岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けて一粒のイチゴで一人ひとりを笑顔にしたい――。こんな思いが社名に込められた株式会社一苺一笑は、2012年、山元町で創業された。立ち上げたのは、いずれも東日本大震災で農業用ハウスを失った当時20代後半の幼なじみのイチゴ農家3人。代表取締役の佐藤拓実氏はこう振り返る。「地域には大きな被害が出ました。イチゴ栽培をやめた人も多く、私自身、再開するかどうか悩みました。それでも自分たちでイチゴ栽培を復活させたかったのです。幼い娘に『もう一回、イチゴを食べたい』と言われたことも心に響きました」。3人は東日本大震災前、山元町でそれぞれ個人農家としてイチゴ栽培を営んでいた。山元町は仙台市から約30㎞南下した太平洋に面した町で、隣町の亘わた理り町に並ぶ東北有数のイチゴ産地だ。両町とも東日本大震災の津波で甚大な被害があった。農業用ハウスは流され、土壌は塩害を受けた。これからどうしたらいいのか。戸惑いながらも3人を含む農業者約20人は、今後のイチゴ栽培について考えるため、グループをつくった。集まって話し合ったり、本州や九州の先進農家の見学をしたり。次第に、今後のイチゴ栽培のイメージが見えてきたという。「自分たちなりの復興の姿を思い描けるようになりました。助け合って作業するために個人ではなく組織化し、それまでのようにすべてを農協に出荷するのではなく、自分たちで販路を切り開こうと。そこで会社組織にしました」。農業生産法人の設立に際し、ICT活用を進めた。栽培ノウハウを蓄積することで、省力化や、未経験者でも就業できる体制づくりを目指した。高齢の女性や若者など、幅広い人の雇用の受け皿になりたいと思ったからだ。「東日本大震災後、イチゴ栽培を続けたいのにできない、という人が周りに結構いたんです。例えば、家族を亡くしたり、家族が別の仕事を選んだり、という人です。会社を立ち上げたのは、地域の基幹産業を活性化したい気持ちに加え、加速する人口流出や高齢化を少しでも食い止めるため、働く場をつくりたいという思いもありました」。ハウス内では温度や湿度、二酸化炭素の量などを測定。これらのデータを基に、味や収量を大きく左右する水や肥料の量、与える時期などを自動管理している。とはいえ、農業は経験に頼る部分も大きい。イチゴの状態は必ず直接見東日本大震災で甚大な被害法人化して再出発ICT活用を進め販路は自ら開拓27株式会社一苺一笑2030年復興への歩み[売上高(万円)]●3月 一苺一笑創業。イチゴ栽培を始める2012年1,0582013年4,908●イチゴ栽培研究用ハウスの設置2014年5,121●自社開発した収穫、選果、 出荷システムの導入2015年4,917●食の安全や環境保全に関する JGAP認証を取得2016年5,917●1月 松森農場オープン2018年5,0007,50010,00002,500ICT活用で栽培システムの精度をより高め、さらなる合理化、高品質なイチゴ生産を実現させ、労働環境もより整備していく。他地域や海外への展開も視野に入れている。栽培システムをさらに高度化しイチゴの品質向上と労働環境の整備【目指していくゴール】被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出「農業の活性化、地元の雇用創出をさらに進めたい」と語る佐藤氏※9月~翌年8月まで2017年8,700●会社の前身となる イチゴ農家のグループ発足2011年129

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