岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
113/155

年7月下旬に再オープン。自身も家族と離れ離れになって暮らすなど、被災地の状況を肌で感じてきた在家氏は「まだまだ大変なこの時期に、レジャー施設をオープンしていいのか。市民に受け入れてもらえるのだろうか」と葛藤したという。しかし、選手や家族連れなどが続々と来てくれ、平日も週末もにぎわった。多くの人が「再開してくれてよかった」と喜んでくれ、毎日のように通ってくれる人もいた。「当時はまだ、娯楽や遊ぶ場所がなかった。必要としてくれる人がこんなにいたんだ、とうれしかったです」と在家氏は語る。懸念していたクレームは1件もなかった。羽生選手は仙台に戻って練習を再開した。そして、初出場した2014年のソチ五輪で、日本人男子では初めてフィギュアスケートで金メダルを獲得する。その後のメディアの取材で、こう話したことがある。「あれ以上、苦しいことも悲しいことも不便なこともない。東日本大震災があったから、困難を乗り越えられるようになり、金メダルを獲得できた」。実は、東日本大震災後はスケートをやめることも頭をよぎったと2012年に出版した『蒼い炎』の中で打ち明けている。羽生選手は『蒼い炎』、2016年発行の『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』の2冊の印税を全額、アイスリンク仙台に寄付した。アイスリンク仙台は寄付金でバスを購入し、子どもたちの送迎などに使っている。羽生選手も荒川さんも、折に触れてアイスリンク仙台でのイベントに訪れ、色紙にサインするなどしてくれる。加藤氏は「2人がいなかったら運営を続けられなかったかもしれない」と感謝する。2017年、アイスリンク仙台が入る商業施設の所有者の三井不動産株式会社は、施設のリニューアル工事を行った。アイスリンク仙台には、羽生選手と荒川さんの記念品を展示するギャラリーを設けた。写真パネルやスケート靴、各賞受賞時の記念品などが並ぶ。写真パネル以外は、いずれも2人が寄贈してくれた。ギャラリーには多くのファンが訪れる。在家氏は「とりわけ羽生ファンが多いです。最近は中国など外国人観光客も増えていますよ」。今では世界中にいる羽生ファンの「聖地巡礼」の訪問場所の一つになっているという。運営を引き受けてから10年以上たち、徐々に仙台に根付いてきた。当初は、リンク周辺だけだった小学校のスケート教室は、今では仙台市内の全域に広がった。フィギュアだけではなく、ショートトラック、アイスホッケー、カーリングなどでの利用も増えている。加藤氏は今後についてこう語る。「より市民に愛されるリンクにしたいです。また、荒川さん、羽生選手に続く選手も育てたいですね」。荒川さんと羽生選手の記念コーナーを開設地元でさらに愛される施設になりたい23アイスリンク仙台地域を盛り上げるために五輪金メダリスト、選手を応援。ギャラリーを開設し、寄付で子どもたちの送迎バス購入1東日本大震災後、早期に復旧。多くの被災者の娯楽施設に2小学校の教室での利用を増やしより市民に愛されるリンクを目指す3被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出7113

元のページ  ../index.html#113

このブックを見る