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土屋復興大臣記者会見録[令和6年1月18日]

令和6年1月18日(木)14:23~14:40 於)東松島市宮戸地区復興再生多目的施設 あおみな

1.発言要旨

 昨日は宮城県仙台市、七ヶ浜町、松島町、石巻市を訪問いたしました。本日は塩竈市、多賀城市、東松島市を訪問いたしました。

 各市町において首長の皆様と復興の状況等について意見交換をし、慰霊施設等にて献花・黙とうをささげました。

 また、仙台市では、「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」や「JRフルーツパーク仙台あらはま」を視察いたしました。石巻市では「石ノ森萬画館」、「いしのまきMANGA lab.ヒトコマ」、「いしのまき元気いちば」を視察いたしました。塩竈市では「塩釜水産物仲卸市場」を視察し、その後、「塩竈市魚市場」にて水産業関係者の方々と意見交換を行いました。東松島市では、防災体験型の教育宿泊施設である「KIBOTCHA」を視察いたしました。

 こうした訪問を通じて、市町ごとに住民の方々と丁寧に対話を重ねながら被災地の復興に向けた様々な工夫や努力をされていることを、復興大臣として肌身で実感することができました。

 なかなか時間がない中で、大変スピードのある視察ではございましたが、地元の皆様に御協力いただいたおかげで、非常に短い時間でありましても中身の濃い視察をさせていただいたという感想でございます。

 また、塩釜水産物仲卸市場の視察や水産業関係者との意見交換を通じて、三陸ものをはじめとする地元産品や地域の魅力を実感し、被災地における水産業のなりわい再生に引き続き取り組んでいきたいと、改めて決意いたしました。

 塩釜の水産業関係者、特に仲卸の方々からはいろいろな意見が出されました。その中で、やはりALPS処理水の風評のことについては心配されているお話もありましたが、私のほうから、様々な地域、国に対しても、国会議員一丸となって関係する国にメッセージを送っていると。安全なデータがありますよということで、安心してくださいという、そういうメッセージを送っているというようなことも御紹介させていただきました。

 また、販路についても、日本国内だけでなく、アジアで今、繁栄している国々に対しても、販路拡大に向けて我々も努力しているというようなことも伝えさせていただいた次第でございます。

 そういうことでお話しできたことも、私にとっても大変有意義であったと思います。これからも現場主義に徹底しまして、皆様がどれだけ努力しているかというのを私自身が肌身で感じながら、何か支援できることをしっかりとしていければと思った次第でございます。

  

2.質疑応答

(問)本日、東松島市を見られての感想を伺いたいのですが。

(答)私は国会議員になる前から環境問題に非常に関わってまいりまして、市長さんにあちこち紹介していただきまして、本当に一つ一つがすばらしい事業をしていることを感じました。

 そういう意味では、これからも地域の、市の発展のためにも、こういうSDGsを意識した環境問題に特化して頑張っている市というのはモデルになると思いますので、頑張っていただきたいという思いを強くした次第でございます。

(問)塩釜での水産業の関係者の方との意見交換の部分で伺いたいのですが。ALPS処理水の風評を心配する声というのは、具体的にどういった声が上がっていたのかというところと、販路拡大など、取り組まれていることを御説明した際に、理解というか、安心感につながったというような感想がもしございましたら、そこの部分も伺いたいです。

(答)ALPS処理水に関しましては、今の販路との関係もあるのですが、はっきり言うと、中国に大量に輸出していたものが突然、輸出できなくなったということでは、やはりいつまでもそれを引きずらないで、もちろん中国とうまくやることは大事なのですが、販路をできる限りいろいろなところに求めて、そういう施策をしてほしいという内容であったと思います。

 それから、販路について具体的には、私が紹介させていただいたのは、数日前にタイのほうへ出張しておりまして、これは福島に特化したものですが、福島の水産物を紹介するイベントがございました。バンコク市内のショッピングモールにおいて、復興庁主催の風評払拭イベントで、三陸・常磐ものを使用した海鮮丼とか、そのようなものを販売してイベントを行いました。

 そのときも本当にタイの方に大勢集まっていただいて、日本のブースができていたのですが、ブースにて、本当にたくさん食べていただいたということで。そこまで細かいことは話さなかったのですが、タイには今、5,600~700ぐらいの日本レストランがあって、日本ブームで、そのチャンスを生かしていきたいということで紹介させていただいて。仲卸ですから、仲卸から輸出できるようなものというのも考えていったらいいのではないかということをお伝えさせていただきました。

 市長さんもちょうど一緒に参加されていたので、そこら辺は市長さんのほうも、これから頑張っていきたいということをおっしゃっておりました。

(問)本日視察されました防災教育の施設KIBOTCHAのほうでは、どのような点に注目して視察されたのかお教えいただきたいと思います。

(答)トータルでびっくりしました。それで、本当に温かみのある施設だというのを感じました。押しつけではなく、自然体で防災を学べるようなところではないかと思います。

 そして、宿泊もできるし、宿泊しながらいろいろな人たちと交流しながら、その中でみんなが思っているいろいろな防災の意識とか、そういうものをお互いに話し合いながら、そして一緒に生活することによって何かを生み出せるのかなと思います。防災教育というのはなかなか難しいことだと思いますが、できる限り子どもの頃からKIBOTCHAをみんなが有効に利用していただければと思った次第でございます。

