株式会社阿部長商店

株式会社阿部長商店

【宮城県気仙沼市】

高次加工で水産物の価値高め
観光とのシナジーで地域と共に発展を

企業概要

  • 企業名 株式会社阿部長商店
  • ヨミガナ カブシキガイシャアベチョウショウテン
  • 業種 飲食料品卸売業/食料品製造業/宿泊業/飲食料品小売業
  • 代表者 阿部泰浩氏[代表取締役]
  • 所在地 宮城県気仙沼市港町2-13
  • TEL 0226-22-1661
  • WEB https://abecho.co.jp
  • 創業年 1961年
  • 資本金 5,000万円
  • 従業員数 676人
  • 売上高 非公開

企業概要

1961年創業、1968年法人設立。生鮮出荷や加工品製造などの水産事業と、ホテルや観光施設の経営といった観光事業の2大柱をはじめ、物販事業、飲食事業、不動産事業を展開している。観光事業部門と水産事業部門の有機的なネットワークによる、安定した資源調達力で地産地消を推進し、三陸の食文化を伝える取り組みを行っている。

8つの工場全壊し、被害総額100億円も「ゼロじゃない」

株式会社阿部長商店 代表取締役 阿部泰浩氏 株式会社阿部長商店 代表取締役 阿部泰浩氏

宮城県気仙沼市に本社を置き、水産、観光、物販、飲食、不動産の事業を展開する株式会社阿部長商店。東日本大震災の津波によって、気仙沼市、宮城県石巻市、岩手県大船渡市の計8つの工場が全壊した。秋から冬にかけて仕込みが終わり、冷凍保管していた原料もほぼすべて失った。被害総額は100億円を超える。

商談会で中国・上海にいた代表取締役の阿部泰浩氏は3日後に気仙沼へ戻り、翌朝、歩いて15〜20分で着くはずの工場へ、がれきを乗り越えながら4時間ほどかけてたどり着く。跡形も無くなった光景を見て、「本当に現実だったんだなと思い、南三陸以外の工場はすべて駄目だろうと察しました」と言う。

被災当時の阿部長商店の様子 被災当時の阿部長商店の様子

当時、グループ全体で800人の従業員を抱え、阿部長商店単体で650人ほど。無事かどうか一人ひとり追っていき、2週間ほどでほぼ全員の被害状況を把握。残念ながら犠牲になった人もおり、阿部氏の同級生で石巻工場の責任者を務めていた男性は、全員を避難させた後で逃げ遅れたと分かった。「命を落とした従業員にはずっと申し訳ない気持ちを抱えています」と阿部氏。

阿部長商店は、宮城県南三陸町で水産物の販売を行っていた阿部氏の父、阿部泰兒会長(2019年逝去)が1960年チリ地震津波で店舗を流され、気仙沼に移って翌年開業したという歴史がある。2011年は創業50周年の節目の年。50年積み上げてきたものが流されたことで、泰兒会長もさぞ落胆していると思われたが、「帰ってきたら一番元気なのがおやじでした。『なあに、元々ゼロから始まったんだ。今はゼロじゃないだろう』と」。

言われてみれば、高台にある南三陸町の工場と3つの観光ホテルは無事で、多くの従業員が生きて残っている。「それを聞いた時に、ああそうか、やれるんだなと。何とかもう一度立ち上がってみようと希望が持てました」と振り返る。

当時、阿部氏も家を流されホテルで50人ほどの従業員と避難生活を送っていた。「ホテルの食材をみんなで少しずつ分け合って食べていました。でも、これで雇用関係が切れてしまったら、助け合いができなくなるんじゃないかと。国の支援が無くても、持ちこたえられるところまでは耐えてみよう」と一時解雇の選択は取らなかった。

水産事業の反省 積極的な営業活動で大手取引先との接点を掴む

その後、雇用調整助成金が適用されることが分かり、申請をして、工場再稼働までの人件費の大半を賄った。しかし、働く場を求めて20〜30代の従業員が100人ほど退職。現在主力となっているはずの戦力を失ったことは今も影響が大きいという。

「この地域は時間が止まっているようでしたが、首都圏に行けば経済活動は活発になっているし、仕事もたくさんある。だから、私たちが今後に期待していた世代の人たちが一気に抜けてしまいました。その人材が残っていたら、もっと楽に仕事ができていただろうなと思います。今も大きな課題です」と明かす。

