有限会社ふるさとのおふくろフーズ

有限会社ふるさとのおふくろフーズ

【福島県葛尾村】

葛尾の伝統食を世界へ
両親が思い描いた夢を引き継いだ姉妹の挑戦

企業情報

  • 企業名 有限会社ふるさとのおふくろフーズ
  • ヨミガナ ユウゲンガイシャフルサトノオフクロフーズ
  • 業種 食料品製造業
  • 代表者 松本智恵子氏[代表]
  • 所在地 福島県双葉郡葛尾村大字野川字湯ノ平41
  • TEL 0240-29-2154
  • WEB 無し
  • 創業年 1998年
  • 資本金 300万円
  • 従業員数 5人
  • 売上高 非公開

企業概要

自治体が特産品などを製造してアピールした「一村一品運動」の流れの中で、1990年に主婦たちのグループが葛尾村の伝統食である「凍みもち」を特産品として売り出した。1998年、グループを法人化して有限会社ふるさとのおふくろフーズを設立。2011年、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故により全村避難となり休業。一時は材料の入手も困難となったが、2017年に新工場が完成して凍みもちの加工を再開した。

村の伝統食を県内外に広めるため主婦6人が製造に着手

1979年に当時の大分県知事、平松守彦氏が提唱し、全国へと広がりを見せた「一村一品運動」。地域振興や活性化を目指し、各自治体が特産品などを製造してアピールした活動で、1990年に製造を始めた「葛尾の凍(し)みもち」も、この運動から生まれた。

その先頭に立っていたのが、2022年に亡くなるまで有限会社ふるさとのおふくろフーズ代表取締役を務めた松本富子氏。現在は長女・松本智恵子氏、三女・松本裕子氏が事業を引き継いでいる。元々農家だった富子氏が凍みもちの製造・販売に力を入れた理由を、智恵子氏が教えてくれた。

松本富子氏から事業を引き継いだ長女・智恵子氏(左)と三女・裕子氏(右) 松本富子氏から事業を引き継いだ長女・智恵子氏(左)と三女・裕子氏(右)

「当時、母が所属していた『すずらんグループ』という会がありました。そこで、一村一品運動として葛尾村でも何かやれないかという意見が出て、村の伝統食である凍みもちをアピールしようとなったようです」。

グループには20〜30人が集まっていたが、実際に凍みもち製造に関わったのは発案した富子氏を含む6人だった。当初はすずらんグループを母体に「おふくろフーズ」として凍みもちのみを製造していたが、その後、生もちやつくだ煮、梅干しなど製造する品目が増加。グループ活動という範ちゅうを超える規模になったため、1998年に法人化し、ふるさとのおふくろフーズが誕生した。

東日本大震災以前は順調に売り上げを伸ばしていた 東日本大震災以前は順調に売り上げを伸ばしていた

ふるさとのおふくろフーズの商品は口コミで評判が広がり、2011年には8,800連の凍みもちを製造するまでとなった。1連は12枚なので、その数は10万5,600枚に上る。会社としても順調に売り上げを伸ばしていたところで、東日本大震災が起きる。

「3月中旬は乾燥が終わり、出荷をスタートさせる時期。地震で建物が壊れるなどの被害はありませんでしたが、乾燥のため屋内につるしていた凍みもちが床に落ちてしまいました。そして福島第一原子力発電所の事故があり、凍みもちの心配よりも放射能に対する不安の方が大きかったです」(智恵子氏)。

福島第一原子力発電所の事故から2日後の3月14日、葛尾村には全村避難指示が出された。松本さん一家も避難を余儀なくされたが、富子氏は最後まで避難を拒んでいたという。

生まれ育った故郷を離れなければいけないつらさに加え、今までがんばってきた凍みもち作りが今後できるのかという不安。先行きの見えない状況で、葛尾から避難しなければいけなかった当時の富子氏の心中は複雑だったに違いない。

必ず葛尾で復活させる。母親の強い意志に娘たちも継承を決意

被災時に製造していた凍みもちは、出荷できる状態のものも多くあった。それを顧客の元に届けたいという思いもあり、各機関で放射能検査を実施し、いずれも不検出を確認。しかし、出荷前の凍みもちの多くは破棄しなければいけなかったという。トラックいっぱいに積まれた凍みもちを見送り、涙が止まらなかったそうだ。

両親が受け入れていた多くの親戚は途中まで一緒に避難をしていたが、途中からばらばらとなり、智恵子氏は両親、長男夫婦らと一緒に福島県郡山市の借り上げ住宅で生活。一方、裕子氏は自身の家族と福島県三春町のアパートで避難生活を始めた。いつ葛尾村に戻れるか分からない状況は続いていたものの、富子氏は凍みもちの製造再開へ向けて動き出していたという。

「避難してから1年後に、凍みもちの原材料の一つである『ごんぼっぱ(オヤマボクチ)』の苗をインターネットで取り寄せたんです。そして届いた苗をプランターに植えて育て始めました。そのころには常連客の皆さんから、葛尾の凍みもちが欲しいという声をたくさん頂くようになりました。避難先で再開してほしいというお客さんの声もありましたが、葛尾の凍みもちは葛尾で作るという母の強い意志もありましたので、葛尾に戻って作るため、できる範囲で準備を続けていました」(智恵子氏)。

