復興五輪の取組・レガシーについて

復興五輪として主にこちらの取組を実施しました。全体の取組及びレガシーについては、以下のとおり取りまとめております。なお、大会記録全体(復興五輪関係は73頁~181頁、218頁、221頁~229頁、259頁~260頁)は内閣官房レガシー推進室はこちらのページをご覧ください。

(1)被災地での競技開催

①競技場の整備・改修

競技開催の決定後、宮城スタジアムではピッチが宮城県山元町の被災農地で生産された新しい「復興芝生」に張り替えられ、福島あづま球場では天然芝が水はけのよい人工芝に張り替えられる等、競技場の整備・改修が進められました。

②競技の開催及び日本代表の活躍等

大会期間中、福島あづま球場においては、ソフトボールが開会式に先立ち令和3年(2021年)7月21日及び22日に、野球が28日に、それぞれ無観客で開催されました。 宮城スタジアムにおいても、サッカーが6日間にわたり有観客(上限1万人)で開催され、競技の開催により被災地に世界の注目が集まりました。両会場で開催された試合において、日本代表はいずれも勝利を収め、ソフトボール及び野球においては金メダル獲得の原動力となりました。
また、大会期間を通じて、被災地出身者や被災地にゆかりのある多くの選手がメダリストとなりました。なお、東日本大震災で被災後に復旧した茨城カシマスタジアムにおいても、原則無観客(一部学校連携観戦プログラムによる小中学生の観戦あり)でサッカー競技が開催されました。コロナ禍の下で競技が開催されたため、現地で観客と感動を共有することは困難でしたが、それでも被災地での競技開催は、被災地に喜びや勇気、感動を与え、日本代表等の 活躍は被災地をはじめ多くの人々の記憶に残るものとなりました。両会場は、日本代表が勝利した記憶を想起させる場としてみなされるようになっており、今後の競技場の更なる活用が期待されます。

③ボランティアの参画

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両会場(福島あづま球場、宮城スタジアム)及び周辺、聖火リレーにおいては、各県の募集した都市ボランティア等が活動に従事しました。大会運営はコロナ禍により当初の参加人数からの大幅な規模縮小を余儀なくされたものの、ボランティアの貢献によって支えられ、こうした人々の社会への貢献は海外の選手やメディア等からも高く評価されました。東京大会を契機として、人々の社会貢献意識がより高まり、共生社会の実現に向けた更なる取組の実施が期待されます。

(2)被災地を駆け抜ける聖火リレーの実現

①聖火リレーの実施及び「復興の火」の展示

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Jヴィレッジでの聖火リレーグランドスタートの様子
(提供:東京2020組織委員会)

被災地を駆け抜ける聖火リレーの実現に向け、平成30年(2018年)4月に、被災3県の聖火リレー日数を3日間とすることやオリンピック聖火リレーに先立ち聖火を「復興の火」として被災3県で順次展示する方針が決定され、同年7月には、聖火リレーの出発地点を福島県にすること等が決定されました。
その後、令和2年(2020年)3月12日にギリシャで採火された聖火は、特別輸送機で同月20日に松島基地へ運ばれ、到着式では、聖火皿への点火及びブルーインパルスによる展示飛行が実施されました。また同日から、宮城県、岩手県及び福島県で復興の火の展示が行われました。令和3年(2021年)3月には、Jヴィレッジにおける出発式から聖火リレーがスタートし、同月25日から27日にかけて福島県で、同年6月16日から18日にかけて岩手県で、同月19日から21日にかけて宮城県で聖火リレーが行われました。

また、聖火リレーとともに沿道の様子や地域の魅力あふれる風景等も放映(NHKウェブサイトでの配信等)されたことで、被災地の復興の姿の発信にもつながりました。震災後に原子力発電所事故収束作業の拠点として営業停止を余儀なくされ、その後全面再開したJヴィレッジから聖火リレーがスタートし、被災地を駆け抜けたことは、被災地の人々の記憶に残る機会となりました。被災地における聖火ランナーの募集に際しては、東日本大震災発生時の体験を背景に、地域に対して何らかの貢献をしたいとの意欲から募集に応じた人々も少なからずいました。
このように、聖火リレーの様子は、参加したランナーや、配信等を通じて現場を見守った多くの人々の記憶に刻まれたと考えられます。

