有限会社佐々木酒造店

有限会社佐々木酒造店

【宮城県名取市】

浪の音聞こえる閖上で醸す日本酒を通して
地域の物語を後世に

企業情報

  • 企業名 有限会社佐々木酒造店
  • ヨミガナ ユウゲンガイシャササキシュゾウテン
  • 業種 飲料・たばこ・飼料製造業
  • 代表者 佐々木加知枝氏[代表取締役]
  • 所在地 宮城県名取市閖上中央1-12-3
  • TEL 022-398-8596
  • WEB https://housen-naminooto.com
  • 創業年 1871年
  • 資本金 300万円
  • 従業員数 11人
  • 売上高 非公開

企業概要

1871年創業、150年以上続く名取市閖上の酒造会社。東日本大震災で本社店舗、酒蔵が全壊するも、翌年には、中小企業基盤整備機構が準備した復興仮設店舗「閖上さいかい市場」、名取市復興工業団地に入居。全国の醸造家から製造設備などの提供や支援を受けながら、仮設の酒蔵を整えたのち酒造りを再開。区画整理が完了した2019年10月、閖上に新しい酒蔵が完成し現地再建を果たす。酒造りには、豊富な湧き水に恵まれた名取市下余田(しもようでん)の清水を利用し、宮城、名取、閖上の「食 に寄り添う酒」を醸す。

津波に襲われる故郷の光景を見て再建を決断。地酒の存在意義を再定義

有限会社佐々木酒造店 専務取締役 佐々木洋氏 有限会社佐々木酒造店 専務取締役 佐々木洋氏

宮城県名取市、閖上(ゆりあげ)で150年以上続く酒蔵、有限会社佐々木酒造店。その代表的な銘柄「宝船(ほうせん) 浪(なみ)の音」には「浪の音と共に宝船が幸せを運びますように」との思いが込められている。東日本大震災当時、いつも閖上に押しては引いていた波が大量のがれきを巻き込みながら押し寄せる大津波と化し、町をのみ込んだ。津波の様子を目の当たりにしながら、蔵の屋上に避難していた専務取締役の佐々木洋氏は再建を誓う。

代表商品「宝船 浪の音」 代表商品「宝船 浪の音」

東日本大震災の大地震によって、創業時からあった木造家屋、酒蔵、煙突が倒壊し、大津波により製造設備、タンク貯蔵の酒、在庫製品のほとんどが全壊流出。石造りの蔵と1978年の宮城県沖地震以後に建て替えられた鉄筋コンクリート製の酒蔵の躯体(くたい)は持ちこたえたものの、庫内にがれきが流入し貯蔵タンクは横転するなど、壊滅的な状態になった。

当時の被災状況の写真 当時の被災状況の写真

そんな絶望的な状況でもすぐに再建を決められたのはなぜか。佐々木氏は「戦争や度重なる天災による壊滅的な被害を受けても日本は何度も立ち上がった。先人たちができて自分ができないわけがないという思いが、強い支えと力になりました」と振り返る。

しかし、酒造業は斜陽産業といわれて久しく、人口が減少し景気も低迷している。嗜好品であるお酒に市場の伸びしろはあるのか、事業を再建するだけの価値が本当にあるのか、果たしてその体力が会社にあるのか、そもそも地酒の存在意義とは何か。さまざまな問いに自問自答する日々だったという。

「土地の栄養と水を吸い上げて育つ故郷の米から造られる地酒は、いわば土地の文化を液体にしたもの。土地の物語を聞き、味わうことができるもの。嗜好品としてだけではなく、この時代に起きた震災と復興の物語を後世に語り継ぐものとして必要なのではないか。そう自分の中で日本酒の在り方を構築し直しました」。

再建には大きく3つの課題があった。東日本大震災の前年に耐震工事を行い大きな債務が残っていた資金面、製造施設・設備の調達、そして、跡形も無くなった閖上の地に戻ること。

課題を一つひとつ解決し、オールジャパンの仮設蔵で念願の初搾り

「何もかも流されているのに債務だけは流されなかった。借金は非常に重いんだなと思いましたね」と佐々木氏は苦笑する。まず資金面の課題を解決するため、会社を続けること、仮設環境下での酒造りをしながら再建を進めていくことを金融機関に伝える。