グループ補助金を活用して各工場の再建を進め、2014年にはグループ基幹工場となる気仙沼食品新工場が完成する。それまでの間、阿部氏はこれまでの水産事業を総括していた。

2014年に建設した気仙沼食品新工場 2014年に完成した気仙沼食品新工場

「しばらく時間があったので、どういうふうに再開すべきかと、毎日のように考えていました。一番に思ったのは、これまで水産ってあまりいい仕事じゃなかったなと。たくさん水揚げがあって、国内は魚が飽和しているので、海外にも輸出しなければと、需給バランスを自分たちで崩していましたよね。大量に買ったものを相場に任せて大量にさばくだけで、価値が付けられない。それが昔のようには魚が取れなくなり、値段も上がらなくなり、売れなくなってしまった。せっかくある水産資源をもっと生かすべきだったなと反省しました」。

そこで再建に当たって、従来の仕事を再開するだけではなく、価値を高める仕事をしていこうと決意する。それには絶えず変化する東京のマーケット事情を知る必要があると考えた。そこで、東京都が行っていた被災企業向け支援を活用して都内にオフィスを借り、取引実績の無かった大手と接点をつくるべく、数人を常駐させて積極的な営業活動を行ったのだ。

「工場を作って仕事を始めてからどうやって売ろうかと考えるのではなく、販売を先行する。お客さんと関係を持って、情報交換しながら商品を作っていった方が絶対にいい立ち上がりになるという考えで進めていきました」。

初のレトルト加工食品が復興のシンボルに。強み生かしヒット連発

ホテルは2011年4月下旬に営業を再開し、復興事業に携わる人やボランティアなどの支援者、観光客など全国から多くの人を受け入れていた。気仙沼の水産加工品を土産で買って帰りたいという声が多かったが、当時は阿部長商店同様に市内の水産加工会社も工場を失い、商品の供給が止まっていた。

そうした中、完成して半年もたたず津波に遭った大船渡の工場で、被害の少なかった2階の加工ラインが稼働できるめどが立つ。そこで、売店で一番の売れ筋だったレトルトふかひれスープをホテルの調理人らで独自にレシピを開発し、工場のラインに落とし込んで、「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」として商品化。同年7月にリニューアルオープンにこぎ着けた阿部長商店の直売センター「気仙沼お魚いちば」で販売を始める。

最初のヒット商品「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」 最初のヒット商品「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」

「当時はホテルの関係者も、水産の事業所のメンバーも、何とか早く工場の1ラインでも動かして仕事をしたいと、みんながそこに照準を合わせていました。今のようなきれいなパッケージではなく、無地の袋にシールを手で貼ったものでしたが、それがわれわれの復興のシンボルになりました」と阿部氏は振り返る。

自社での商品開発も、レトルト加工食品の製造も販売も初めてのことだったが、いち早く土産売り場に並んだ「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」は飛ぶように売れた。この成功が、その後の自社商品の積極的な展開につながる。その後は若手社員の発案で開発プロジェクトが進み、2014年に発売した「ajillo×アヒージョ」も大ヒット。

2014年発売の「ajillo×アヒージョ さんまとトマトのアヒージョ」。旬の時期に水揚げされた三陸のサンマとフレッシュトマトをアヒージョに。 2014年発売の「ajillo×アヒージョ さんまとトマトのアヒージョ」。旬の時期に水揚げされた三陸のサンマとフレッシュトマトをアヒージョに

「若い人が考えればこんな商品ができるんだなと。私のような従来の魚屋は和食のイメージしか無かったので、オリーブオイルで煮込んだ、パンやパスタに合わせられる商品というものに、魚の新たな可能性を教えてもらいました」。

女性や若年層に魚食を広げる商品として評価され、2015年には宮城県水産加工品品評会で農林水産大臣賞を受賞する。

次々とヒット商品を生み出せる背景には、ホテルのレストランでテストマーケティングができるという他社にはまねできない強みがある。

「お膳の小皿やバイキングの一品で提供して、評判が良ければ次は売店でテスト販売する。そうやってお客さんの反応を見ながら商品にできているので、外れが少ないというか、ニーズを十分にくみ上げられているのかなと思います」。