②聖火リレーでの復興仮設住宅資材等の活用

聖火リレーに使われたトーチには、復興仮設住宅のアルミ建材廃材が使われたほか、聖火台及び一部の聖火リレートーチの燃料には福島県浪江町の「福島水素エネルギー研究フィールド」で製造された水素も活用されました。

(3)被災地の住民とともに推進した機運醸成プログラム

組織委員会により、被災地の復興を後押しすることを目的とした事業や文化プログラムが、被災地の人々の参画や関係機関との連携・協働を図りながら、検討・展開されました。

①「東京2020復興のモニュメント」の制作及び展示

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復興のモニュメント

被災地からのメッセージを載せた「東京2020復興のモニュメント」が大会時に国立競技場近くの聖徳記念絵画館前に設置されました。メッセージによって力を得たアスリートが高いパフォーマンスを見せ、それが再び復興に取り組む人々の原動力になるよう、被災地と世界をつなぐ事業として実施されました(本事業は、組織委員会が、東京都、東京藝術大学、岩手県、宮城県、福島県及び株式会社LIXILと連携して実施。)。本モニュメントは、被災3県の仮設住宅の窓などで使われていたアルミ建材を再生利用して制作され、デザインのイメージとメッセージは、東京藝術大学の学生と被災3県の中学生・高校生が協力してワークショップ形式で制作されました。
令和3年(2021年)12月、モニュメントが被災3県(岩手県:大槌町文化交流センター(おしゃっち)、宮城県:グランディ・21 宮城県総合運動公園、福島県:Jヴィレッジ)に設置されました。モニュメントには、被災地の中高生からの復興支援に対する感謝の気持ちや選手たちへの応援メッセージが記載された一方、大会に参加したアスリートによるサインも付されており、同モニュメントが大会後に被災地に設置されたことは、モニュメントを介して伝えられる双方の思いや大会の記憶を継承・共有する意義があると考えられます。

②「しあわせはこぶ旅 モッコが復興を歩む東北からTOKYOへPresented by ENEOS」の実施

東京2020NIPPONフェスティバルの主催プログラムの一つとして本事業が実施され、箭内道彦氏(クリエイティブディレクター)のコーディネートの下、宮藤官九郎氏(脚本家)が命名した「モッコ」をモチーフにした物語(又吉直樹氏(小説家)作)を聞いた被災3県の子供たち等がワークショップ形式で自由に表現した内容を踏まえて「モッコ」のデザインの原案が作成されました。完成したモッコは、令和3年(2021年)5月、岩手県陸前高田市をスタートし、宮城県岩沼市及び福島県南相馬市を巡って人々のメッセージを受け取った後に、同年7月、東京都新宿区に到着し、各地で受け取ったメッセージを紡いだ楽曲が世界中に向けて披露されました。

