岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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伊達政宗の流れをくむ由緒ある武士のたんすとされる「仙台箪笥」。仙台市木でもある高級材のケヤキを用い、「指さし物もの(木工)」「塗り」「金具」の3つの工程で作られる、重厚でぜいたくな工芸品だ。宮城県の指定伝統工芸品であり、丈夫で長持ちすることから、かつては嫁入り道具としても使われていた。 「ただ、最近は生活様式が変わって、たんすのある家は減っています。いくら100年以上使える物であっても、時代に合う物でないと、需要はなくなってしまいます」。そう話すのは、株式会社門間箪笥店の代表取締役社長、門間一泰氏だ。門間箪笥店は、1872年の創業以来同じ場所で仙台箪笥の製造を行っている、歴史ある製造元。7代目にあたる一泰氏は、東京の広告会社でビジネスを学び、2011年4月にUターン就職することが決まっていた。「元々、家業を継ぐつもりでいたので、心の準備はできていました」と言うが、そんな折に東日本大震災が発生。直後に先代社長である父親が他界し、十分な引き継ぎができないまま、激動の船出となった。仙台に戻ると、工房は大規模半壊で、数カ月は操業できない状況。再開後は一時的に修理が相次いだ。倒壊した家の倉庫から出てきた古いたんすが「おばあちゃんが大切にしていたものだから」と持ち込まれるケースや、津波で塩害を受けたたんすをまた使えるようにしてほしい、と依頼されることもあった。たんすは日用品であり、そこに家族の歴史が刻まれる。手直ししながら10年、100年と使える物だからこそ、「技能がなくなってしまったら、作り手として無責任だ」という思いがより強くなったという。ライフスタイルの変化により、たんすの流通量は減少している。国内の市場規模が縮小傾向にあることに危機感を持った一泰氏は、着任早々、マーケティングと販売強化に着手した。 「当時は、作った物をただ並べて売っているような状態でした。広告も打たないので、当然売れません。とにかく売り上げを上げなければ、と考え、たんす以外の商品を扱うようにしたんです」。それまでは自社のたんすのみを取り扱っていたが、「たんすと一緒に販売したときに互いに引き立て合える物」という観点から、無む垢く材のオーダー家具をラインアップに加えた。広告出稿も行い、家具やインテリアに興味のある若年層にも好まれる商品を通じて、将来的に仙台箪笥に興味を持ってもらえるような客層の獲得につなげた。また、「伝統=古い」というイメージを改めるため、若手のデザイナーを起用し、屋号のロゴマークを一新。それとともに、昔ながらの工法を生かしつつも現代の暮らしになじむスタイリッシュな製品作りを始める。それが新事業の「monmaya+(モンマヤ プラス)」だ。仙台箪笥の特徴の一つに「木き地じ呂ろ塗り」がある。30の工程で漆をムラなく塗り重ねる技法で、深み東日本大震災とタイミングが重なった事業承継現代の暮らしになじむ新しい仙台箪笥の形28株式会社門間箪笥店[SDGs]2030年に向けて2030年復興への歩み[海外売上比率(%)]●6月 門間一泰氏が専務取締役に就任●12月 香港の国際展示会に出展2011年●7月 インターネット直営通販を開始●10月 「monmaya+」発足2012年●住空間プロデュース事業を開始2013年2●2月 初めて営業社員を採用●3月 仙台市内に路面店をオープン●10月 米国・ロサンゼルスに期間限定出店2014年10●4月 香港で展示会を開催●12月 上海、香港で展示会を開催2015年10●2月 香港で展示会を開催●10月 シンガポールで展示販売会を開催2016年60●8月 台湾で展示販売会を開催●9月 香港に常設店をオープン2017年80(見込み)●2月 香港に現地法人を設立●6月 一泰氏が代表取締役社長に就任●10月 上海に期間限定出店2018年406080100020使う人のために技能を残すことが作り手の責任であると考え、幅広い人材に門戸を開いて技能を守る。同時に、生活様式に合ったものづくりを通じて、仙台箪笥を次の時代へ伝えていく。技能を継承しながら生活と共にある仙台箪笥作りへ【目指していくゴール】被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出※6月~翌年5月まで専門家派遣集中支援事業133

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