株式会社菅原工業

株式会社菅原工業

【宮城県気仙沼市】

技能実習生の受け入れが転機に
インドネシアでの事業展開でさらなる成長へ

企業情報

  • 企業名 株式会社菅原工業
  • ヨミガナ カブシキガイシャスガワラコウギョウ
  • 業種 総合工事業
  • 代表者 菅原渉氏[代表取締役]
  • 所在地 宮城県気仙沼市赤岩迎前田132
  • TEL 0226-23-9661
  • WEB http://sugawarakogyo.co.jp
  • 創業年 1965年
  • 資本金 2,000万円
  • 従業員数 50人
  • 売上高 18億9,481万円

企業概要

東日本大震災後の需要を見据えて、海外展開を図った気仙沼市の建設会社。地域に縁の深いインドネシアの技能実習生を受け入れ人材の増加と育成を進める。実習生受け入れを通してインドネシアのリサイクルアスファルトの普及に着目し、合弁会社を現地に起業。2020年以降からは、将来の若い人材を育成するべく「菅原工業人事部」という事業に力を入れている。

街の姿取り戻すべく、気仙沼市の復興に尽力

「このまちをつくる」をスローガンに掲げる株式会社菅原工業は、1965年に創業した宮城県気仙沼市の建設会社だ。水道工事を中心とした社会インフラの整備を手がけ、建設業で人々の暮らしを支え続けてきた。

そんな菅原工業の歴史を語る上で、切っても切れない出来事が東日本大震災である。2011年3月11日、高さ20mを超える未曽有の大津波に襲われた気仙沼市。港から押し寄せた黒い濁流は街全体をのみ込み、菅原工業も社屋全壊という大きな被害に見舞われた。

「重機もほとんど流され、唯一残ったのが2tダンプカー1台だけ。それでも4人いた従業員が全員無事だったのが、何よりの救いでした」。

そう当時を回想するのは、現在、代表取締役社長を務める菅原渉氏。東日本大震災から数日後、自分たちに何かできることは無いかと、居ても立ってもいられず市役所に足を運んだ。

代表取締役社長 菅原渉氏 代表取締役社長 菅原渉氏

「最初はご遺体運びの手伝いを依頼されましたが、土木課の職員の方から『がれきの撤去を始めるので、そこで仕事をしてくれないか』と頼まれました。自社のことも心配でしたが、まずはこの街をどうにかしなければならなかったので、とにかく必死でしたね」。

特に交通網は社会インフラの動脈であり、1日でも早い原形復旧が求められる。それから約2年間、社員らはがれき撤去の最前線で奔走。社屋が無いため、知り合いの企業や、当時の社長である渉氏の父・寛氏の本宅などを借りて拠点を構え、気仙沼市の復興に尽力した。

がれき撤去が一段落すると、菅原工業の事業は災害復旧工事へとシフトしていく。下水道の仮配管や、住宅の基礎撤去、道路のかさ上げ工事のほか、防潮堤の建設工事も担当。時に周囲から心無い言葉を浴びせられたこともあったが、ぶれることの無い強い信念の下、目の前の仕事を黙々とこなしていった。

「特に防潮堤の工事の時は『海が見えなくなる』と文句を言われて、誹謗(ひぼう)中傷を受けたこともありました。あくまで私たちは人々の生活を支えるための仕事をしているわけであって、それを否定されるのは悔しかったです。つらかったですが、仕事を請け負った以上、ちゃんとしたものを作るんだという思いに迷いはありませんでした。1日でも早くこの街を元通りにすべく、ひたすら工事を進めていきました」。

技能実習生の受け入れ開始。インドネシアでも事業展開

気仙沼市の復興を先頭に立ってけん引してきた菅原工業。東日本大震災以前は先細りの一途をたどっていた経営面も、復旧工事の需要の増加と比例して回復していった。順調に事業が拡大する一方で、大きな選択を迫られることとなる。

「人手が不足しているので新たな人材を集めたいところではあったのですが、復旧工事が終わった後、果たして彼らの雇用を守れるのかという不安もありました。この先を考えれば考えるほど、会社の規模を大きくするのが正解なのかどうか、その両極端の課題に悩まされていました」。

そこで決断したのが、海外からの技能実習生の受け入れだった。気仙沼商工会議所などにアドバイスを請いながら、2013年、以前から気仙沼市と交流を深めていたインドネシアから、数人の実習生を受け入れることとなった。

「受け入れ始めのころは、現場にいる作業員たちには苦労があったと思います。宗教上の制約もあり、こちら側が勝手に壁をつくってしまっていた部分もあったかもしれません。お互いに歩み寄りながら、コミュニケーションを図ることで、徐々に打ち解けていきました」。

「多文化共生社会」を目指す菅原工業では、2019年に気仙沼市内にインドネシア料理店をオープン。同年、「ムショラ」と呼ばれるイスラム教の礼拝所を設置するなど、近年もさまざまな取り組みを行っている。
「菅原工業が多様性への一歩を踏み出した」と菅原氏が振り返るように、実習生の受け入れは会社にとって次のフェーズへ突入する転機となった。

インドネシア料理店 インドネシア料理店
イスラム教の礼拝所「ムショラ」 イスラム教の礼拝所「ムショラ」

菅原工業の挑戦はそれだけにとどまらなかった。実は技能実習生を受け入れた背景には、もう一つ大きな理由があったのだ。

「技能実習生たちが母国に戻った時に、菅原工業で培った技術を現地でビジネスとして展開したら、面白いのではないかと思ったんです。ただ雇うだけではなく、人材として育て上げることで、海外にも事業を展開していこうともくろんでいました」。