発売以降好評の「気仙沼港町のパスタソース×4種」をはじめ、「あぶりさんま」「三陸漁師めし 気仙沼一本釣りかつお漬け」など新商品を次々発売 発売以降好評の「気仙沼港町のパスタソース×4種」をはじめ、「あぶりさんま」「三陸漁師めし 気仙沼一本釣りかつお漬け」など新商品を次々発売

業績回復の水産は次の一手。苦境の観光は「笑い」で打開

2017年度には売上高が東日本大震災発生前の水準まで回復したが、「元々あった拠点が全部そろって、そこで仕事ができるようになっただけに過ぎません。特に高次加工商品の分野はまだまだ合格点ではない」と阿部氏。いまだ売り上げの柱は鮮魚や冷凍魚、一次加工品で、現状20%ほどの高次加工品の割合を35〜40%程度まで上げて、減少の一途をたどる水揚げに左右されない体制を整えたいと考えている。

「震災前に戻ることが目標ではなく、単なる通過点。大事なのはこれから」と、打つ手を緩めない。その一つは輸出。前述の反省から、「和食がこれだけ世界に広まっているのだから、素材を生かして付加価値のある商品を作って、もっと評価を受けることができないだろうか」と同業者に声をかける。

2016年以降、復興庁のチーム化モデル事業により、青森県八戸市、岩手県普代村、大船渡市、宮城県気仙沼市、石巻市の5地域7メーカーで輸出チームをつくり、経済成長著しい東南アジアへの輸出に向けた営業活動を行っている。生食文化が根付く日本の魚の管理技術、安全性と品質の高さから、商談でも手応えを感じているという。HACCPやハラール認証、FSSCといった国際認証を取得し、どこにでも出せる状態も整えた。

水産事業が順調な一方で、観光事業は新型コロナウイルス禍で低迷している。ホテルの売り上げは半減し、水産まつりのような人の集まるイベントも開けない状況が続いた。「思わず下を向いてしまうような時期でした」。

そんな時、知人が吉本興業株式会社の副社長とつながりがあると知り、「笑いでこの雰囲気を変えられるかもしれない」と相談を持ちかけ、気仙沼の海産物を使った商品開発などに取り組む「フカカツ(復活)気仙沼プロジェクト」を共同で立ち上げる。調理師免許を持つ気仙沼市住みます芸人「けせんぬまペイ!」こと加藤哲平氏がオリジナル商品を開発し、YouTubeやSNSを通して気仙沼を発信している。

「フカカツ(復活)気仙沼プロジェクト」の記者発表会にて。ゆるキャラのホヤぼーやと、吉本芸人のけせんぬまペイ!(加藤哲平)、パンサー尾形がPRに出席 「フカカツ(復活)気仙沼プロジェクト」の記者発表会にて。ゆるキャラのホヤぼーやと、吉本芸人のけせんぬまペイ!(加藤哲平)、パンサー尾形がPRに出席
プロジェクトのオリジナル商品「気仙沼フカカツ(復活)サンド」 プロジェクトのオリジナル商品「気仙沼フカカツ(復活)サンド」

「気仙沼は水産と観光の町。その両方を融合させた取り組みを、ホテルや観光施設、工場といった自社のリソースを活用し、さらに地元企業や広域と連携しながら行っていきたい」と意気込む阿部氏。「笑い」で苦境を打開し、水産と観光のシナジーで地域と共に発展し、100年企業への道を突き進む。

課題

・津波で8つの工場が全壊し、原料も流出。従業員の働く場が無くなった。

・これまでの水産事業は水揚げと相場に任せて大量に水産資源を消費し、需給バランスを崩していた。

・コロナ禍により観光事業が低迷し、ホテルの売り上げが半減。

解決策

・グループ補助金で工場再建。雇用調整助成金で人件費を賄う。

・価値を高める仕事を決意。調理加工食品の分野に進出。海外展開は高付加価値路線に。

・「笑い」で暗いムードを払拭しようと吉本興業と共同でプロジェクトを立ち上げ。

効果

・2017年度に売上高が東日本大震災発生前の水準まで戻る。

・ヒット商品が生まれ高次加工品の割合が売り上げの20%に。海外での商談に手応え。

・吉本興業所属芸人がオリジナル商品を開発し、YouTubeやSNSで気仙沼を発信。

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