製造業
  • 代表者 鈴木昭孝氏[代表社員]
  • 所在地 本社:福島県双葉郡浪江町大字権現堂字上柳町11
    相馬工場:福島県相馬市馬場野字雨田166
  • TEL 0244-32-1631(相馬工場)
  • WEB https://asahiyamen.com/
  • 創業年 1953年
  • 資本金 280万円
  • 従業員数 15人
  • 売上高 1億9,000万円

企業概要

1935年開業の米穀店「鈴木旭商店」が、1953年に米穀と製麺業を営む会社として合資会社旭屋を設立。1966年、福島県学校給食認定工場として麺の給食配送業務を開始。2011年の福島第一原子力発電所の事故により避難・休業を余儀なくされたが、2012年に福島県郡山市で営業再開、2013年、第8回B-1グランプリでなみえ焼そばがゴールドグランプリを受賞し、全国出荷開始。2015年、相馬市に工場を建設し、学校給食・ゆで麺の製造を始める。2022年9月、浪江町に新築した新工場が稼働。

東日本大震災から約4カ月で仮事務所設立も売り上げは立たず

歯応えのある極太麺と濃厚ソースが絶妙にマッチする「なみえ焼そば」。具材はもやし、豚肉とシンプルだが、福島県浪江町では古くから労働者や地元民の胃袋を満たすソウルフードとして親しまれてきた。この商品に欠かすことのできない極太麺を製造してきたのが合資会社旭屋だ。

1935年の開業当初は米穀店だったが、1953年に合資会社となってから製麺業も始めた。その後、福島県認定の学校給食工場となり、麺の給食配送業務にも携わるようになる。そして、1982年に誕生したのが、「なみえ焼そば」のルーツとなる「太っちょ焼そば」だった。

「町の青年部が、商標登録されている『太っちょ焼そば』でB-1グランプリに申請しようとしたところ、いろいろな障害があってできなかった。そこで、地域ブランドという形で『なみえ焼そば』という名称が生まれたんです」。旭屋代表の鈴木昭孝氏は振り返る。

極太麺と濃厚ソースが特徴のなみえ焼そば 極太麺と濃厚ソースが特徴のなみえ焼そば

2010年にB-1グランプリへ初めて参加。思うような結果には至らなかったが、「次こそは」という意気込みで再挑戦の準備を進めていた時、東日本大震災が起きた。地震の影響で蔵が倒壊し、工場内の機械が倒れて配管は大きく破損したという。

「ちょうどB-1グランプリへ向けて工場の拡張工事を行っている時でした。春休み直前で学校給食が落ち着く時期だったこともあり、この時期を選んだのですが……」。

福島第一原子力発電所の事故の影響で自身も避難生活を余儀なくされた鈴木氏。県内を転々とした後に、東京にいた姉家族の元へ避難した。

会社再建への道のりを語る代表社員の鈴木昭孝氏 会社再建への道のりを語る代表社員の鈴木昭孝氏

「同業者と連絡を取り状況確認はしていましたが、1カ月は何もできませんでした。でも何かしなければと思い、大手メーカーへ今までしたことが無かった飛び込み営業をしたんです。うちのような小さい会社がアポ無しで大手に行っても普通は門前払いとなるでしょうが、どの会社も話を聞いてくれたのはうれしかったですね」。

すぐに取引につながることは無かったが、「担当者と顔見知りになったことで間口が広がったので、やって良かったと思います」と鈴木氏は話す。

その後、鈴木氏は家族を東京へ残し、浪江町が拠点を置いた福島県二本松市へ移り、会社の再建へ向けて準備を進めていく。一時立ち入りが許可された時に浪江へ戻り、家から印鑑や通帳、取引先の住所録などの書類を持ち出した。そして東日本大震災から約4カ月後、郡山市に仮事務所を設立。少しずつ麺の注文は入ったが自社工場が無く外注したため、売り上げは立たなかったという。

B-1グランプリ優勝のブームを冷静に捉えた経営判断が活路開く

会社の再建へ動き出したものの、これまでの基盤となっていた学校給食や企業食堂への配給は止まったまま。自社工場建設のめども立たず、苦しい経営が続いた。

そうした中で迎えた2013年11月、第8回B-1グランプリで「なみえ焼そば」が見事ゴールドグランプリを受賞。一躍全国区になった浪江町のソウルフードに、注目が一気に高まった。

「グランプリを受賞した時も自社工場は無く、お世話になっていた二本松の製麺所さんに外注していました。グランプリ受賞で売り上げが伸びたのは確かですが、外注だったので利益につながることはありませんでした」。

しかし、鈴木氏は「グランプリ受賞後のブームに乗っていたら、会社は存続していなかったのではないか」と、冷静に振り返る。

「ブームに乗って利益を上げていたら、問屋をはじめ取引するお客さんを間違えてしまっていた可能性は高い。確かに、グランプリを取った後の盛り上がりは本当にすごかったですが、自社工場も無くどん底から抜け出せない状況で、このブームが長く続くことは無いと冷静に考えられたことは大きかったです」。

鈴木氏の予測通り、ブームは1年ほどで終息を迎えた。その背景には、福島第一原子力発電所の事故の影響があった。東日本大震災前の2010年10月時点での浪江町の人口は約2万1,000人。その全住民が避難したことで町の様子は一変した。

