
株式会社ネモト
【福島県楢葉町】ニーズに合った商品をそろえるという
当たり前のことを被災後も貫いて回復
企業情報
- 企業名 株式会社ネモト
- ヨミガナ カブシキガイシャネモト
- 業種 飲食料品小売業
- 代表者 根本茂樹氏[代表取締役]
- 所在地 福島県双葉郡楢葉町大字北田字中満256
- TEL 0240-25-3165
- WEB https://vchain-nemoto.com/
- 創業年 1961年
- 資本金 1,500万円
- 従業員数 40人
- 売上高 非公開
企業概要
現社長・根本茂樹氏の父が精肉店ネモトとしてスタートさせ、その後スーパーマーケット「ブイチェーンネモト」に。地元密着型のスーパーマーケットとして人気を博す。東日本大震災後は、さまざまな仮設店舗で営業を続け、2018年、楢葉町復興拠点となる「笑ふるタウンならは」内に新店舗をオープン。地元の食材をアピールする売り場構成を考えるなど工夫を凝らし、近隣から多くの買い物客が訪れている。
先行きの不安を解消するには働くしかなかった
楢葉町の復興拠点として知られる「笑(えみ)ふるタウンならは」。この施設内にある「ここなら笑店街(しょうてんがい)」で、毎日大勢の買い物客でにぎわっているのが、株式会社ネモトが運営する「ブイチェーン ネモト」だ。前身は1961年にJR竜田駅前にオープンした精肉店「ネモト」で、自らの牧場を持ち良質な牛肉を中心に販売していた。その後、精肉だけでなく、さまざまな商品を取り扱うことになると、スーパーマーケットに業態を変え、楢葉町竜田地区と木戸地区に2店舗を構えるまでに成長した。
多くの住民から愛されるスーパーマーケットが50周年を迎えた2011年に、東日本大震災が発生。地震の影響で棚の商品が散乱するなどの被害はあったものの、大きな打撃になることはなかったという。「片付けは大変でしたが、大して時間をかけずに店は再開できると思っていました。でも、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きて、私たちも避難を余儀なくされました」。
こう話すのは、株式会社ネモト代表取締役の根本茂樹氏だ。父親が創業した店を引き継ぎ、順調な経営を見せていたが思わぬ悲劇に見舞われた。幸い、栃木県に旅館を経営する親戚がいたことで、避難生活で困ったことはないというが、「当時飼っていた牛の世話と、店の商品を処分するために、2日に1回のペースで栃木と楢葉を往復する日々が続きました」と根本氏。店の電気がストップしてしまった影響で、精肉や野菜などは全て廃棄せざるを得なかったという。根本氏は、「状況的に廃棄は仕方ないのですが、この先どう経営を立て直せばいいか予測もつかないので、前を向けない日々が続いたのはつらかったです」と当時を振り返る。
震災から約1カ月がたった頃、楢葉町の隣・広野町で知人が経営するドライブインが、東京電力福島第一原子力発電所の事故の対応に当たる作業員の宿泊拠点になったことを知る。そこで、「このまま動かないと僕の代で店をつぶしてしまう可能性もあると感じていた」という根本氏は、お茶やおにぎりなどドライブインでは扱っていない商品を販売できるように知人に依頼し、プレハブを立てて2011年5月に仮店舗の営業をスタートさせた。
どれだけの売り上げになるか分からない状況だったが、「店が続いていることを知ってもらえればという気持ちでした」と根本氏。全ての不安が消えたわけではなかったが、働くことで余計なことを考えないようにしたという。そして、この行動が思わぬ展開を生む。

50年の信頼がもたらしたJヴィレッジでの仮店舗オープン
根本氏の元に、国と東京電力から、事故対応の拠点、Jヴィレッジに売店を出してほしいという依頼がくる。「なぜ私に声がかかったか、今でも正直分からないんです。ただ、広野で仮店舗を出したことが口コミで広がったことで『根本さんに頼めばやってくれるのでは』という話が出たのかもしれません」。そして、2011年8月に作業員専用の売店をオープンさせた。その後も、いわき市に避難している楢葉町住民の仮設住宅エリアに仮店舗をオープンさせるなど、積極的な動きを見せる。
これだけ聞けば、順調な再建の道を進んだかに思えるが、「仮店舗を合わせての売り上げは、震災前の1/5で約2億円。経営的には決していい状況ではありませんでした。でも、今は忙しいことが一番と思うくらい働くことに集中していました」と根本氏。工事現場に氷を運ぶ依頼を引き受けるなど、自分ができることは何でもやったという。
「とにかく依頼が来たものは断ることなく、やってきました。Jヴィレッジの仮店舗も、過酷な環境で働く人たちのことを考えた品ぞろえにしようと工夫したことを覚えています。なので、従業員には接客も含めて苦労をかけたと思います。それでも当時のことを聞くと、『今までになく新鮮な気持ちで働けたので、あの頃の方が今より充実していました』と答えてくれました。それを聞けただけでも、やってよかったと思えましたね」(根本氏)。
福島のおいしい食を地元の人にも楽しんでもらいたい
被災から3年後の2014年、楢葉町役場の駐車場に誕生した仮設商店街での営業を開始。そこから徐々に売り上げも回復し、2016年には震災前の売り上げまで戻ったという。「広野町の最初の仮設店舗を出してから、正直特別なことはやっていません。どんな形でも店を続けて、一人でも多くの人に買い物をしてもらう。ただそれだけを考えてやってきました」。
かつて自身の父親が、精肉店からスーパーマーケットへ業態を変えた時のように、客のニーズに合った商品をそろえていくという小売業者としては当たり前のことを貫いたことが、売り上げ回復につながったと語る根本氏。震災前から、なかなか買い物に来られない高齢者向けに電話注文での宅配サービスを行うなど、客を一番に考えることは常に行ってきた。
そんな中で東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事故による避難生活を経験して、地元に対する思いも強くなっていく。「早く楢葉の店舗を再開させたいという気持ちは、2018年の新店舗オープンまでずっと持ち続けていました。その中で生まれたのが、地産地消をテーマにした売り場。地元楢葉産の野菜をはじめ、福島県の食材をもっとアピールして、地元の人に食べてもらえればと思い始めました」。


3代目となる根本氏の息子が新店舗の店長を務めるなど、後継者も成長。楢葉町のスーパーマーケットで初となる生ごみ処理機の導入など、SGDsに対する取り組みも積極的に行う。調理した魚や野菜などから出る生ごみを自社で処理して肥料化し、それを町に購入してもらう仕組みもできつつある。
「命の源である食を扱う仕事。今後は食品ロスや廃棄ロスなどの課題もクリアしながら、来てもらうお客さんに良いものを届けていきたいと思います」と根本氏。移住者も増えている楢葉町の新しい歴史の中でも、欠かすことのできないスーパーマーケットとしての道を歩み続けている。





・東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で避難。店再開の目処が立たなくなる。
・2018年、楢葉町の新店舗オープンを前に、どのような売りをアピールするかが課題となった。

・隣町で知人が経営するドライブインが作業員の宿舎に。そこで、プレハブの仮店舗をオープンさせる。
・楢葉町と福島県の復興を考え、地元食材をアピールできる売り場構成に変更。

・口コミで仮店舗が話題となり、Jヴィレッジでの作業員専用売店など、その他の仮設店舗オープンにつながる。
・当初は客の反応も鈍かったが、徐々にコンセプトが理解されはじめ、売り上げにもつながっている。