岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
123/155

も徐々に来店してくださるようになりました。5年間入居していた仮設店舗での新しい常連のお客さまが買いに来てくださることもあります。被災前と同じように休憩スペースを設けたので、お客さまにお茶を出しておしゃべりを楽しむこともあります」(智子氏)。被災から6年かかっての本設店舗の開店。決して短い時間ではない。長谷川夫妻はなぜ、営業を続けるモチベーションを保てたのだろうか。「あの被害状況を目の当たりにして、正直に言えば、私はもう二度と店はできないと思いました。でも、夫はいろいろな支援制度を知る前から『必ず店を再開するぞ』と。それを聞いて私も前向きな気持ちを持つようになりました」(智子氏)。「私はのり屋の家に育って、仕事熱心だった父親の姿を見てきたこともあって、幼い頃からずっとのり屋の仕事が好きでした。自分ではあまり覚えていませんが、『僕は大きくなったらのりの大学に行く!』場で試食して、一口で気に入ったんですね。歯切れの良さと甘みが特長で、味が良いんです」(行則氏)。「地元紙の『三陸新報』に広告を出したら、その切り抜きを持参して買いに来たお客さまがいらっしゃったんです。うれしかったですね」(智子氏)。仮設店舗での営業努力と並行して、商店街の再建についても検討を始める。「仮設商店街に入居した店舗のうち6軒は、私が被災前に店を構えていた鹿折の『かもめ通り商店街』にいた方々でしたし、他の2軒も鹿折に住んでいた人たちでしたから心強かったし、話も早かったです。皆で話し合いの場を設けて『いずれは鹿折に戻ろう』と決め、勉強会も始めました。鹿折のどこに土地を求めるべきかなど話し合ったのです」(行則氏)。鹿折地区での本設商店街の新設に向けて、遊休地の確認や他地域の商店街視察などを行いながら検討を進めていた折、施設復旧費用の4分の3が補助されるグループ補助金を知った。「仮設商店街の仲間とグループをつくって2016年に申請し、採択されました。残りの費用も金融機関から借り入れたんです」(行則氏)。こうして東日本大震災から6年が過ぎた2017年4月、鹿折地区に新しくできた『かもめ通り商店街』で本設店舗を開店した。「今では、仮設店舗から距離があって足が遠のいていた年配の方や、被災前に常連だったお客さまと言っていたらしいです(笑)。だからこそ、被災したまま商売を終わらせたくない気持ちがあったのです。それが大きな原動力だったと思います」(行則氏)。仕事が好きだという気持ちを原動力にして、店舗兼自宅の全壊という状況から復旧を果たした長谷川夫妻。最近は和食文化の将来も気がかりだと話す。「近頃は、若い方はあまりのりを家に常備したり、急須でお茶を入れて飲んだりしないそうです。でも、どちらも和食文化の大切な要素ですから、私たちものりやお茶を提供することで和食文化を守る手助けができればと思っています」(行則氏)。日本が誇る和食文化を守り続けるためにも、これからも気仙沼の新しい店舗で営業を続ける。グループ補助金を活用し鹿折に本設店舗を設置好きな仕事を被災で終わらせたくなかった25長谷川海苔店モチベーションアップのために先代から続くのりの仕事を被災を理由にやめたくないという気持ち1顧客や取引先からの再開を望むメッセージ2商店街新設に向けた気心の知れた仲間たちとの協力3被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出6123

元のページ  ../index.html#123

このブックを見る