(4)被災地の食材や花き等の活用による魅力の発信

①被災地産食材等の活用・情報発信

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平成29年(2017年)3月以降、東京大会において被災地産食材を活用したメニューを選手等に対し提供し、高品質な食材を生産できるまでに復興した被災地域の姿を発信することや、被災地産食材の安全性に関する適切な情報発信を行うことが決定されました。組織委員会、東京都及び復興庁で共催した「ワールド・プレス・ブリーフィングレセプション」において、海外メディアに対して復興の状況のプレゼンテーションを行うとともに、被災地産食材を活用した料理や日本酒の提供等を行いました。
大会期間中、選手村の食堂では、被災3県の食材が毎日提供され、モニターによる食材の都道府県別の産地表示がカジュアルダイニングにおいてなされたほか、福島県をはじめとする被災地の安全・安心でおいしい食材が活用されている旨をPRするためのポスター(英・仏・日の3か国語別)を作成し、メインダイニング及びカジュアルダイニングにおいて掲示しました。
選手等によるSNSを通じた情報発信により、被災地産を含む日本の食材のおいしさや高評価が国内外に伝えられ、そのPRとなったほか、大会期間中、ソフトボールの米国・豪州代表監督から、福島県産の桃は「デリシャス」という発言があり、風評払拭につながる大きな反響がありました。これを受け、パラリンピック大会関係者に福島県産の新鮮で、おいしく、安全な農産品を味わっていただけるよう、JAグループ福島による組織委員会橋本会長への福島県産の桃及び梨の贈呈が行われました。
被災3県の花きが使用されたビクトリーブーケが、各国メダリストの表彰式に華を添え、国内外にその魅力が発信されるとともに、国立競技場のエントランスゲートの軒や大会期間中選手の生活を支えた選手村ビレッジプラザの施設では被災3県の木材も使用されました。大会後に解体されたビレッジプラザの木材は、各自治体に返却され、公共施設等で活用される予定です。

②復興しつつある被災地の姿や魅力の情報発信

JR山手線車内・JR駅自由通路の復興五輪に関する広告

JR山手線車内・JR駅自由通路の復興五輪に関する広告

新型コロナウイルス感染症の影響により、被災地への誘客や実食を通じた食材のPRが困難となりましたが、復興庁はオンラインを中心に多様な媒体を通じた情報発信を行いました。復興オリンピック・パラリンピックに関する情報発信は、復興庁ホームページ上の「復興五輪ポータルサイト」等を通じて行い、東京2020大会の開幕直前には、復興大臣による「「復興五輪」の開幕に当たってのメッセージ」を公表し、「復興五輪」の意義を示しました。
国内に向けた主な取組として、令和3年(2021年)7月に、プロスポーツ選手との交流や復興に関する学習、被災3県の食材を用いた食体験を通じて、被災地の子ども達を勇気付け、復興と地域の魅力への理解増進を図る目的で「子ども復興五輪」を開催するとともに、同月からJR山手線の車内・車体広告等において被災地の姿・魅力、復興五輪に関するポスターや動画を掲出しました。さらに、民間の「東北ハウス」(主催:東北経済連合会)の取組と連携し、被災地で活躍する方からの支援への感謝や復興の取組に関するパネルや動画を掲出しました。
海外に向けた主な取組として、同年2月に組織委員会・東京都と共同で、大会に関連する復興の取組(聖火リレー、被災地での競技開催、被災地の食材・木材・花きの活用等)をまとめたメディアガイドブックを公表・配布しました。
また、同年7月から組織委員会・東京都と共同で、メインプレスセンター(MPC)の一角に「復興ブース」を設置し、被災地の復興状況や大会で使用される被災3県で生産された食材・花き等の情報発信を行うスライド・動画を放映したほか、福島県産の木材を使用したベンチ(大会終了後、制作に携わった福島県の小中学校に返却され、活用)・座布団の設置、食材の安全性等の詳細情報のQRコードを付したポストカードの配架等により、被災地の食材や観光地の魅力等を伝え、海外メディアによる情報発信を促しました。同時に、被災地で活躍する復興の語り部や生産者、政府機関(復興庁・経済産業省・農林水産省)によるブリーフィングを実施し、支援への感謝や被災地の姿・魅力の発信、風評払拭を図りました。また、大会期間中訪日する関係者・選手が滞在するホテルにおいて、CNNジャパンを通じ、支援への感謝や被災地の姿・魅力、風評払拭に関する動画を放映しました。

(5)海外との友好関係の構築

スポーツの振興、教育文化の向上、共生社会の実現、地域活性化等の観点から、今回大会を契機に来訪する大会参加国・地域の方々との交流を通じ、特色ある地域づくりを目指す地方公共団体をホストタウンとして、平成28年(2016年)1月以降登録が開始されました。その一環として、政府の推進する「ホストタウン」において、これまで支援を受けた海外の国・地域に復興した姿と支援への感謝を伝えるとともに、地域住民との交流を行う「復興ありがとうホストタウン」の登録を推進(令和3年(2021年)8月末現在33件・33地方公共団体)し、競技大会に向けた交流を支援しました。