避難先では葛尾で製造再開するための準備を続けていたと語る智恵子氏 避難先では葛尾で製造再開するための準備を続けていたと語る智恵子氏

全村避難指示が出てから5年が経過した2016年5月19日、帰還困難区域を除く地域について、6月12日に避難指示が解除されることが発表された。ふるさとのおふくろフーズ再建へ向けた動きも本格化する。かつての工場は野生動物に荒らされる被害を受けていたが、富子氏は自ら新工場の設計図を何枚も描き記すなど積極的な動きを見せていたという。

葛尾の凍みもちに対する母・富子氏の思いを語る裕子氏 葛尾の凍みもちに対する母・富子氏の思いを語る裕子氏

「パッケージのシールに書かれた文字は、父が書いたもの。母は『葛尾の凍みもちがお父ちゃんの書いた文字と共に県内外、そして世界中に広がってほしい』と願っていました」(裕子氏)。

全村避難が解除になる約3カ月前。役場職員だった智恵子氏は体調不良により退職する。同時期、裕子氏も事務を担当していた医院が閉院した。偶然にも2人が同時期に前職を離れることになり、それぞれの思いも凍みもちの復活と、今まで積み上げてきたふるさとのおふくろフーズの再建へと向かっていった。

原料確保の困難に直面するも周囲の協力で解決

再建へ向けて動き出したふるさとのおふくろフーズだが、課題も多かった。中でも凍みもちの原材料となるごんぼっぱの確保には苦労が多かったという。富子氏が苗を育てていたが、育てるスペースは少なく十分な量は確保できない。かつて仕入れていた農家に連絡を入れてみたが、栽培をやめたところが多かった。

工場を立て直しても材料がなければ製造はできない。富子氏たちは、除染が行われた安全な場所で自生しているごんぼっぱやヨモギを収穫し、放射能検査にかけて安全性も担保しながら確保していった。そんな地道な活動をしていたところ、常連客がふるさとのおふくろフーズ再開の話を聞き、避難先の長野で採れたごんぼっぱの種を送ってくれるという話が飛び込んでくる。さらに、地元で栽培を続けていた人たちからぜひ使ってほしいという話が増え、製造のめどが立ったという。

「凍みもちの製造が始まることを聞き付けた人が、仮設住宅の庭先でプランターに栽培したものを持ってきてくれたこともありました。ごんぼっぱやヨモギを採取している私たちを見た村の人が「がんばってんなぁ」とねぎらいの言葉をかけてくださり、見守っていただいているなと感じました。周りの方々の応援には本当に感謝しています」(裕子氏)。

周囲の助けにも恵まれ、2017年2月に新工場が完成し、凍みもちの製造を再開。最初に出荷した1,000連(1万2,000枚)は1週間で完売した。

「先輩たちの協力も得て、無事に作り終えて、完売した。ほっとした気持ちとともに、これで大丈夫という自信がつきました」と裕子氏。智恵子氏は「私たちは、母を含めた先輩たちがつくってくれたレールに乗っかっているだけですが、自分たちもやっていけるという確信を持てました」と当時を振り返る。

販売スペースに並ぶ凍みもち、 販売スペースに並ぶ凍みもち
葛尾のそばとうどん 葛尾のそばとうどん
葛尾の豆ときなこ 葛尾の豆ときなこ
梅干しや豆菓子など 梅干しや豆菓子など

再開から6年目を迎えた2022年は、8,000連(9万6,000枚)を製造するまでとなった。凍みもち以外の商品も被災前の状態に近づいているという。智恵子氏と裕子氏は近い将来、母親たちが達成した過去最高となる8,800連を超えることを一つの目標に、両親が他界した今、「私たちが作った凍みもちがロケットに乗って星まで届くといいな」と願っている。

「今後も、再開後に1,000連を作った時の気持ちを忘れずに凍みもちを作り続けることが大事だと思っています」と智恵子氏、裕子氏は口をそろえる。今後は、凍みもちのいろいろな食べ方も広めていきたいという。ちなみに、凍みもちの一般的な食べ方は、冷水に一晩浸して戻し、水を切ってフライパンやトースターなどで焼き、好みの味付けをするというもの。長期保存も可能であり、非常食として利用することもできるという。

「料理研究家の栗原はるみさんが、テレビ番組で凍みもちを紹介してくれたんです。著名な料理家が扱ってくれる商品を作っていると思うと誇らしい気持ちになります。でも、凍みもちをもっと簡単に食べられないかという意見も多く聞きます。水で戻すということはどうしても外せませんが、アイデア次第で、ごはんにもお菓子にもなります。ぜひ皆さんとレシピを共有していければと思います」(裕子氏)。

その取り組みに賛同し、郡山女子大学の学生が凍みもちの食べ方の研究を始めている。すべては、葛尾の凍みもちを県外へ、そして世界へと広めるため。母の意志を継いだ娘2人は、母たちが残した味を守りながら、次なるステージを見据えている。

2017年に完成した新工場 2017年に完成した新工場
課題

・福島第一原子力発電所の事故によって全村避難を余儀なくされ、材料入手困難のために生産を継続できなくなった。

・保存食としても活用されている凍みもちは、一度水で戻してから調理をする必要がある。それでも袋を開けてすぐ食べたいという声も多い。

解決策

・自ら原材料の苗を購入して生育をスタート。除染が完了しているエリアに苗を定植し採取した。

・水で戻した後にどのように調理するかのアレンジを増やしていくことに着手。地元の女子大学の学生も参画している。

効果

・製造再開の動きを聞き付けた常連客やかつての仕入れ先から連絡が届き、製造が可能になる量のごんぼっぱを確保できた。

・料理番組で著名な料理研究家が凍みもちのアレンジレシピを紹介。学生が考案したレシピなども発信して凍みもちの魅力を広めていく。

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