岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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ただ、後継ぎ不足の解消に向け、後継者がいる経営体には手厚くすることにしました」。まず、カキやギンザケなど、各魚種の作業の手間や価格などを考慮し、いかだ1台当たりの点数を決定。後継者がいる経営体、単独の経営体など体制別に経営体の総ポイントも定め、その範囲でどの魚のいかだを何台持つか、選んでもらう。漁協職員の協力も得て、緻密な制度を作った。「これも反対は多かった。でも、今後30年、50年と漁業を続ける若者のことを考えて作った制度だから、譲るわけにはいかなかった」。間隔を約40mに広げ、台数を3分の1に減らそうと考えた。以前はいかだは千台超あり、保有台数は人によってばらばらだった。数台の人も、50台近い人もいた。これをいったんリセットし、全員に漁業権を返上してもらった上で平等に再出発することを掲げた。カキ漁の今後を話し合う部会の会議は、東日本大震災直後の2011年6月にスタート。後藤氏が今後の計画を提案すると「本当に1年でできるのか」「収入は確保できるのか」など、反対の声が相次いだ。「なんで、俺のいかだを奪うんだ」と詰め寄られることもあった。だが、3日に1回は集まって話し合いを続け、後藤氏は粘り強く説得を重ねた。時には「この方法でなければ部会長を辞める」と言い切った。そんな中、水産庁関連の「がんばる養殖復興支援事業」に採択され、3年間の支援を受けられることが決まった。この期間は実験できることが後押しとなり、新しい方法で再出発した。過密状態解消の結果はすぐに現れた。「1年で成長し、しかも30~40gと実入りが良くなりました。以前は3年かけても15gほどの時もあったのに。味も変わり、雑味や渋みが消えて、甘みやうまみが増しました。色も良くなって、価格も上がり、いつしか反対はなくなりました」。3年間の支援事業期間中は共同経営することが条件だったが、終了後は個人経営に戻った。戸倉地区はそのタイミングで、カキ以外の漁業者も含めた地域全体で「漁業の常識からみれば、革命的な制度」(後藤氏)を導入する。全国でも初めてという「ポイント制」だ。「いかだを平等に保有して個人経営を始めてもらいたかったのです。1朝日に輝くカキを水揚げする後藤氏2日本で初めて取得したASC認証の証明書3イオン環境財団の第5回生物多様性日本アワード優秀賞に選ばれ、贈られた記念品4「養殖方法を変え、ASC認証を取得し、いろいろなことが好循環になった」と振り返る後藤氏5実入りも色つやも良い戸倉産のカキ過密状態を解消し1年での養殖に成功12345126

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