(6)「復興オリンピック・パラリンピック」の取組の効果等

①取組の認知度等

大会後復興庁が行ったアンケートでは、東京2020大会に「復興五輪」の意義があったことについての認知度や、東京2020大会は東日本大震災からの復興の観点からよかったと考えられることがあったとする回答は、いずれも6割を超える水準となりました。
回答中、認知度の高いものとしては、被災地での日本代表の勝利や聖火リレーの実施、被災3県で生産された食材の提供や花きのビクトリーブーケへの活用などが挙げられました。これらは、わかりやすいことに加え、SNSやニュース、新聞などで繰り返し採り上げられ、印象に残ったと考えられます。
また、大会期間中に実施された取組のいずれかを「復興五輪」のレガシーとして考えることに肯定的な回答は約6割であり、被災地の競技場が勝利を想起させる場になったこと、被災地の競技場が大会以降も活用されていること、Jヴィレッジからスタートし被災地でも実施された聖火リレーが人々の記憶に残ったこと、ソフトボールの米国・豪州監督による福島県産桃に対するデリシャス発言により、福島の桃の品質に対する高い評価が国内外に発信され、風評払拭に繋がったことなどをレガシーとして認識する回答が多く得られました。
さらに、各種の情報発信の取組については、コロナ禍による制約の下で実施され、感染防止の観点から、被災地への誘客や実食を通じた食材のPRが困難となったことから、認知度は総じて低水準となりましたが、交通広告の実施や、選手村食堂における被災3県で生産された食材のPRポスターの掲示、子ども復興五輪の実施などについては、若い世代ほど認知度が高くなる傾向(国内向け・海外向けの取組を含め、コロナの影響により情報発信の実施に制約のある中、いずれの取組も知らないとする回答が7割となったが、若い世代(20代以下の方(特に男性))の認知度が高い傾向が見られました)を示しており、デジタル環境に親しみのない層に対する情報発信の課題も窺えました。追加的な情報発信の取組としてどのような取組が望ましかったかとの質問に対し、東北復興についてメディアや報道で特集を組んでほしかった、全国紙での広告をすべきだった、海外へのアピールをもっとしてほしかった等の意見が示されました。

②レガシーの活用等の展望

前述の被災3県に設置された「復興のモニュメント」のほか、大会後、被災地の地方公共団体へのヒアリングによれば、被災地の聖火リレーのコースとなった被災3県の地方公共団体等では記念銘板の設置など、被災地における聖火リレーや競技開催の記憶を継承していく取組が検討されており、大会関連イベント等の開催、選手たちの活躍により与えられた勇気や感動など、復興オリンピック・パラリンピックとしての東京2020大会にまつわる記憶や思いを継承・共有し、被災地における多様な「つながり」を継続・発展させていく取組の実施が見込まれます。
また、被災地産の食材等については、今回の取組により得られた日本の食材等への高い評価を活かしつつ、海外の国・地域の輸入規制の撤廃に繋げていくため、被災地産の食材のおいしさや安全性といった魅力のPR等、引き続き風評払拭に取り組んでいく必要があります。
東京2020大会での取組の成果が継承・共有され、被災地の復興にも活かされることが重要であり、コロナ禍の収束後、世界から多くの人々に被災地を訪れてもらい、復興しつつある姿や食、観光地等の魅力を実感してもらえるよう、政府として今後とも機会を捉えながら、被災地の姿や魅力の情報発信、風評払拭等の取組を進め、被災地の更なる復興を後押ししていきます。

競技大会の開幕直前には、平沢復興大臣(当時)から「「復興五輪」の開幕に当たってのメッセージ」を公表して、「復興五輪」の意義を示しました。
詳細はこちらを御覧ください。