岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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前身の「須田商店」が1934年に創業して以来、株式会社松島蒲鉾本舗は笹かまぼこの製造販売を主業務として、松島町を拠点に発展を続けてきた。1980年代末に「伊達政宗ブーム」の影響で年間500万人以上もの観光客が松島を訪れた時期には、松島で5店舗を構えていたという。一部店舗には団体客向けの食事所も併設しており、できたての商品をそのまま提供していた。「東日本大震災による津波の被害は大打撃でした」と、代表取締役社長の朱しゅ二つぎ太ひろ氏は話す。「塩竈工場(塩竈市)は建屋1階天井ほどの高さの津波に襲われ、建屋の基礎や構造は残ったものの壁には穴が空き、生産設備は全壊。3店舗(松島総本店、五大堂店、門前店)と本社事務所のある松島町も1.5mの津波で浸水しました」。店舗や事務所の変わり果てた様子を見たときは、しばらく言葉が出なかったと言う。「多くの商品が流されたり泥にまみれたりして、1,000万円分以上が売り物にならなくなりました。ただ、被害があまりに大きかったからか、暗くなるよりもむしろ開き直った気持ちで、『うちの会社だけじゃないんだ、仕方ない』と。状態が良かった一部の商品も救援物資として避難所に提供しました」。被災から1週間後、幹部社員が集まり復旧方針を話し合った。生産設備が全壊していたため、まずは塩竈工場の早期復旧を目指すことに決定。当時社長だった須田展夫氏は「お中元シーズンにかまぼこを提供する」という目標を立てた。つまり、わずか3カ月後の6月に生産を再開するということだ。「当時の従業員は約110人。売り上げがなく給与を支払い続けることは難しかったため、準社員やパートの皆さまは事業再開後の再雇用を前提に、一時的離職扱いとしました。雇用保険の特例措置を生かして迅速に失業給付を受け取れる形にしたのです」。復旧に向け、まずは15人の正社員で店舗や工場のがれきや泥を取り除く作業をスタートした。「準社員やパートの皆さまが離職中にもかかわらずおにぎりやカップ麺を持って手伝いに来てくださいました。皆さんの心遣いは本当にうれしかったし、ありがたかったですね」。4月下旬に片付けを一通り終え、工場や店舗内部を整備するステップに進んだ。復旧を決断した3月自社工場の設備が全壊松島の店舗も津波被害被災から3カ月で生産再開グループ補助金も活用09株式会社松島蒲鉾本舗[SDGs]2030年に向けて2030年復興への歩み52,028●3月 被災により休業●6月 塩竈工場と五大堂店が営業を再開2011年71,0862010年76,088●4月 松島総本店がリニューアルオープン●8月 門前店が新築オープン2012年73,171●1月 新工場の建設に向けた計画が本格化2013年63,5882014年64,5212015年67,639●4月 「松かまビジョン2020」を発表●6月 多賀城工場が稼働を開始2016年72,381●朱二太氏が代表取締役社長に就任2017年40,00060,00080,000020,000[売上高(万円)]海産物加工企業として海の資源と環境に配慮すると同時に、子ども向けの料理教室や子ども目線の工場見学を実施するなど、次世代に日本の豊かな魚食文化を伝えていく。かまぼこ作りを通じて伝統ある魚食文化を広めたい被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出被災後に新築された多賀城工場は、2016年6月に稼働を開始した【目指していくゴール】※4月~翌年3月まで地域復興マッチング「結の場」61

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