岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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安全対策を実施している姿を見てもらいました。新規の取引先であれば当然『なぜ今の時期に福島県産のシイタケを取り扱うのか』といった声が上がります。社内を説得してもらうために、まずは当組合の理解者になってもらう必要があると思ったからです」。安全性に不安を抱く担当者に、生産工程を隠すことなく見学してもらった。検査結果もすべて示し、安全を確かめてもらう。その上で語ったシイタケに懸ける熱い思いは、仕入れ担当者の心を打った。中には年に数回訪ねてくる担当者も現れるなど、徐々に理解者が増え、取引先は拡大した。しかし、問題は販売先だけではなかった。風評は販路の縮小のみならず、販売価格の下落も引き起こしていた。「品質の良さは理解してもらえましたが、それでも『福島県産』というだけで東日本大震災前の約半分の価格となってしまいました」と渡部氏。一度下がってしまった価格を元の水準に戻すことは非常に困難とはいえ、手をこまぬいているわけにはいかない。転機となったのは、復興に強い意欲を持つ福島県内の人たちが集まって発足した「福島を元気にする会」だった。さまざまな事業者と知り合ったことで、自社の強みであるシイタケを使った新商品の開発を思い付いたのだ。「シイタケの持つうまみや風味は、他の商品と組み合わせても必ず生かせるはずだと考え、新しい商品を作れないかを相談したんです。会には地域を元気にするために新しい物を生み出したいという気持ちの方が集まっていましたので、協力して焼酎やうどんなどの開発に取り組むこととなりました」。何度も試作を繰り返し、苦労の末に誕生した「いわきゴールド椎茸焼酎」は、その味の良さから福島県内で一番売れる焼酎になるほどのヒット商品となった。「いわきゴールド椎茸うどん」もテレビや新聞に取り上げられるなど話題となり、原料である「いわきゴールドしいたけ」の認知度アップにもつながっていく。「最近では『いわきゴールドさん』と呼ばれるほど、ブランドが定着してきました。売れない時期に『質は良いのだから、いわきの名前を外せば売れる』と言われたこともありましたが、名前を変えずにがんばってきたおかげで、地域に受け入れられる存在になりました」と渡部氏は胸を張る。ブランド力の高まりと、新規販路の開拓が実り、需要は年々増大していった。それに伴い、2009年に200tだった施設の生産量も、2013年に350t、2014年に500tと拡大していく。2015年には新工場の設立により1,000tとなり、単独施設としては国内最大級の生産量を誇るまでになった。苦境を乗り越え、順調に成長を地元事業者と協力して福島一の焼酎を開発12354142

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