岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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12東日本大震災直後の本社・工場周辺3本社の1階と2階の間にある、津波の高さを示すボード4「復興は必ずできると思った」と語る佐藤氏567工場では女性の活躍が目立つ 8金属の粉砕を行う2011年7月。グループ補助金を活用し、機械の修理や入れ替えが終わり、工場が再稼働を始めたのは10月だった。「ありがたいことにお客さまは待っていてくれました。金属のリサイクルなど、弊社で行う処理ができる企業が他に無いので、わざわざ倉庫を設けて受入物を置いていてくれる取引先もあったほどです。中には復旧作業を手伝ってくれる取引先もいて、人とのつながりを強く感じました」。ようやく事業を再開できたものの、復旧を前に辞めていった従業員も多く、人材不足は大きな問題だった。そのような中でも、残った女性従業員は真摯に、丁寧に仕事に取り組んでいた。佐藤氏はその姿を見て、彼女たちの能力を生かせる環境を整えることの重要性を再認識したという。まずは子育てをする母親たちのニーズを反映した働き方を打ち出した。子どもの帰宅時間に合わせて家にいたい、学校行事に参加したい、そのようなニーズをくみ取り、フルタイムだったパートの勤務時間をフレキシブルな時間体系に変更。採用は「週3日、1日3時間以上」を条件とした。また、現場では先輩が1対1で指導する仕組みを導入。マニュアル化すると膨大になる作業工程を、実務を通して学ぶことで、未経験者も即戦力として活躍することを可能にした。さらに、資格取得の際の費用を負担し、その資格に即した処遇を採用したい人材一人ひとりに寄り添う仕組みを12345678138

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