製造施設は、中小企業基盤整備機構が整備した名取市復興工業団地に構えることが決まる。設備については、宮城県産業技術総合センターの橋本建哉氏、宮城県酒造組合の伊藤謙治氏が「被災した蔵元の再建のために力を貸してほしい」と全国の醸造家に呼びかけ、調達に奔走してくれた。

すぐに反応したのが、かつて阪神・淡路大震災で被災した兵庫県神戸市東灘区の老舗蔵元、櫻正宗株式会社だった。さらに鹿児島の若潮酒造株式会社、白玉醸造株式会社といった焼酎の蔵元も「同じ日本の酒蔵として応援しています」と支援を寄せてくれた。ほかにも県内で被災した蔵元など、「たくさんの人々のお力添えがあり、オールジャパンで仮設蔵の環境を整えることができました」と佐々木氏。

2012年に建てた仮設蔵での酒造り 2012年に建てた仮設蔵での酒造り

ほかにも問題はあった。主に使っていた酒造好適米「蔵の華」を栽培する契約農家も被災していた。「1年休んだ田んぼで期待に応えられる蔵の華を作れるかどうか分からない」と言われ、食用米の「ひとめぼれ」での酒造りに初めて挑戦。さらに、自社で所有していた水源の水質が地震の影響で酒造りに適さないものに変化していた。仕込み水に使える良質な水を探し求め、名取市のセリ農家のセリ田の水を分けてもらえることになった。

やっとのことで2012年12月に復興工業団地内の仮設蔵での酒造りが始まり、2013年1月には初搾りにこぎ着ける。

「全壊流出した蔵、がれきの山、たくさんの悲哀を目の当たりにし、多くの方々に支えていただきながら、ついに酒を搾るところまでこられたのはうれしかったです」。

日本醸造史上初といわれる仮設環境下での酒造りには厳しい見方もあったが、鑑評会などで評価され、結果で懸念を払拭してみせた。

前向きな姿勢でまちづくりにも関わり、ついに故郷で再建果たす

2019年に再建された佐々木酒造店 2019年に再建された佐々木酒造店
酒造内には直売所も構えている。 酒造内には直売所も構えている。

そこから7年、仮設環境下での酒造りが続くが、最後の課題が残ったままだった。閖上以外で再建したのでは、思い描く地酒の在り方、役目が果たせなくなってしまう。やはり「浪の音」が聞こえる故郷に戻ることは絶対に譲れない。しかし、閖上地区の区画整理事業が進まず、復旧先の土地の形が決まらないので建物の図面すら引けなかった。

復旧計画がなかなか進まないのには理由があった。東日本大震災前の閖上の人口は6,000人弱で、名取市は災害復旧事業として同規模でのまちづくりを計画していたが、住民の反対に遭う。「そんなに住むはずのない町に多額の税金をかけて復旧する意味があるのか」。その声を受け、3分の1に当たる2,000人ほどの住民規模を想定した計画への変更が閖上地区に通達されたのだ。

人口2,000人の町を持続させるには、外部交流人口を増やすしかない。そこで、多くの人を呼び込めるようなまちづくりをしようと、2016年以降から閖上に急ピッチでにぎわい創出計画が埋め込まれていく。

一方で2012年2月からすでに佐々木酒造店は、名取市復興仮設商店街「閖上さいかい市場」で店舗の営業を再開していた。そこに入居するほかの事業者と共に、グループ補助金を活用した元の場所での再建、新たなまちづくりに向けて取り組みを進めていた。絶えず前向きな姿勢で仲間づくりをしていた佐々木氏だったが、「復興事業の廃止も口にされるころでしたので、楽観的に語りながらも焦りはありました」と明かす。

「閖上さいかい市場」に入居している事業者がどのような復興を考えているのか、国の職員の前で説明し、思いを伝えた。そして、津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を申請するための準備段階として株式会社かわまちてらす閖上が立ち上がり、テナントとして入居する事業者の他、行政として名取市、一般からは佐々木酒造店や名取市観光物産協会などが出資する方向で計画が進む。

