石巻の水産物で事業の幅を広げ トレンドを読んでヒット商品を生み出す

株式会社ヤマナカ

【宮城県石巻市】

石巻の水産物で事業の幅を広げ
トレンドを読んでヒット商品を生み出す

企業情報

  • 企業名 株式会社ヤマナカ
  • ヨミガナ カブシキガイシャヤマナカ
  • 業種 食料品製造業/飲食料品卸売業
  • 代表者 千葉賢也氏[代表取締役社長]
  • 所在地 宮城県石巻市幸町1-38
  • TEL 0225-24-3373
  • WEB https://www.yamanaka.co/
  • 創業年 2007年
  • 資本金 1,600万円
  • 従業員数 44人
  • 売上高 10億円

企業概要

外資系保険会社に勤めていた髙田慎司氏が2007年創業、2008年設立。当初は地元で養殖されるホヤを取り扱い、現在は主にホタテ、カキの加工、出荷を行う。近年はカキの輸出に力を入れ、コロナ禍を機に水産加工品の製造販売にも取り組む。

石巻の水産物の価値を広めようと妻と2人、トラック1台で創業

創業者の髙田慎司氏は保険業から、現社長の千葉賢也氏はコンサルティング業から水産業に転身。異業種に身を置いていたからこそ、当たり前のようにある石巻の水産物の価値を見いだし、可能性を広げてきた。

現代表取締役社長である千葉賢也氏 現代表取締役社長である千葉賢也氏

外資系保険会社に勤めていた髙田氏が畑違いの水産卸売業に参入したのは、飲食店でたまたま仲卸業者と知り合ったのがきっかけだった。「新鮮なホヤが欲しい」という求めに応じ、髙田氏の地元である宮城県石巻市で仕入れ、1箱を届けると、仲卸業者はその品質に驚き、それに見合った金額を支払った上で、継続的な提供を求めた。

地元に当たり前にあるホヤが評価され、石巻の豊富な海の幸が外に向けてPRできていないことに気付いた髙田氏。金融ビッグバンにより日本の金融業界は不安定な状況が続いていたことや家庭の事情もあり、畑違いの水産卸売業への参入を決める。2007年、妻と2人、トラック1台での創業だった。

翌2008年に株式会社ヤマナカを設立。ホヤは当時宮城県内で6,000tから8,000tの水揚げがあり、そのうち7割が韓国向けに輸出されていた。そのため国内の需要に供給が追い付いておらず、卸せば卸すだけ売り上げが伸び、業績は右肩上がり。2010年には年商2億円を達成した。

そこへ東日本大震災が襲う。全てをのみ込みながら目の前を通過していく津波を見て、髙田氏は虚無感に襲われる。しかし、避難生活を送っていた実家に従業員が日々訪れて無事な姿を見せ、ついに最後の一人の無事が確認できた時、安堵(あんど)の涙とともに、「仲間のために」と事業継続を決意する。当時15人いた従業員のうち10人を、再雇用を見据えていったん解雇して失業保険を受給してもらい、残る社員で4月に再稼働した。

被災後にスピード感ある対応で売り上げを伸ばし、海外展開

津波で工場と事務所が浸水。港は壊滅し生産者の船や養殖施設が流され、原料が手に入らなくなった。原料がなければ事業は成り立たない。そこで、生産者が養殖・出荷を再開するまでの期間は、冷凍倉庫の原料を扱う業者からの下請けで1次加工を行ったり、無事だった地域で水揚げされた素材を加工したりと、「現状を打開するために何ができるか」を考え抜いて動いた。

この対応力がヤマナカを押し上げていくことになる。採算的には赤字だったが、仕事を続けることを優先し、残った5人が食いつなぐための量をこなした。大きな工場で多くの従業員を抱える同業他社に比べてすぐに再稼働していたこと、大口の固定客が少なく小回りが利く状態だったことが幸いして、新規の取引先が増え、2012年度には東日本大震災前の売上高を上回る。その後、港や船、養殖施設が復旧して水揚げが回復すると、2015年度には売り上げが10億円を突破した。いったん解雇した従業員も再雇用でき、社員数は30人を超えるまでになった。

