岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けて身はふっくらと大ぶりで、甘みやうまみを存分に堪能できる南三陸町戸倉産の養殖マガキ。品質の良さが評価され、首都圏のスーパーで「戸倉ブランド」として販売されるようになった。それは東日本大震災後、養殖の在り方を抜本的に変えたたまものだった。「東日本大震災前は、すべてが悪循環に陥っていました」。この地区のカキ養殖漁業者34人でつくる宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉カキ部会の代表である部会長の後藤清広氏は、こう振り返る。戸倉地区でのカキ養殖は、海中にロープを垂らして行う。ロープの端には浮きを付けて海面に出し、海中のロープには一定間隔でホタテの貝殻を付け、貝殻にカキの稚貝を付着させて栽培する。この漁具を地元漁師は「いかだ」と呼ぶ。以前はいかだといかだの間隔は10mほどで、5mしかない場所もあったという。そのため、それぞれのカキに十分な養分が行き渡らなくなり、成長速度は遅くなっていった。かつては1年で漁獲できていたが、2年、3年かかるようになった。養殖期間が長くなる一方、実入りは悪くなり、味も落ち、価格は下落していった。「それを補うためにいかだを増やすから、質が落ちて、より養殖に時間がかかるようになって、労働時間も長くなって…。そんな状態が、もう20年近くも続いていたのです」と後藤氏は語る。南三陸町は東日本大震災による津波被害が大きかった地域。カキ養殖のいかだも稚貝もすべて流された。家や作業小屋を失った人も多く、後藤氏も自宅の1階が壊滅的な被害を受け、小屋は流された。被災後は町を離れる人もいた。漁をやめる仲間もいた。後藤氏もやめようと思っていた。ところが、続けざるを得なくなる出来事が起こる。「ちょうど改選期で、部会長に選ばれてしまったんです。漁師をやめるつもりだったから、会議を欠席したら、決まってしまって」。部会長に就くに当たり、新しい養殖方法への転換を決意した。危機感が強かったからだ。「以前と同様に過密状態の漁を続けたら、生き残ることはできない」。環境負荷の少ない、持続可能な養殖方法にすることで状況を改善し、1年で高品質なカキを水揚げすることを目指した。具体的には、いかだの東日本大震災前は悪循環に陥っていた漁具も稚貝も流され抜本的改革を決意26宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉カキ部会2030年復興への歩み[水揚量(万円)]110,8492010年5,8462011年47,522●2月 「がんばる養殖復興支援事業」の 支援期間スタート2012年66,4752013年110,8092014年96,042●共同経営から個人経営に戻り、 ポイント制を導入2015年115,270●3月 日本初のASC認証取得2016年137,987●9月 イオン環境財団の第5回生物多様性 日本アワードで優秀賞受賞2017年60,00090,000120,000150,000030,000環境に配慮した養殖方法に切り替え、高品質なカキを1年で生産できるようになった。今後、「戸倉産カキ」の認知度を高め、カキ以外の魚種の高品質化も進める構想だ。持続可能な養殖方法で付加価値の高い漁業を続ける【目指していくゴール】被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出過密状態だった、かつての海 現在の海の様子。カキ養殖のいかだの間隔は十分にある※4月~翌年3月まで125

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