刃物の館 やすらぎ工房

刃物の館 やすらぎ工房

【福島県飯舘村】

飯舘村から発信する伝統技術――
“までい”の精神は刃物だけでなく世界の人々の心も打つ

企業情報

  • 企業名 刃物の館 やすらぎ工房
  • ヨミガナ ハモノノヤカタ ヤスラギコウボウ
  • 業種 金属製品製造業/その他の卸売業
  • 代表者 二瓶信男氏[代表]
  • 所在地 店舗:福島県福島市三河北町16-6
    工場:福島県相馬郡飯舘村草野字大師堂113-37
  • TEL 024-533-0418(店舗)
  • WEB https://www.hamononoyakata-yasuragikobo.com/
  • 創業年 2001年
  • 資本金 無し(個人事業主のため)
  • 従業員数 4人
  • 売上高 非公開

企業概要

福島市にある、出刃包丁や三徳包丁といった調理用刃物全般の販売店で、研ぎや修理なども行う。東日本大震災以降、刃物の鍛造で有名な新潟県三条市で修行した4代目の二瓶貴大氏が中心となって製造業にも着手。飯舘村に工場を設立して刃物の鍛造を始め、主に海外に向けて販売している。今後は飯舘村の活性化や鍛冶の普及などを目的として、一般向けの鍛冶体験教室の開催を目指す。

気持ち新たに 日本の伝統産業を受け継ぐ

JR福島駅から徒歩10分ほどの場所に店を構える「刃物の館 やすらぎ工房」。包丁をはじめとした各種刃物の販売、刃付けを中心としたメンテナンスなどを行っている。東日本大震災後には福島県飯舘村に工場を構え、製造にも力を入れることで、刃物について一貫したサービスを提供できる体制を整えた。

その事業を行うのが、3代目となる二瓶信男氏と息子の貴大氏。次期代表でもある貴大氏は、大学卒業後、県外の自動車部品製造会社に就職している。「そのころは、家業を継ぐという意識はありませんでした」と話す貴大氏が、転職を決意した理由を教えてくれた。

左は、3代目にして現代表の二瓶信男氏、右は4代目の貴大氏 左は、3代目にして現代表の二瓶信男氏、右は4代目の貴大氏

「前職がそうだったように、ものづくりにはずっと興味を持っていました。業種は違いますが、働く中で経営にも興味が湧いてきて、家業を継ぐことで両方できるかなと思ったんです。決断までかなり悩みましたが、一度きりの人生なので後悔しない道を選ぶべき、と気付いたことが決め手になりました」。

息子の決意を聞いた信男氏は、「鍛冶屋が減っている中で、業界のことを考えると不安はありました。その半面、小さいときに『おやじと一緒に仕事する』と言っていたことがあったので、それが実現するのかと、うれしさと心強さも感じていました」と振り返る。

貴大氏が転職したとき、「やすらぎ工房」の主軸は刃物の販売とメンテナンス業務。一般の客の声をじかに聞ける環境は貴大氏にとっても勉強になることが多かったという。その一方で、製造業務を強化することが、今後の事業の成長には欠かせないと考えるようになった。

「当時、まったく製造をやっていないわけではありませんでしたが、数は少なかった。刃物全体を扱う仕事として、製造を担う鍛冶屋としての技能も磨いていかなければいけないなと。そのころ、海外で日本の刃物が高く評価されているにもかかわらず、業界全体として『製造する鍛冶屋の減少』という課題を抱えていました。このままでは、世界から称賛される素晴らしい日本の伝統が無くなってしまう。残す側の人間になりたいと思ったんです」(貴大氏)。

やすらぎ工房」の刃物

高い評価を得られる海外流通強化に向けて自社製造に着手

息子の「事業拡大」という考えには、信男氏も理解を示した。

「長年メンテナンスの仕事をしていると、商品ごとに品質のむらがあることを感じていました。それを無くすためには、自分たちで作るのが一番だと。切れなくなった包丁を一生懸命に再生させていく中で、自分も製造したいと思うようになりました」。