(問)今回、3度目の訪問でいらしたと思うのですが、今回の能登半島地震の発災を受け、特にどのような防災教育、または教訓を次世代に残すという意味でも、どのような点で視察を今回は注目されていらっしゃったでしょうか。

(答)まず、能登半島の発災が起こったときに私が一番に思ったのは、東北3県の皆さんの気持ち。たぶん前のことを思い出して、すごく気持ち的に、その当時のことを思い出された方が多いのではないかと思って、すごく心配になりました。

 やはり13年もたっていますから、少しずつ皆さんの記憶から嫌なことは薄れてきている、そして未来に向かって動き出している中で、またあの地域でこういうことが起こってしまったということでは心配したのです。

 ところが、こちらへ来て、各市町、首長さんにお会いすると、本当に温かいなと思ったのは、すぐにでも何かできることはないか、そして東日本のときにお世話になった市町に対して少しでもということで、すぐに動き出している。その様子を見て、ものすごい連帯というか、温かい心と、強さというのを感じました。これからも継続的に石川のほうに、皆さん、頑張って。

 それから、KIBOTCHAでお野菜を刻んでいたのは、これから行く準備をしていたのです。向こうへ炊き出しに行かれるということで、すごく町の人が集まってきて、順番に皆さんで、持っていく野菜を全部刻んで下ごしらえをしている準備を見まして、本当にすばらしいと思いました。

(問)似たような質問になってしまうのですが、今回の能登半島の地震を受けて、東日本や神戸などの過去の震災の教訓が能登のほうに生かされていないのではないかというような意見が聞こえてくることがあって、大臣は過去に、教訓の風化防止ということを課題に挙げられていたと思うのですが、改めて今、そういったことについてどういうふうに考えられますか。

(答)知見というのは非常に大切なものだと思うのですが、今回すごく感じたのは、地震は全てが同じように来ないのだというのを感じました。

 同じマグニチュードであっても、亀裂の入り方や、それから津波のきかたとか、それから海が隆起するとか、そういう問題によって初期の対策というものの難しさというのを感じたところです。

 ですから、今までの教訓が生かせるところもあるけれども、今までに経験したことのないという部分もあるので、そこら辺をどのように準備して災害対策を打てるかというのを今、相当苦しんでいる状況だと思いますが、我々も頑張っていかなければいけないと思います。

 それから、初期の段階で、アメリカ軍がすぐにでも入るという話もあったのですが、やっと入ることになったのですが、当初、たぶん何もかもが、全体の情報が入らなかったというのが一番重くて。やはり電波が通じない、電気が通じない、水も行かない、だけどそれもどこに行っていないのかも分からない状況の中での判断というのは、いかに難しいかというのを感じました。

 だから、そういう意味では、日頃、今ちょっと隣で見ましたが、耐震の対策というのは常にやっておく必要があるのだろうと思うし、それに対して国がどれだけ支援していけるかということも大きな課題だろうと思うし。それから備蓄はものすごく重要で、それはやはり行政に頼るのは限界があると思うのです。行政は、もちろん当たり前に備蓄はすると思うけれども、やはり一人一人が最低限の備蓄を常日頃、心がけていないと、災害列島の中では苦しいかなというのを感じます。

(問)今回、すぐに子どもたちの心のケアという話にもありますし、ここ被災地でも心のケアというのがますます重要になってくると思うのですが、復興庁はあと2年、令和7年で終了となることで、残すべきだという声もあると思いますが、その点をどのように、心のケア施策にどう反映させていくか。

(答)心のケアは、短期間では終わらない施策であって、ですけれども、きちんとこれから対応していかなければならないと思いますが、心のケアも今に始まったわけではなくて、発災直後からあったはずなのです。だから、今の石川は、今の段階でやれるところには、例えば妊産婦の心のケアとか、子どもたちの心のケアとか、できる限りやっていくように今、並行してスタートしています。

 東日本大震災に関しましては、ここへきて落ち着いてきたところで、まだまだ心のケアが必要ではあるということでありますから、これに関しましては、復興庁がなくなったとしても、これは継続すべきものであると私は考えておりまして。そうなりますと、どこが繋いでいくのかというのは今後の議論になると思いますが、一般的に考えれば、厚労省の中でそういうような部分で受けるのかなという気はあります。けれども、それは今、はっきりしているわけではなくて、今の段階では復興庁が窓口になって、その中身の問題において、どこの省と連携していくかということを決めて施策を打っていこうというふうに思っております。

 それから、復興庁は将来、法律的にはなくなることになっております。その後をどうするのかということは、これからいろいろな意見が出てくると思います。今の段階で何か決まっていることではないということです。

(以  上)

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