そして2015年、インドネシアに合弁会社を設立し、海外進出への大きな一歩を踏み出す。菅原氏が目を付けたのが、リサイクルアスファルトを用いた道路整備事業。インドネシアがアスファルトを輸入に頼っていたことから、環境問題へのアプローチも視野に入れていた。

インドネシアでの道路整備事業 インドネシアでの道路整備事業

「インドネシアでは車道が壊れると上にどんどんアスファルトをかぶせていて、車道と歩道の段差がいびつな状態になっていました。それならば、道路の表面を削って得られた廃材を再利用する、日本ではおなじみのリサイクルアスファルトのシステムを導入したらいいのではないかと思い、現地で提案しました」。

日本の地方の中小企業であるがゆえ、当初は現地の企業や団体に話を持ちかけても、たらい回しにされることが多かったという。それでも、2017年に国際協力機構(JICA)の「中小企業・SDGsビジネス支援事業」に採択されると、事業は一気に加速。同年、リサイクル骨材(剥がしたアスファルトを破砕して粒度を調整した物)を製造するプラントを建設すると、2022年10月には2基目のプラントを建設。道路整備事業の本格的な稼働に向け、準備は着々と進んでいる。

若き人材の掘り起こし、100年続く企業を目指す

菅原工業では、地域に根差した企業として、気仙沼市で暮らす若者たちを対象とした人材育成にも力を入れている。

「2017年ごろに、大卒の新入社員を採用したいと思って、就職情報サイトに登録してみたことがありました。でも、面接に至ったのは1人だけで、その学生にも辞退されてしまいました。地方であるがゆえ企業のアピールも難しい中で、誰にアプローチすればいいのかと考えた時に、まずは地元の若者に菅原工業の魅力を知ってもらうことから始めなければならないのでは、と思ったんです」。

そこで、地域教育事業という名のもと、2016年より中学生を対象とした出前授業を開始。職場体験も積極的に受け入れるなど、将来を担うこどもたちとの交流を深めていった。普段は触れることの無い業種とあってか、「建設業の仕事に興味を持った」という、うれしい反応が返ってくることもしばしばある。2021年春には、出前授業を受けた若者が正社員として入社するなど、じわじわと成果を生み出している。

地域教育事業で授業を行う菅原氏 地域教育事業で授業を行う菅原氏

2020年には新たに「菅原工業人事部」事業を立ち上げた。大学3年生を対象に、気仙沼市から市外、県外に進学した学生や、気仙沼市に興味のある学生たちを集めたコミュニティーをつくり、月1回のイベントで親睦を図りながら、将来を担う人材を発掘するという試みである。

菅原工業人事部人材育成事業の取り組み。気仙沼市の企業と仙台市の大学生が、フラットな目線で直接対話ができる場を創出している 菅原工業人事部人材育成事業の取り組み。気仙沼市の企業と仙台市の大学生が、フラットな目線で直接対話ができる場を創出している

これが効果を呼び、2021年の春には5人の大学生が菅原工業に新卒入社。この実績を基に菅原工業人事部事業は現在、自社のみならず気仙沼市内の企業数社を集め、企業と学生のマッチングの場としても展開中だという。

「『どうすれば菅原工業を働き口として選んでもらえるだろうか?』という疑問を若手社員やインターン生たちに投げかけ、そこで得た意見やアイデアを積み上げながら形にしていった事業でした。いわゆる“Z世代”と呼ばれる若い人たちと私とでは価値観が全然違います。だからこそ違った目線からのアドバイスがもらえる。本当に貴重な機会なんです」。

女性社員も活躍する 女性社員も活躍する

次なる目標は、次世代を担うリーダーの育成だ。現在、菅原工業では本社のほか、インドネシアの合弁会社、さらにはインドネシア料理店など、複数の会社・店舗の経営を手がけている。10年以内にそれらをホールディングス化し、それぞれにトップを置くことでさらなる事業の拡大を目指しているという。

「創業から55年以上たちましたが、目指すはやはり100年企業です。その前にグループ全体で売り上げ100億円を突破しようと、みんなで意気込んでいます。『100年100億』を目標に、これからも地域を活性化させていきたいです」。

東日本大震災の苦難を乗り越え、強く、たくましく飛躍を遂げた菅原工業。何事も常に未来を見据え、行動していく。その挑戦の姿勢こそが、会社を成長させる原動力になっている。

課題

・災害復旧工事により需要が急激に増加。人材を確保したい一方で、工事完了後の安定経営を想定し、雇用を増やすか現状を維持するかの選択に悩まされた。

・新卒採用の募集をかけても人が集まらず、若手社員の人材不足に陥った。

解決策

・人材の確保と将来的な海外進出を見据え、インドネシアから技能実習生を受け入れた。

・2016年より気仙沼市の中学生を対象に地域教育事業を展開。2020年からは「菅原工業人事部」を立ち上げ、大学生との意見交流・人材発掘などを行った。

効果

・技能実習生が会社の貴重な戦力として活躍。インドネシアでの事業展開も進み、2015年に合弁会社を立ち上げ、2022年までにリサイクル骨材の製造プラント2基を現地に建設した。

・2021年春には大学生5人が新卒入社するなど、定期的に若手社員が入社。平均年齢が大幅に若返った。

福島宮城岩手の最新事例30