岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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後悔もあるという。その一つが、販路の確保を十分にできなかったことだ。「東日本大震災直後は復興支援イベントへの出展や出品の誘いをたくさんいただきました。商品を作れば、どんどん売れていく状況だったんです。そうした助けもあって、翌年には以前の80%ほどの売り上げにまで回復しました。でも、数年がたつとそうしたイベントの数が減り、同時に売り上げも毎年1,000万円単位で減っていってしまった。目の前のことに集中しすぎて、先読みが甘かったなと反省しています」。この失敗を糧に、現在では、生協などの通信販売や遠方での物産展に参加するため、自ら積極的に商談を持ち掛けるようにしているという。「特に関西地区では三陸の海産物が貴重な物として受け入れてもらえるんです。そうして大阪を中心に販路を拡大していたら、九州の生協も興味を持ってくれるようになり、複数の定番商品を、まとまった数で取り扱ってくれたんです」。事業再生に当たっては、株式会社東日本大震災事業者再生支援機構の二重ローン対策支援をはじめ、複数の制度や支援を積極的に利用している。中でも、「震災復興支援アドバイザー制度」を利用して制作した会社案内のパンフレットは特に重宝しているという。「すべて津波に流されてしまったので、商談会などで相手に渡せる営業ツールが何もありませんでした。支援の一環でデザイナーが派遣され、しっかりしたパンフレットを作ることができたので、和も洋も取り入れた、今の木村商店の魅力を伝えられるようになったんです」。「まだまだ復興の途中だ」と語る木村氏。実のところ、原材料の高騰や観光客の減少など、懸念事項は多い。しかし、そうした中でもいくつかの希望を見出している。その一つが、日本の食生活の変化だ。「ファストフードが一般的になっている一方で、『安心できる食品』に関心を持つ若い人たちが増えています。木村商店の商品は地元の食材を使った、無添加、無着色、防腐剤不使用の品。昔から普通にやり続けてきたことが、今の人たちに求められるようになっているんです。その“木村商店の普通”をアピールして、新しい販路を築いていきたいです」。そしてもう一つの希望が、将来有望な若手の存在だ。地元の30代男性が、アルバイトとして生産工程を手伝いながら、商談やイベントにも積極的に参加している。いずれは木村商店を継ぎたいとまで言っているのだそうだ。「次の世代に安心して引き継いでもらうためにも、もっと安定した経営状態にしておきたい。だから、体の動く限りがんばるつもりです。今より若い日はないですからね」。02有限会社木村商店再生へのポイント被災後、わずか1カ月での事業再開を実現した決断力の速さと前向きな姿勢1業績回復のために行った積極的な販路の開拓2地元食材使用、無添加食品という信頼性とブランド力を消費者にアピール3被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出昔ながらの手作り食品が時代のニーズと合ってきた「負けるもんか、という一心でここまで進んできたんです」と語る木村氏33

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