故郷の花・梅の栽培で復興に貢献 アジアの富裕層へ梅酒の販路を開拓する

大内安男商店

【福島県南相馬市】

故郷の花・梅の栽培で復興に貢献
アジアの富裕層へ梅酒の販路を開拓する

企業情報

  • 企業名 大内安男商店
  • ヨミガナ オオウチヤスオショウテン
  • 業種 飲食料品小売業
  • 代表者 大内安男氏[代表]
  • 所在地 福島県南相馬市小高区川房字四ツ栗118-1
  • TEL 0244-26-9941
  • 創業年 2021年
  • 資本金 無し
  • 従業員数 0人
  • 売上高 230万円

企業概要

南相馬市小高地区は、旧小高町時代に紅梅の里ともいわれ、梅が町の花にも指定されていた。そんな町の復 興を願い、梅の木の中でも希少種とされる露茜を栽培し、その果実で製造した梅酒の販売を行うため、2021年に大内安男氏が設立した。

退路を断って植木の世界に飛び込んだのが全ての始まり

東日本大震災後の東京電力福島第一原子力発電所の事故で20km圏内に該当し、5年もの間住民の立ち入りができなかった南相馬市小高区。その地で現在、幻の梅とされる希少種・露茜(つゆあかね)の栽培と、その実で造った梅酒の販売を行っているのが大内安男商店代表の大内安男氏だ。

代表の大内安男氏 代表の大内安男氏

小高区で農家の長男として生まれた大内氏は、高校卒業後に家業を継ぎ、養蚕や稲作、畜産、野菜の栽培などを行っていた。伝統ある農家を継ぎ、仕事をこなしていたが、35歳の時にある決断をする。それは、全ての農業をやめることだった。

「自身で売り値を決められない農業の制度に疑問を感じており、このまま農業を続けても将来はないのではないかと考えました。父親が亡くなったこともあり、仕事を変えるなら今だと決断しました」。

後戻りできないようにと、農機具などを全て売却し、新たな道へ進むことに。そこで選んだ仕事は植木だった。当時、バブル絶頂期でリゾート開発が盛んに行われていたこともあり、しばらくは好景気が続くと考えて選んだという。半年間、他県で植木の勉強に励み、新しい業界での人脈づくりにも力を入れた。

その後バブル崩壊で植木だけでは厳しい状況となったが、修業時代に知った、木々の株元を隠し、庭を美しく見せる植物、グランドカバーの栽培を開始。販路構築のために相馬グリーンという会社を立ち上げ、軌道に乗せた。

業界誌の記事をきっかけに梅の栽培を開始

大内氏の行動は、これで終わりではなかった。2008年には相馬グリーンを長男へ譲渡。自らは介護施設「相馬の里」を設立し、新たな事業を始めることに。当時、このエリアには介護施設が不足しており、その問題の解決に貢献するためだった。

介護事業が軌道に乗り始めた頃、東日本大震災が発生。大内氏は家族と共に避難したが、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で家に戻ることができなくなる。2011年4月22日には、小高区は立ち入りができない警戒区域となり、大内氏の家族は茨城県常総市に避難。長男が経営する相馬グリーンも、こちらに拠点を移して営業を続けることになった。しかし大内氏は、介護施設のある南相馬市原町区が屋内退避指示だったこともあり、南相馬市に残ってさまざまな対応に当たったという。その後しばらく介護施設の仕事に追われる日々が続いた。

そして2016年7月、小高地区の避難指示が解除となり、自宅へ戻ることができた。そこで目の当たりにしたのが、荒れ果てた土地。草が生い茂った自宅周辺の景色を見て、「土地の再利用をしなければいけないと考え、農業時代の経験を生かして麦の栽培を始めました」と大内氏。

