岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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ろで、吉田氏は同年9月の営業再開を目指す方針を打ち出す。「肥料の需要期である秋口に事業を再開することで、少しでも東北の農家の支えになればと思ったんです」。ただ、課題は山積みだった。それらをクリアするため各社員が自分のできることに尽力した。吉田氏や常務取締役の葛西信綱氏は運転資金の確保に奔走し、JA全農をはじめ、いくつかの銀行から協力を得ることに成功。工場スタッフの修理だけでは補いきれなかった肥料製造設備の補填のため、総額9億5,300万円の「グループ補助金」を活用して新たな造粒機や粉砕機を導入し、何とか9月1日の生産再開にこぎつけることができた。しかし設備は一部しか復旧しておらず、その時点で生産できるのはそれまで主流だった粒状のケイカル肥料ではなく、粉砕の工程だけで生成可能な「砂状ケイカル肥料」のみという状況だった。砂状ケイカル肥料の生産と並行しながら粒状設備と転炉石灰の設備の整備を行い、翌2012年1月からは粒状ケイカル肥料の生産も可能になった。ようやく供給体制が整備されたかに思えたが、ここで多くの被災地企業が直面する課題に頭を悩ませることになる。生産、供給ができない状態に陥っている間に、被災地外や中国の企業にシェアを奪われてしまったのだ。「『東北の企業でなくとも供給できる』という既成事実ができてしまっていました」。吉田氏は当時をそう述懐する。失ってしまった得意先を取り戻すのはそう簡単なことではない。ミネックスには起死回生の方策が必要だった。そこで吉田氏が決意したのは、新規肥料の開発と、より効率的な生産と供給を確保することだった。そして吉田氏はすぐにミネックスをリーダーとした「農業用肥料サプライチェーングループ」という共同体制を作る。これは、肥料原料を供給する鉄鋼業、肥料製造業、設備メンテナンス業、運送業、農業団体といった、肥料の製造、供給に携わる各社が連携し、それぞれのノウハウを結集することで開発と生産、供給の効率アップを目指すというもの。この組合の活動で主に3つの成果が得られたという。一つ目は製造効率の向上で、研究機関の支援により高い造粒技術を得ることができ、それまで100tを製造するのに20時間かかっていたものが15時間に短縮された。二つ目が、納期の短縮。在庫情報をグループ全体で共有し、配車計画も見直すことで、受注から納品までを7日から3日にまで短縮させることができたという。そして最も大きい三つ目の成果が、新商品の開発だ。JA全農や岩手県工業技術センターなどと造粒技術や設備のメンテナンス、他の肥料関連企業とタッグを組み新商品の開発を実現させる3145280

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