岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けてロッツ株式会社代表取締役社長、富山泰庸氏は大阪府出身。東日本大震災発生当時は東京にいて、貿易コンサルタントを営む一方で、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、お笑い芸人として活動していた。東北とは縁もゆかりもなかった富山氏が起業することになったのは、阪神・淡路大震災の記憶が関わっている。「阪神・淡路大震災が発生した1995年当時、心に強く残ったのが、指定避難所以外の場所に身を寄せていた人たちの窮状です。行政やボランティアたちも十分に把握できず、支援の手も支援物資もなかなか届きませんでした」。東北でもきっと同じ問題が起きるに違いない。しかも、被災地域が阪神・淡路大震災よりも格段に広いので、問題はより深刻になるだろう。そう直感した富山氏はいても立ってもいられなくなり、被災地のニーズを聞いた上で、15人の仲間と共に、トラック3台に支援物資を積み込んで東北に向かった。「自営業で芸人なので、時間だけは自由になりましたから」と笑う富山氏は、宮城県石巻市、岩手県陸前高田市、大槌町、山田町と指定避難所以外の避難所に支援物資を運び続け、一緒に活動する仲間は150人にもなった。このように東京と被災地とを忙しく往復していた3月末、活動の一環として医薬品を陸前高田市に届けたときのことだった。「薬剤師と一緒だったので、ちょうど行われていた陸前高田市の薬局再建会議への出席を依頼されました。その席で岩手県立高田病院の当時の院長、石木幹人先生から、冗談半分に薬局をやってくれないかと頼まれたのです」。陸前高田市では9店あった薬局がすべて失われ、再建のめどはほとんど立っていなかった。診療は再開していたが、薬はいったん盛岡市の薬局に連絡し、そこから改めて届けられるので、患者の手に渡るのは診察から3日後というのが実情だった。富山氏は元々医療や介護の分野に関心があったが、さすがに薬局の経営は夢にも思わなかった。しかし、薬の到着を待っている受診者の長いリストや、遠くから薬を受け取りに来る受診者の姿を目の当たりにし、覚悟を決めたという。こうして2011年7月、陸前高田市に「とうごう薬局」がプレハブの東北での支援活動を促した阪神・淡路大震災の記憶冗談半分の依頼から陸前高田市で薬局を経営経営理念に従って新規事業を次々と展開03ロッツ株式会社2030年復興への歩み[売上高(万円)]4,832●7月 とうごう薬局開設●8月 法人化●11月 とうごう薬局大船渡店開設2011年6,833●5月 「あらや訪問リハビリステーション(現 訪問リハビリステーションさんぽ)」開設2012年5,9662013年7,4332014年7,8222015年10,265●6月 「玉乃湯」開設●12月 「玉の湯デイサービス&フィットネス」開設2016年14,836●4月 「ReBorn」開設2017年9,00012,00015,00006,0003,000障がい者の就労支援、発達障害の子どもの教育支援の事業化に取り組み、ダイバーシティ実現における日本を代表する事業者を目指す。健康関連事業のノウハウを生かし、ダイバーシティを実現していく被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出複合商業施設「アバッセたかた」内にある「ReBorn」【目指していくゴール】※7月~翌年6月まで35

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