岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けてOA機器メーカーなど、東北地方の数多くの企業と提携し、レアメタルをはじめとした特殊金属のリサイクル、産業廃棄物の収集運搬、中間処理を行う、株式会社佐藤金属。東北唯一のリサイクルセンターとして大きな役割を担う同社だが、仙台空港近くの岩沼臨空工業団地にある本社と工場は、東日本大震災で4mの津波に襲われ甚大な被害を受けた。創業以来の危機に直面した被災時、代表取締役の佐藤克己氏は、海外出張中で会社を離れていたという。「地震の瞬間は上海に向かう飛行機の中でした。現地のホテルでテレビをつけると仙台空港が津波に襲われる映像が流れていたので、空港に近い会社や工場も被害を受けていることは想像できました」。すぐに引き返すことを決めたが、交通機関の被害も大きく、岩沼市にたどり着いたのは13日の夜。通信インフラが回復し、社員の安否が確認できたのも、そのころだったという。被災直後、社員の半分は会社に残り、半分が貴重品を積んだ車で避難。会社に残った人たちも自衛隊に救助されてけが人はいなかったと知った。安堵したのもつかの間、岩沼に戻った翌日に自転車で会社へ向かい、被災状況を把握した佐藤氏は、あまりの被害の深刻さに驚いた。付近の道路はふさがり、会社に近づくのも難しい状況だったという。「従業員の車が津波で工場に流れ込んでいました。工場は1階に機械を設置しているので、ほとんど全滅。建物は残っていたものの、流されてきた大量の木々が引っ掛かっている状態で、窓はバラバラになっていました。片付けようにも、片付けるためのスコップも運搬用の台車もすべて流されていて、それらを手配するところから始めなくてはいけない。津波の怖さを思い知りました。それでも、電気も上下水道も復旧しない中、従業員と連絡を取り、人力で片付けを始めました」。「被災後すぐに、従業員は雇用し続けますと宣言しました。とはいえ収入が無い状態でしたので、中小企業緊急雇用安定助成金を申請して、給与を支払っていました。名取市にある私の家を拠点にして、家が遠い従業員には食事や泊まる場所を提供し、会社や工場の復旧作業に取り組みました」。そうして従業員と共に泥かきを始めた佐藤氏。しかし、解雇はしなかったものの、復旧のめどが立たない中で男性社員の多くは辞めていき、残った従業員の大多数が女性だった。「女性従業員の多くがお母さんで、子どものため、家庭のためにも早く工場を稼動させたいという思いが強かったのだと思います。チームワーク良く復旧作業に取り組んでくれました」。最終的にはがれきや流木など、運搬した量が10tトラック十数台分にもなった。佐藤氏は彼女たちの働きぶりに、頼もしさを感じたと語る。工場に電気が供給されたのが本社と工場の機能を奪う深刻な津波の被害女性の活躍に支えられた復旧への道のり29株式会社佐藤金属2030年復興への歩み[売上高(万円)]15,4612010年13,445●「中小企業緊急雇用安定助成金」申請●10月 工場再稼働2011年17,725●「みやぎ産業廃棄物3R等 推進設備整備事業」申請2013年18,182●「ものづくり・商業・ サービス革新補助金」申請2014年14,033●「ダイバーシティ経営企業100選」に選出2015年14,1562016年17,737●「地域未来牽引企業」に選出2017年16,2392012年8,00012,00016,00020,00004,000誰もが働きやすい職場環境を目指して制度の充実を図り、雇用を創出。ワークライフバランスを実現し、従業員の家庭での時間を確保することで、地域の子どもの成長を支える。制度を整えて暮らしやすく働きやすい環境へ【目指していくゴール】被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出※9月~翌年8月まで137

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