「過去にB-1でグランプリに輝いたり、話題を集めたりした地域ブランドは、地元が存在して街全体で盛り上げてくれた。しかし、受賞当時の浪江には人が住むことすら許されていなかった。そんな状況で地域ブランドとしての『なみえ焼そば』を根付かせることは難しかったと思います」。

被災後にグランプリ獲得へ向けて努力を続け、受賞という結果を残し、復活への起爆剤と思われた「なみえ焼そば」でも苦しい状況を打破できなかった。だが、東日本大震災前から会社の基盤事業となっていた学校給食の配送業務が旭屋を救うことになる。

基盤事業の学校給食配送業務が再建への道を切り開いた 基盤事業の学校給食配送業務が再建への道を切り開いた

「なみえ焼そばのブームが下火になったころ、相馬市で学校給食を担当していた会社から、高齢を理由に会社の再建を断念するので、事業を引き継がないかという話を頂いたんです。今後また大きな災害があっても、町がある限り学校は無くならないと考え、初心に返って学校給食を基盤にしようと決めました」。

2015年3月に事業を譲り受けた会社の跡地に自社工場を建設。同年9月に操業が始まり、会社はどん底から少しずつはい上がっていった。

相馬工場の外観 相馬工場の外観
ミキシングの工程 ミキシングの工程
麺の塊を平らにする 麺生地の塊を平らにする
薄くした麺の塊を機械で切り出す 薄くした麺生地の塊を機械で切り出す

苦境に立たされても、時代に合った販売促進戦略でアピールし続ける

麺の学校給食配給という基盤を取り戻した旭屋。ちょうどそのころ、ブームが落ち着いた「なみえ焼そば」を常磐自動車道の南相馬鹿島サービスエリア内の施設「セデッテかしま」で取り扱うことも決まった。

「多くの人が立ち寄るサービスエリアや道の駅での取り扱いは本当にありがたいです。2020年には浪江の道の駅もオープンして、そちらでもいいアピールができていると思います」と鈴木氏。

事業者の思いがこもった製品を全国へ情報発信するプロジェクト「ふくしまみらいチャレンジ」への参加も、業績アップに弾みをつけた。「大手への流通網を持たないうちのような会社がプロジェクトに参加することで、高級スーパー向けの商品開発が行えるような仕組みができたことも大きかったです」。

その中で、「親父(おやじ)の小言みそらーめん」「とまとらーめん」といった新商品の開発販売にも着手。2017年には酒類販売業免許を取得し、浪江の企業3社と地元の復興を願い製造した清酒「親父の小言」の小売り・卸売りを始めるなど、新しいチャレンジも積極的に行っている。

人気商品の「なみえ焼そば」 人気商品の「なみえ焼そば」
「親父の小言みそらーめん」など新商品の開発も 「親父の小言みそらーめん」など新商品の開発も

「学校給食という基盤があるからこそ、『なみえ焼そば』の枠にとらわれない商品開発ができていると思います。これからはネット販売にも力を入れていきたい」と鈴木氏。

数年前からネット販売の重要性は分かっていたが、新型コロナウイルス感染症拡大により、高速道路のサービスエリアや道の駅でのアピールが十分にできなくなったことで改めて痛感。2020年にはSNSを活用したファンクラブを立ち上げ、2021年からはInstagramを活用したライブ配信を行うなど、従来とは違うアプローチにも取り組んでいる。

「インターネットを活用した情報発信ができる時代であれば、使わない理由は無い。世界中に広がるネットワークを使って、商品を知ってくれる人が一人でも多く生まれ、『なみえ焼そば』をはじめとしたうちの商品を食べてみたいと思ってもらえればと思います。すぐに売り上げに直結するものではありませんが、目に見えない効果は絶対に生まれるはずです」。

2019年の台風19号、2022年3月の福島県沖地震で、相馬工場は大きな被害を受けた。コロナ禍という先の見えない状況も続いている。それでも会社を存続させるため、鈴木氏は固定観念にとらわれず行動を続ける。

2022年9月には故郷・浪江の新工場が操業を始め、浪江地区の学校給食配給も再開するという。鈴木氏の「会社を守る」というぶれない精神がある限り、旭屋は健在だろう。

これからも学校給食を基盤に新商品開発やネット販売にチャレンジする これからも学校給食を基盤に新商品開発やネット販売にチャレンジする
課題

・自社工場の製造ラインを喪失したことで、これまで培ってきた製造、流通というルートを活用できず、外注に頼りながら再建を模索。

・「なみえ焼そば」ブーム沈静化後の状況、コロナ禍での飲食需要の変化などを通じて、商品販促に課題。

解決策

・相馬市で学校給食の配送を行っていた会社から、事業、土地の譲渡が決まる。自社工場の再建がかない、製造・流通ラインが復活。

・SNSを活用したファンクラブを設立。インターネットを活用した商品アピール戦略を取り入れる。

効果

・麺の学校給食ならびに企業食堂への配送という基盤が再構築される。これにより、新商品開発などへの取り組みも積極的に行えるようになった。

・公式Instagramのフォロワー数は5,000人以上。ファンクラブの人数も徐々に増え、効果が見え始めている。

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