製造事業を本格化させるため、貴大氏は取引先である新潟県三条市の2つの鍛冶屋で修業する。月に1週間から2週間、新潟に赴き匠(たくみ)たちの技を習得していった。

「最初に相談したときは『ぜひ来てください』という感じだったんですが、いざお願いしますと言ったら一度断られたんです。本気で修業するととらえられていなかったようです。以前修業したいという方を預かったものの、長続きしなかったことがあったようで、それも影響したようです」と貴大氏は振り返る。

結果的には二瓶親子の考えを理解してもらい、修業は認められた。「息子はとにかく勉強家。何事にも一生懸命に取り組む姿勢が認められ、修業先の方々にも大変良くしてもらいました」と信男氏は語る。

貴大氏が修業先で学んだのは、鍛冶の技術だけではない。自社工場を設立するために、鍛冶で必要な機械設備の知識や、その設置方法も習得したという。

「福島市には、鍛冶工場に関しての地下構造や基礎を知っている業者がいませんでした。そのため、三条の人に業者を紹介してもらっていろいろと勉強させてもらい、設置に必要となるフォークリフトやクレーンの免許取得も同時並行で行いました」。今では、鍛冶屋仲間から機械について相談を受けることもしばしばあるという。

修業と同時期に工場探しもスタート。店舗を構える福島市はもちろん、近隣の市町村にも足を運ぶが、なかなかいい候補地は見つからなかった。

「鍛冶工場は、音、振動が激しいので、あまり喜ばれる施設ではありません。自治体の方も話は聞いてくださるのですが、前のめりになっている印象はありませんでした」(信男氏)。

熱心な役場職員との出会いが飯舘村との縁結ぶ

3年ほどで30~40の場所を紹介してもらったが決定には至らなかった。「三条で学んだ設備機器に関する復習もしたかったので、早く決めたかったのですが」と貴大氏。そんなとき、信男氏が飯舘村の避難指示が解除されるという新聞記事を目にする。

「飯舘村は、福島市と隣接はしていませんが、車で30~40分ほどの場所。アクセス的な問題は無いので、話を聞いてもらおうと、避難指示解除になった直後に村役場にアポイントを取りました」(信男氏)。

この行動が工場建設へ向けた大きな一歩となった。「対応してくれた担当者が、私たちの仕事への姿勢、考えを親身になって聞いてくださり、工場となり得る場所を必死に探してくれて、3つほど紹介してくれました。その一つが今の工場となっている旧飯舘村立草野幼稚園の跡地。これは後から聞いたことですが、担当者の方は、場所探しはもちろん、さまざまな調整で相当苦労されたそうです。なぜ私たちの思いに共感し、積極的な行動を取ってくれたかは聞いていませんが、今の工場があるのは、その担当者のおかげなんです」(信男氏)。

それまで二瓶親子にとっては縁もゆかりも無かった飯舘村。しかし、話が進むうちに、自分たちとの“ある共通点”に気付いた。

「『までい』という福島の方言があるんです。『丁寧に』とか『心を込めて』といった意味で、飯舘村では村民が昔から大切にしてきた言葉だと聞きました。我が家でも先代が、『仕事は丁寧に、一生懸命やる』ということを大切にし、私自身にもそのことを口酸っぱく言っていた。それを思い出して縁を感じ、この村から自分たちの刃物を発信したいと思いました」(信男氏)。

4代目の貴大氏

一つの出会いと“までい”で結ばれた、二瓶親子と飯舘村。担当者が工場誘致にかなり苦労したという話も聞き、事業の成長はもちろん、村への恩返しもしなければと気持ちを新たにしたという。

工場の建物は元幼稚園。隣接する小学校と共に、全村避難の影響を受け廃園となった。建物はそのままに、内部を改造して鍛冶工場にしている。

「ある程度の広さを求めていましたので、理想にマッチした場所で本当に感謝しています」と貴大氏。「高台の場所で騒音、振動問題もクリアできますし、環境的にも素晴らしい場所」と信男氏も笑顔を見せる。

