岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
31/155

[SDGs]2030年に向けて1908年の創業以来、100年以上にわたって、海産物の加工食品を生産している有限会社木村商店。地元、山田町の食材を使った、塩辛や干物、千枚漬けなどが主力商品だ。中でも、真イカの胴を徳利の形に乾燥させた「いか徳利」は、看板商品であり、地元の名物としても愛されている。 そんな地元を代表する老舗企業が東日本大震災で受けた被害は甚大だった。「多くの物を失い、ほとんど何もない状況からの再スタートになってしまいました」と、代表取締役の木村トシ氏は語る。「売り場も加工場もすべて津波に飲まれてしまった。経営に関わるデータはもちろん、大切なレシピが書かれたノートもなくなってしまいました。従業員も1人が行方不明になり、今でもまだ見つかっていません」。一方、自宅は高台にあったため、津波の被害を免れることができたという。近所では火災が発生したが、それもギリギリのところで火の手が回らずに済んだ。そのため、避難所での生活は1週間ほどで切り上げ、その後は自宅で生活することにしたという。この時、自宅が無事だったことが、後に早期の事業再開につながった。木村商店が事業再開に動き出したのは、被災の翌日。「避難生活は何もすることがなく、そのままでは気がめいるばかりだったので、できることから始めようと思った」と、木村氏は振り返る。まずは思い出せる限りのレシピを書き起こした。それから約1カ月後の4月20日には、自宅前に小屋を建て、「いか徳利」をはじめ、「さんま千枚漬け」や「さばの昆布じめ」を生産、販売。調理器具は自宅にあった家庭用のまな板と包丁を使ったという。「原料を保管していた倉庫と自宅が被害を免れていたのが不幸中の幸いでした。それに、基本的に商品を作るのは人の手。だから、多くを失ってもすぐに再開することができたんです」。すぐに動き出したことで勢いが付いた。自宅前の小屋に加え、海のそばにも小屋を2棟建てた。加工場、乾燥室、事務所のスペースを確保し、被災前に近い状態で事業を再開。調理機器や原料など、足りないものは、携帯電話ですぐに注文した。電気が復旧するまでは、車のエンジンでバッテリーを充電していたという。「正直なところ面倒だったし、やりたくないと思うこともありました。でも、近所の人に『これからどうするの?』と聞かれると、思わず『何とかやる』と、言葉が口をついて出てきた。そうやって自分に言い聞かせるようにして前に進んだんです」。売り場、加工場、レシピ会社の基盤の多くを失った「何とかやる」自らを奮い立たせ事業再開02有限会社木村商店2030年復興への歩み[売上高(万円)]7,7492013年6,9962015年4,8472016年3,8412017年8,1842014年6,0008,00010,00004,0002,000地元の食材を使用した無添加・無着色の食品を生産し、全国の消費者に届けることで、安心と安全を担保した食文化の発展を目指す。安心できる食品の生産でこれからの食の安全を担う被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出2012年に建てられた新工場【目指していくゴール】専門家派遣集中支援事業地域復興マッチング「結の場」●2月 新工場設立2012年資料紛失のため売り上げ不明●3月 加工場、売り場など全壊●4月 事業再開2011年資料紛失のため売り上げ不明※4月~翌年3月まで株式会社東日本大震災事業者再生支援機構による債権買い取り31

元のページ  ../index.html#31

このブックを見る