岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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[SDGs]2030年に向けて長谷川海苔店の店主、長谷川行則氏は塩竈市でののりの仕入れを終え、気仙沼市内の自宅に向けて三陸自動車道を走っているときに東日本大震災に遭遇した。「地震が落ち着いてから何とかして店のある鹿しし折おりまで戻って、途中で運良く妻と合流できたので一緒に避難所まで歩いたんです。2人ともけがはありませんでした」。のり販売にとって3月は、11月ごろから始まった仕入れが一段落して「さあ、これからのりを売るぞというタイミング」(行則氏)。店から少し離れた倉庫には1,000万円相当以上の商品が保管されていたが、津波にすべて流された。3階建の店舗兼自宅も全壊し、「数年ぶりにまとめて購入していたのりの袋や、米、味噌など、商売と生活に必要な物がすべて流されてしまいました」と行則氏の妻・智子氏は語る。「津波の後、店の近くで新しいのりの袋がぷかぷかと水に浮いているのを見たときは、やっぱり悔しさや無力感を感じましたね」(智子氏)。2人は50日間ほど避難所で過ごした後、5月に津波の難を逃れた近隣の親類の家に移り住み、店の営業を再開する。「のぼりを家の前に立てたんです。『こうすれば下の道路からも営業しているのが分かるんじゃないか?』なんて言いながら。それからプリンターで店名を大きく印刷して、窓に貼ったんです。家の中に簡単な売り場を作って、被災当日に仕入れていたのりや、県外から仕入れたお茶を並べました。夏の終わりごろにはのりを袋に詰める機械も買いました。お茶の葉を袋詰めするために欠かせないザルは、私が自分で和紙を貼って作ったんですよ」(行則氏)。品ぞろえがままならない状況でも店の再開を決めたのは、顧客や取引先からの励ましがあったからだという。「避難所で寝泊まりしていた頃、横浜のお客さまから手紙が届いたんです。『気仙沼の被害を知って心配しています。待っているから、時間がかかってもぜひお店を再開してください』と。それはもう、一番うれしかったですね。静岡のお茶の問屋さんがお茶や生活物資を送ってくださったことも励みになりました」(智子氏)。もちろん、生活のためという側面も大きかったという。「OA機器のリース費用や宅配業者の集金など、こまごまとした支払いがあったのに加えて、事業資金や住宅ローンの債務も複数の金融機関に返済している途中でした。ある金融機関には利息だけは支払いを継続してほしいと言われたので、収入を確保する必要があったんです」(行則氏)。しかし既存の卸し先のほとんどは津波の被害を受け取引がストップし、売り上げは激減していた。そんな折、地元の信用金庫から二重ローン対策を担う株式会社東日本大震災事業者再生支援機構(震災支援機構)のことを教えられ、商売と生活に必要な物はすべて流された被災から2カ月で営業再開震災支援機構も活用25長谷川海苔店2030年復興への歩み[取扱品目数(品)]20●5月 親類の家で 店の営業を再開2011年1002010年25●2月 仮設商店街に店舗を移設2012年302013年352014年402015年502016年70●4月 本設店舗を開店2017年802018年406080100020若年層を中心に「魚離れ」や「急須でお茶を入れる習慣の欠如」が見られる。質の良いのりやお茶を提供して、その趨すう勢せいに歯止めをかけ伝統的な食文化の維持を目指す。のりとお茶の販売を通じて、伝統ある日本の食文化を守りたい被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出【目指していくゴール】中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業東日本大震災事業者再生支援機構による債権買い取り※1月~12月まで121

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