幼稚園舎を改装して鍛造工場に。壁には「幼」のマークがあり、その名残を感じさせる 幼稚園舎を改装して鍛造工場に。壁には「幼」のマークがあり、その名残を感じさせる
中は鍛造に必要な機械がずらりと並び、外とうってかわって工場らしさが漂う 中は鍛造に必要な機械がずらりと並び、外とうってかわって工場らしさが漂う
福島市の店舗の方でなくとも、代表的な包丁のいくつかは工場で購入可能 福島市の店舗の方でなくとも、代表的な包丁のいくつかは工場で購入可能

積極的な地域活動で昔のように人が集まる場所に

日本の刃物は、海外で高い評価を受けている。「刃物の館 やすらぎ工房」が製造する刃物の多くは、料理人などの口コミなどで海外でも広がりを見せ、高い評価を受けているという。

「直接的、間接的なものも含めて、製造の大半は海外のお客さま向けです。鍛冶業界が低迷した理由の一つに、適正価格で刃物を売ることができなかったことがあります。海外の方でしたら、鍛冶の技術を認めてくれた上で、適正価格で取引が可能です」と貴大氏。“までい”の精神は、刃物だけでなく、海外の人々の心も打つのだ。

世界で認められている技術だからこそ、日本でももっと多くの人に刃物の良さを知ってほしいと願う貴大氏。今後は鍛冶体験を通して地元の人はもちろん、県内外にアピールすることを目標に据える。その準備として、刃物文化を語る上で欠かすことのできない日本刀の勉強にも力を入れている。

4代目の貴大氏

「刃物のことを総合的に伝えるには、おのずと刀についての知識も必要になる。歴史も踏まえてこちらが正しく理解した上で、たくさんの人に伝えていけるようにしたい。作業工程の楽しさ、難しさ、体験を通して感じることも多いはずです。飯舘村に来れば、こんなに楽しいことができるんだという人が増えれば、村への恩返しにもつながるのかなと思っています」。

村への恩返しという点においては、貴大氏を支える妻・麻美氏も、「山の向こうから」というものづくり市を主催し、飯舘村の良さをアピールしている。

貴大氏の妻・麻美氏。2021年5月に工場前(旧草野幼稚園 園庭)でも飯舘の物産やハンドメイド品などを販売する物産市を主催した 貴大氏の妻・麻美氏。2021年5月に工場前(旧草野幼稚園 園庭)でも飯舘の物産やハンドメイド品などを販売する物産市を主催した

「私が実際に使って良いと思った物を作っている方などにお声がけして、たまにイベントを開いています。場所は、工場に隣接する廃校になった小学校。昔は多くの人でにぎわっていたはずですから、イベントを通じてにぎわいを取り戻してもらえればと考えています。規模が大きくなり、出品者の公募も始めましたが、クオリティーを守るためにも直接作り手に会っての交渉は続けたいです」(麻美氏)。

3人それぞれが飯舘村に感謝し、村にかつての活気が戻ることを願っている。だからこそ、初心を忘れることなく自分ができることを「までい」に行う。先代から受け継がれるこの精神こそが、「刃物の館 やすらぎ工房」の成長につながるに違いない。

課題

・刃物の販売、メンテナンスを主体としていたが、海外で日本の包丁が高い評価を得ているため、製造事業の強化が不可欠だった。

・工場建設には、候補地の選定だけでなく、機材設置の業者を探すことが必要。福島市には関連業者が無かった。

・工場建設に至った飯舘村は避難指示が解除されてから日が浅く、人も産業も復興には時間がかかる状態。

解決策

・3年の歳月をかけて飯舘村に工場を建設。騒音、振動の問題もクリアした場所を紹介してくれた役場職員との縁も強い味方になった。

・新潟県三条市で鍛冶修業を行った貴大氏が、併せて機材設置について勉強し、フォークリフトやクレーンの免許を取得するなど自前でできる体制を整える。

・飯舘村に人を誘致するためのイベントを画策。今後は鍛冶体験教室も計画している。

効果

・自社で製造することで、海外の顧客との直接取引が可能になった。製造の大半が海外客向けになり、売り上げも増加した。

・自社工場建設の際、すべての機材の導入を貴大氏が1人で行ったことで費用削減にもつながった。鍛冶屋仲間から相談も入るようになった。

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