その頃、介護の会社は三男へ譲渡すべく準備をしていたため、自身の生活基盤を麦の栽培だけでは支えられないだろうと考えていた。そして出合ったのが梅だった。

「2018年に国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構東北農業研究センターの冊子で、露茜の記事が出ていたんです。そこで、小高町の花だった梅を思い出し、これを栽培すれば地元の復興に貢献でき、実で梅酒を造って販売すれば新たな収入源にもつながると思い、苗木探しを始めました」。

植木の仕事をしていた経験から、知り合いをたどり露茜の苗木を探すも、希少種のためなかなか見つからなかった。 そんな時、福岡県の苗木屋から露茜の苗木を特別に作ってもいいと連絡が来る。大内氏はすぐに苗木の栽培を依頼し、完成した苗木1,000本を購入。栽培をスタートした。

露茜の栽培風景 露茜の栽培風景
青々とした露茜の葉 青々とした露茜の葉

アジア圏の富裕層を狙った戦略で小高の梅酒をアピール

栽培開始当初は周辺に荒れた土地が多く、鳥獣害から梅をどう守っていくかが一番の課題だった。農家時代の経験を基に対策を行い、2020年には一定数の実を収穫することができた。

そこで、梅酒の製造を依頼する酒蔵を探し始める。その過程で知り合ったのが、農学博士の清水健一氏。日本ワイン界の生き字引とも称される清水氏から、梅酒の製造販売の知識を教えてもらい、酒造法の規定で、年間最低6,000Lの製造が必要だと知る。

「この話を聞いた時、リスクが大きすぎると感じましたが、清水先生から『福島の復興のためなら力になります』と言われ、続けることを決意しました。そして清水先生に紹介された山梨の酒類製造会社に製造委託することで、大きなリスクを取ることなく、小ロットでの生産が可能になり、また、私の納得する味の梅酒を造ることができました」。

大内氏は、梅酒の製造・販売のために2021年に個人事業主として「大内安男商店」を設立。希少品種の実で梅酒を製造しているため、値段は1本500mLで5,000円から。この価格が一般流通に向かないことは大内氏も承知の上。そこで狙ったのがアジア圏への輸出販売だった。

しかし、当時はコロナ禍真っ只中。十分にPRができない状況が続き、ストックが4,000本まで増えてしまう。2022年に「ふくしまみらいチャレンジプロジェクト」に参加し、「台湾美食展2022」に梅酒「春紅麗」を出品したことで、ようやくスタートラインに立てたと大内氏は言う。

「決して良い反応ばかりではありません。独自で取ったアンケートを見ても値段が合わないという声もありました。でも、価格競争をしたらこちらがつぶれてしまう。富裕層をターゲットにする基本路線は変えずに違ったアプローチを考えるなど、今後もさらなるマーケティングを行っていきます」。

今後の展望を熱く語る大内氏 今後の展望を熱く語る大内氏

梅酒の認知度アップのため、露茜を使ったジュースも商品化へ向けて試作を続けている。現在、梅の木は1万6,000本にまで増え、年間生産量も80tを見込めるまでになった。

本格的な販売網拡大はこれから。新たなチャレンジに2度成功している大内氏なら、小高区の露茜で造った梅酒をアジアに広めてくれるに違いない。

大内安男商店が手掛ける小高の梅酒 大内安男商店が手掛ける小高の梅酒
課題

・梅の栽培に成功したものの、製造の委託先探しが難航する。

・利益を出すには価格帯を高めに設定しなければならず、一般への流通は難しい状況。

解決策

・知人からの紹介で清水健一氏と出会い、梅酒の製造・販売のノウハウなどを学び、製造の委託先を紹介してもらう。

・海外の富裕層をターゲットに販路の獲得を模索。同時に梅酒以外の商品開発も並行して実施。

効果

・自身が求めた小高区の露茜で造る梅酒が完成。販売に向けた製造ラインの確保もできた。

・海外での販路が開ければ製造量も安定させることができ、一定の利益が出る見込みがある。

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