2019年4月、「かわまちてらす閖上」がグランドオープン。その真南向かいに真新しい蔵、直営店で、10月1日、佐々木酒造店はついに現地再建を果たす。

「かわまちてらす閖上の目の前に佐々木酒造店ができたとよく言われるんですが、違います。佐々木酒造店があった場所にかわまちてらすがやって来たんです。私たちは元の場所に戻ってきただけなんですから」と佐々木氏は笑う。

「閖」の名に込めた思い。浪の音聞こえるこの地で100年先も

東日本大震災から1年後、まだ仮設蔵での酒造りが始まる前の2012年3月11日。奇跡的に破損も流出も無かった密閉タンクからくみ出された酒が、宮城県仙台市内の造り酒屋である森民酒造本家の設備を借りて「震災復興酒」として世に出されていた。佐々木氏はその酒に「閖(ゆり)」という名を付けた。

震災復興の酒「閖」 震災復興の酒「閖」

門構えに水を書いた字で、諸説あるが閖上のために作られたともいわれる「閖」。この難読漢字を含む地名が東日本大震災後、「ゆりあげ」のルビ付きで全国的に知られることになる。その悪影響として、再建に対して「誰も望まない町を復興させるのか」「人が住まない町を作っても税金の無駄だ」といった心無い声が届くようになったという。

「愛する故郷をけなす言葉に耐えがたいものがあった一方で、がんばれと応援してくださる言葉もあり、その気持ちにとても助けられました。そうしたさまざまな思いを閖上は抱えていて、手を取り合いながら再び復興に向けて進んでいるということを、閖の字に込めました」。

仮設蔵での再開後も、元の場所に戻った現在も、「閖」はその使命を背負って出荷され続けている。

仮設蔵への支援にいち早く名乗りを上げた櫻正宗を訪れた際、佐々木氏はこんな言葉をかけられた。

「100年続かないような復興をするんだったらやめた方がいい。やるんだったら100年続く仕事をしなさい」。

「酒蔵というのはその地域の文化の一つであり、魅力の一つ。それが消えたら町の生存力が無くなってしまう。絶えず町に元気を与えるような仕事をしなさい、という叱咤(しった)激励だと受け止めました」と佐々木氏。

「いわば復興の先輩から非常に重い言葉を頂いて、自分の仕事の範囲だけでなく、いかにして町を生かすかという発想で仕事をするようになりました」。

仙台空港から最も近い場所にある酒蔵であることから、国内外から訪れる人に閖上や名取の自然や文化、歴史を酒と共に伝えていきたいと意気込む佐々木氏。「閖」の読み方が閖上の物語と共に海外まで広まり、新たな交流人口を呼び込むかもしれない。穏やかな浪の音が聞こえるこの場所でもう一度、宝船が幸せを運び始めた。

課題

・斜陽産業とされる酒造業に市場の伸びしろがあるのか、事業を再建するだけの価値があるのかが不明だった。

・再建に当たり、大きな債務を抱えた資金面の改善や、新たな製造施設・設備の調達が必要となっていた。

・跡形も無くなり、復旧計画も思うように進まない閖上の地に戻ることができるのかが不透明だった。

解決策

・日本酒は単なる嗜好品ではなく、「震災と復興の物語を後世に語り継ぐもの」だと在り方の再構築を行った。

・資金面において、仮設環境下での酒造りをしながら再建を進めていくことを金融機関に伝える。製造施設面では、全国の蔵元からの設備援助により仮設蔵の建設が実現。

・絶えず前向きな姿勢で仲間をつくり、新たな閖上のまちづくりに向けた取り組みを進める。

効果

・復興に歩む閖上の思いを込めた酒が全国に出荷され、地域の物語を伝えている。

・債務返済の仕方を変え、全国の醸造家からの支援を受け仮設蔵で酒造りを再開。

・地域の文化の一つである酒蔵の再建を果たし、閖上の新たなにぎわい形成の一翼を担う。

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