岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けて2011年3月11日、南相馬市に押し寄せた津波は、原町区の市街地近くにあった介護老人保健施設「ヨッシーランド」にまで達した。巨大な黒い波は容赦なく施設を飲み込み、37人の犠牲者を出した。当時を振り返って、理事長の猪又義光氏は「責任の重さに打ちひしがれた」と肩を落とす。しかし、うつむいている暇はなかった。東日本大震災直後、南相馬市内は被害の全貌がつかみきれないほど混乱していた。県外も含む病院や施設を頼って、生き残った入居者や従業員の受け入れ先を探すのに精一杯という日々が続く。「津波は去っていきましたが、福島第一原子力発電所の事故の問題が大きかった。30㎞圏内の立ち入りが制限されるわけですし、建物も壊滅状態。当時はどうしようもありませんでした。従業員には退職金を払い、ヨッシーランドは解散しました。しかし、『ここで何もなくなってしまうのは僕らしくない。必ず再建する。被災前の南相馬に戻さないとだめだ』と思いました。ですから、いつの日か再建を果たすため、法人格は残したんです」。再建への動きが始まったのは2012年4月だった。猪又氏が院長を務める南相馬市の大町病院のスタッフでもあった池田幸氏は、銀行マンだった経験を生かし、補助金の活用を視野に入れた再建準備室をスタートさせる。しかし、最初から大きな壁が立ちはだかった。「復興庁の方にも準備室に幾度となく足を運んでいただき、建物の設計や土地造成に関する話は進んでいましたが、お金の話は正直なところ進んでいませんでした」。2012年2月には株式会社東日本大震災事業者再生支援機構(震災支援機構)が発足し、二重ローンを抱える被災事業者の支援が始まっていた。ヨッシーランドが、事業再開に必要な新規融資を受けるために一番の問題になったのは、やはり二重ローンの解決だった。厚生労働省からは移転改築についての承認が得られ、保健衛生施設等施設・設備災害復旧費国庫補助金の決定を受けていたが、震災支援機構の支援を受けて被災前の過大な債務を整理できなければ、新規融資の借り入れはできない。ネックになったのは、新たな建設地だ。再建計画では、万一の津波でも被災を避けられる高台への移転を決めていたが、新たな土地の開発がハードルになった。再開発予定の敷地は2万㎡にもなり、大規模開発に相当する。開発許可のためには銀行の融資証明書が必要になるが、融資証明書を得るには震災支援機構による支援決定が条件とされた。震災支援機「被災前に戻さなければ」原点にあった強い思いのしかかる二重ローン支援決定に立ちはだかる壁06介護老人保健施設 ヨッシーランド2030年復興への歩み●3月11日 津波により建物が倒壊。 解散を余儀なくされる2011年●4月 再建準備室立ち上げ●復興庁とも連携し再建計画書を立案2012年2013年2014年●補助金 決定2015年●3月 補助金 失効●12月 補助金 決定2016年保健衛生施設等施設・設備災害復旧費国庫補助金利用者が個人の尊厳を保持しつつその能力に応じた日常生活を営むことができるように支援する。誰にでも起こりうる心や身体の機能障害を「個性」と捉え、本人や家族に寄り添う。住み慣れた場所でずっと暮らすその要となる老健施設へ●1月 債権 買い取り●3月 ヨッシーランド 着工●12月 復旧・再開2017年保健衛生施設等施設・設備災害復旧費国庫補助金【目指していくゴール】新たに津波の心配のない高台に移転した被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出東日本大震災事業者再生支援機構の債権買い取り47

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