2017年に現在の社屋兼工場が完成。同年に現代表取締役社長の千葉氏が入社する。ところが、東日本大震災後に韓国の水産物禁輸措置により、国内での相場が崩れたホヤに代わって主力商材となっていたホタテが、この頃から原料不足になる。

2017年に完成した社屋兼工場 2017年に完成した社屋兼工場
被災時に5人となった従業員は、2023年には44人まで増加 被災時に5人となった従業員は、2023年には44人まで増加

新工場建設で格段に増えた固定費に対して売り上げが落ち込む中、ここで稼ぎ頭となったのがカキ。垂下式養殖発祥の地とされる宮城の名を冠した「MIYAGI OYSTER(宮城オイスター)」としてブランド化し、2018年から海外の商談会や見本市で売り込んだ。

MIYAGI OYSTER(宮城オイスター) MIYAGI OYSTER(宮城オイスター)

海外で主流の、一つ一つのカキを放し飼い状態で育てるシングルシード式養殖は形が均一に整うが、カキとカキが密集して押し合いながら育つ垂下式養殖のカキはいびつな形で、現地では抵抗を受けた。「とにかく一度食べてみてと。確かに形や大きさはバラバラだけど、味はいいし、しかも安い。それなら全然いいじゃないかと考えてもらえるお客さんから徐々に広げていきました」(千葉氏)。

今では日本産カキは商材として魅力的だという認識が広がり、東南アジアのマーケットで引き合いが強く、出荷量も単価も上昇。円安も追い風となって、供給が追い付かない状況にある。

コロナ禍で開発した加工商品がヒット 最大の課題にも次の一手

千葉氏が専務取締役に就任した2020年4月は、コロナ禍の始まりだった。「卸売業というのはBtoBで、卸したものは主に飲食店さんに行く。その飲食店さんが営業自粛で休業や時短営業を余儀なくされ、商品が全然出ていかなくなりました」。

販売先が限定的であることのリスクを痛感し、「一般消費者の方に手に取ってもらえるものを作ろう」と、それまでも問い合わせの多かった加工品の製造に乗り出す。「その中でも日常的な食料品ではなく、ちょっとぜいたくなものを作ってみたいなと。そして地場のものを使おうと、宮城産の主原料にこだわった加工品を展開しています」。

以前からトレンドになっていた中食需要がコロナ禍で急拡大し、「プチぜいたく」な高級路線の商品が伸びているところに、この戦略はマッチ。中でも、宮城県産カキ、蔵王山麓バター、秋保ワイナリーの白ワインを使った「オイスターパテ」はヒット商品となり、農林水産大臣賞を受賞。メディアにもたびたび取り上げられ、そのたびにECサイトで注文が急増するなど、売り上げを伸ばした。

ヒット商品となり、農林水産大臣賞を受賞した「オイスターパテ」 ヒット商品となり、農林水産大臣賞を受賞した「オイスターパテ」

こうして会社設立以来、多くの危機を乗り越えてくる中で認識したのは、原料の確保が事業継続における最大の課題だということ。その対策として、高水温に耐え得るホタテの種苗開発や、自社グループでのカキ養殖、海の邪魔者とされるアカモクを化粧品に転用する革新的な取り組みも進めている。

生産者と連携して石巻の水産物の魅力を対内的、対外的に広げ、「地元の基幹企業になりたい」と千葉氏。幾度の困難にもスピード感を持って対応してきたその機動力と柔軟性で、時代の荒波を越えていく。

課題

・津波で港が壊滅し船や養殖施設が流され、原料が手に入らなくなった。

・主力商材のホタテは原料不足、ホヤは国内相場が崩壊。

・コロナ禍で飲食店が営業自粛し、BtoBの需要が減る。

解決策

・被災1カ月後には、冷凍原料や無事だった地域で水揚げされた素材など、魚種を問わず加工に対応。

・カキをブランド化し、海外の商談会や見本市で売り込む。

・一般消費者向けに加工品の製造を始める。

効果

・新規の取引先が増え、東日本大震災前の売上高を上回る。

・東南アジアを中心に出荷量や単価も上昇し、カキの供給が追い付かない状況に。

・「オイスターパテ」がヒット商品となり、農林水産大臣賞を受賞。

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