山元いちご農園株式会社
【宮城県山元町】個人より地域の復興を考え法人設立
観光イチゴ農園で山元町を活性化
企業情報
- 企業名 山元いちご農園株式会社
- ヨミガナ ヤマモトイチゴノウエンカブシキガイシャ
- 業種 農業/食料品製造業
- 代表者 岩佐隆氏[代表取締役]
- 所在地 宮城県亘理郡山元町山寺字稲実60
- TEL 0223-37-4356
- WEB https://www.yamamoto-ichigo.com/
- 創業年 2011年
- 資本金 300万円
- 従業員数 44人
- 売上高 2億5,000万円
企業概要
東日本大震災発生からわずか3カ月後に、3戸の被災農家が立ち上げた農業法人。最先端技術を駆使したイチゴの栽培の他、観光客向け施設の建設や、自社のイチゴを使ったワインなど新商品の開発にも精力的に取り組んでいる。
一人でも多くの人が町に戻れるように復興のため法人化を選択
かつてイチゴ産地として栄えていた宮城県山元町は、東日本大震災で甚大な津波被害を受けた。先代から受け継いだイチゴ農園を個人で営んでいた代表取締役の岩佐隆氏自身も被災し、畑や田んぼ、ビニールハウスも全て津波で流されてしまった。
「『もう山元町では農業ができない』と言って町を離れた人も多くいました。それでも、被害を目の当たりにした時に、農業をもう一度やって、地域全体で復旧復興を考えなくてはいけないという思いに駆られました」と岩佐氏は振り返る。
加えて、以前から抱いていた「山元町の農業を地域の基幹産業として次世代につなげたい」という秘めた願いも背中を押した。当時は「まだ農業どころじゃない」という声もあったが、「農業に、そしてこの町に、一人でも多く戻ってきてほしい。そのためにも多くの雇用を生み出すことが必要だ」と、いち早く山元町の農業再生に向けて動き出した。
「個人の復旧だけでは、地域の復興にはつながらない」と考えた岩佐氏は、東日本大震災のわずか3カ月後に、3戸の被災農家と共に山元いちご農園株式会社を設立。法人化には多大な投資が必要だったが、設立が早かった故に制度が追い付いておらず、恩恵を受けられなかった補助金や支援金も多かった。全面的に支援してくれた銀行もあり、運営資金の工面はできたものの、どう返済していくかが課題となった。
当初、頭を悩ませたのが栽培方式。被災前までは露地栽培で畑に直接イチゴを植えて育てていたが、津波の浸水で土壌の塩分濃度が高くなり、昔と同じような地植えでは育たない。また、土や水に対する風評被害も当時は深刻だったことから、ハウス内の棚にヤシ殻を敷いてイチゴの苗を育てる高設栽培方式を取り入れた。
2011年8月にはハウス建設に着手。限られた資金と労働力を最大限に生かして生産・収穫ができるように、最先端の環境制御システムも取り入れ、コンピューターによってビニールハウスの環境を「見える化」した。それによって、遠くのハウスにわざわざ足を運ばずに、温度や湿度などを自動で管理できるようにもなり、限られた労働力の有効活用にもつながった。
山元町の復興をアピールするため観光農園や体験施設を整備して集客
出荷を始めた2012年に40tだったイチゴの生産量は、2015年以降、右肩上がりで160~180tに増加。国内でも最大級の規模になった。しかし、「作ったイチゴを市場に卸すだけでは、山元町が農業で復興していることを知ってもらえない。実際に足を運んで復興していく町とイチゴを見て、知ってほしい」と次のステップを思案。
まず、2013年3月にはイチゴ狩りを楽しめる観光イチゴ農園を開園し、翌年にはイチゴを使ったスイーツやランチを提供する農園併設カフェ「Berry Very Labo」を開店した。さらに2016年8月には、栽培だけでなく、加工、販売までを手がける「6次産業」を軸とした総合農園を目指そうと、3億円を投資して敷地内に「6次化センター」を設置。その中には、自社で生産したイチゴを原料としたワインを造る醸造施設を建設。東日本大震災農業生産対策交付金、クラウドファンディングなど、利用可能な制度や民間支援などを最大限活用した。
その後も、2017年にはバウムクーヘンを製造・販売する「夢工房やまもとバーム」を開店し、バウムクーヘン作り体験をスタート。人気の観光スポットとして注目されるようになった。
それらの効果は絶大で、2017年には7万7,000人もの観光客が訪れるなど、シーズン中は常に予約でいっぱいとなった。新型コロナウイルスの影響により、2020年以降は来園者が減ってしまったが、2023年に入りコロナ禍前のにぎわいが戻りつつある。
事業拡大で雇用を生み出し農業を地域の基幹産業に
事業を拡大することで業績が上がり、雇用の創出にも一役買っている。農園では、時期により変動があるものの50人ほどが働いており、先進の設備を備えた新しい農業の働き方を模索することで、農業に興味を持つ若い世代も増えている。
「収益性の高い産業としての農業のモデルになればうれしい。法人化して、一つの農家で40~50人の雇用が生み出せれば、10社あれば約500人が働ける。それにより山元町の定住者も増加する」と、農業が地域の主産業になる未来を見据えている。
事業拡大は、雇用創出や収益増加以外にも理由がある。「東日本大震災の後、本当に多くの方に助けてもらった。農業を再開するに当たり、草刈りをしてくれたり、がれきを拾ってくれたりと、地道な作業を手伝ってくれた人もいる。その恩返しをしていくのはもちろん、復興していく山元町の姿を多くの人々に見てほしい」と岩佐氏。イチゴ農園は山元町の情報発信の拠点としての役割も担う。
その一環として、2023年にはタイやマレーシア、台湾、シンガポールといった海外への輸出もスタートした。輸送コストがかかり、検疫や農薬などの問題も絡むため簡単なことではないが、「東日本大震災後は海外の方にも支援していただいた。その恩返しになれば」と、各機関との調整を重ねるなど労力を惜しまない。輸送の際に傷めないパック詰めの方法を採用し、鮮度維持のために冷凍して出荷。「山元町のおいしいイチゴを食べてほしい」という一心で、新たな挑戦を続けている。
「雇用を増やし、定住者を増やす。そして、山元町の農業を震災前より一歩でも二歩でも前進させる。それが一番の目標かな」。バイタリティーあふれる岩佐氏は笑顔でそう語る。
・甚大な被害を受けた山元町。個人ではなく、地域として復旧復興を考えなくてはいけない。
・津波の浸水で土壌の塩分濃度が高くなり、畑に直接イチゴを植えても育たなくなった。
・作ったイチゴを市場に卸すだけでは、山元町が農業で復興を進めていることを知ってもらえない。
・3戸の農家と共に山元いちご農園株式会社として法人化。
・土を使わず、ヤシ殻を用いた高設栽培方式を採用。
・観光農園やカフェ、ワイナリーなどを建設。6次産業を軸とした総合農園を目指す。
・法人化で地域雇用を創出し経営体のモデルになり、地域の中でも法人化する農家が増えてきた。
・年間160〜180tのイチゴの生産に成功。
・2017年には観光客が7万7,000人と、山元町を訪れる人が増えた。