岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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「時間と資金」のバランスを考えた事業計画の重要性を知る災害に遭遇した場合には、できるだけ早期に事業を再開することが企業復興にとって重要だが、公的支援だけでは時間がかかるのが実情だ。自社が被害を受けた場合にまず考えなければならない「時間」と「資金」の問題について考える。東日本大震災によって、被災地の多くの企業が休業を余儀なくされた。各企業とも早期の事業再開に向けて取り組んだが、現実的には予想以上の時間が必要だった。株式会社帝国データバンク仙台支店情報部部長補佐の紺野啓二氏は「東日本大震災から半年以内に事業を再開できたのは、資金に余裕のある大企業や、被災が比較的軽微だった企業など、ごく少数にとどまりました」と言う。事業の再開に当たっては、多くの企業が資金面での公的支援を求めたが、補助金にしても、場合によっては認定を受けるまでに1年程度が必要で、受給までにはさらに時間がかかった。東日本大震災の発生から事業再開までに、2年から3年を要した企業が大多数だったとしている。帝国データバンク仙台支店長の坂下和久氏は「事業再開までに3年近くかかると、その間に売れ筋商品はもちろんのこと、業界自体も変わっている可能性が高かったと思います。いわゆるスーパーマーケットの棚なども、他社の商品にとって代わられていたのではないでしょうか」と話し、休業の長さと販路の喪失とは比例すると指摘する。紺野氏も「東日本大震災という天災が休業の原因ですし、それまでの信頼関係もありますから、取引先が他社の商品にすぐに切り替えるということはなかったと思います。しかし、いつまでも待ってくれるということはあり得ません。非情なようですが、他地域の企業からの売り込みもあるでしょうから、棚は3カ月から半年で奪われ始め、1年もすると完全に失っていたと思います」と言う。東日本大震災前の生産設備を回復しても、業績がなかなか戻らない要因には、こうした「時間」の問題があったが、設備回復すれば客は戻ってくると過信をしていたのではないだろうか。それが、事業2年から3年に及んだ東日本大震災による休業3年で大きく変わる売れ筋商品や業界の状況稼働率低迷、再建策も実らず株式会社三興 宮城県石巻市Case.11973年設立の水産加工食品製造業者。石巻市内に2カ所の工場を有していたが、東日本大震災で甚大な被害を受け一時休業。2012年に渡波工場を改修して事業を再開し、2014年には「宮城産業復興機構」の支援および「石巻市水産加工業再生支援事業」による約6億円の補助金を受けて新本社工場が完成。売り上げの拡大を図ったものの伸び悩み、工場稼働率は低迷。設備投資に伴う借入金も収益を圧迫し、2016年には最終赤字計上を余儀なくされていた。このため工場の売却などによる再建策を模索していたが奏功せず、同年12月までに事業を停止した。1失敗事例に学ぶ※帝国データバンク 倒産・動向記事より抜粋146

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