岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けてミネックス株式会社は、釜石市に工場を構える農業用肥料メーカー。製鉄の副産物として発生する「鋼鉄スラグ」を原料に作られる、水田や畑などの土壌改良用肥料である「ケイカル肥料」などをJA全農経由で、東北地方の各農家へと供給している。ケイカル肥料とは病虫害の被害を軽減したり、干ばつに強い稲を作ったりと、農業効率を上げる特徴を有した肥料として多くの農家で使用されており、現在の農業界では欠かせない肥料の一つだ。ミネックスの繁忙期は、農家への肥料供給量が年間で最も増える春のシーズン。しかし2011年は東日本大震災によって、その商機を失ってしまう。釜石湾から500mほどの距離にある事務所と工場に5mの津波が襲い掛かり、主要設備は使用不能になり、原料や製品もすべて流されてしまったのだ。「とはいえ、最も大切な財産は従業員の命です。被害は甚大なものでしたが、幸いほとんどの従業員は無事でした」。そう語るのは、東日本大震災当時、盛岡市の営業所にいた代表取締役会長兼社長の吉田典雄氏。「被災後、すぐに従業員の安否を確認しました。最初は連絡が取れない状況でしたが、翌日にはほとんどの人が避難して無事だと聞き、ほっと胸をなでおろしました」。従業員の生存が確認できたものの、すぐに事業を再開させることに関しては迷いもあった。しかし吉田氏は、「『残された従業員の雇用』と『肥料の安定供給』を最優先させることが復興につながる」と考え、事業の早期再開を目指す判断を下したという。吉田氏の指示を受けると、釜石工場の工場長である菊地啓行氏は、通信手段が回復していなかったこともあり、工場の前に「3月25日に集まれる方は工場前に集まってください」という看板を立て、事業再開を目指した。「翌日、工場の前にほとんどすべての従業員が集合していました。さっそく個々に再開の意思を伝えると、全員が『働かせてほしい、この場所で構わない』と言ってくれ、翌日から従業員の手作業による復旧作業が始まりました」(菊地氏)。復旧作業はがれきを取り除いたり、倒れていたトラックを起こしたりといった工場内の清掃から始まり、従業員自ら設備機器の分解、修理まで行うものだった。「自分たちの手でベルトコンベヤーやモーターを分解し、乾燥させ、修理する姿を見て、この工場のたくましさを実感しました。技術力や底力を最大限に生かし行動する従業員たちの姿からは、『自分たちができることを精一杯やるんだ』という強い意識が伝わってきました」(吉田氏)。工場の整備がひと段落したとこ従業員の雇用と肥料の供給を最優先に再始動を支えた従業員の行動力14ミネックス株式会社2030年復興への歩み[販売数量(t)]22,9492010年30,190●5月 砂状品の生産に必要な 最低限の設備を整備、発注2011年30,697●1月 ほぼすべての設備が復旧●4月 粒状ケイカル肥料の生産を開始2012年31,842●6月 新規肥料「シリカ未来」を販売開始2013年31,894●6月 未利用資源を活用する新規肥料の 開発を開始2014年28,869●5月 ワカメの茎・ウニ殻の 焼成試験を開始2015年31,6762016年31,581●4月 初挑戦の分野である 化成肥料に挑戦2017年16,00024,00032,00008,000産業廃棄物として環境問題となっていたウニの殻やワカメの茎を活用した肥料を開発中。身近にある資源を有効活用しながら、野菜・果樹など新しい分野でも施肥できる肥料となる予定だ。三陸の産業廃棄物であるウニやワカメを肥料に活用する被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出写真左の旧事務所は、1階部分がすべて津波で浸水した【目指していくゴール】※7月~翌年6月まで79

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