岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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員たちは、加藤商会が管理運営する全国各地の現場に派遣された。在家氏も東京や広島、名古屋などに赴任し、ホテル暮らしを続けた。「スケートどころではない状況が続いている。再開にはしばらく時間がかかるだろう」と、加藤氏も在家氏も考えていた。しかし、羽生選手が各地を転々として練習していたため、「早く再開して」との声を全国のファンなどから受けるようになる。とはいえ、加藤氏は当時の状況に加え、経営的な観点からも再開を迷った。「夏場に一から氷を張るためには、冬の3倍以上の電力を使う。その上、集客も苦労します」。それでも、早期再開に踏み切った。「羽生選手のためもありましたし、東日本大震災後にスケートをやめてしまった若い選手も多かった。選手たちの力になれるならという思いでした」。社員たちも工事を行い、2011被災者に喜んでもらえた早期の営業再開1かつて荒川さんや羽生選手も練習を重ねたスケートリンク2「スケート人口を増やしたい」と語る加藤氏。事務所には羽生選手のサインが入ったパネルが飾られている3東日本大震災後に再開したリンクには、「がんばろう!! 東北」の文字を刻んだ4アイスリンク仙台で行われた「スケートアカデミー」で子どもたちにコツを教える荒川さん5羽生選手からの寄付で購入したアイスリンク仙台のバス6荒川さんと羽生選手のゆかりの品が並ぶギャラリー72017年のアイスリンク仙台リニューアル完成披露式典でテープカットをする荒川さん(右から4人目)と本田武史さん(同5人目)※4と7は三井不動産株式会社提供134265112

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