岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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2018年の平昌五輪までにフィギュアスケートで五輪金メダルを獲得した日本人選手は、荒川静香さんと羽生結弦選手のみ。くしくも2人は、共に仙台市にあるスケートリンク「アイスリンク仙台」で練習を重ね、世界に羽ばたいた。アイスリンク仙台は、2人の金メダリストを支えてきた。同時に、2人もリンクを支えてきた。現在、リンクを運営しているのは、東京に本社がある株式会社加藤商会。1965年に創業し、全国約20カ所のスケートリンクの管理運営のほか、整氷機やスケート靴の製造などを行っている。加藤商会がアイスリンク仙台の運営を始めたのは2007年からだ。かつては別の企業が運営していたが、リンクは2004年に閉鎖していた。その2年後の2006年、荒川さんがトリノ五輪で日本人として初のフィギュアスケート金メダルを獲得する。日本中が歓喜に沸き、荒川さんの得意技「イナバウアー」は同年の流行語大賞に輝いた。加藤商会の代表取締役、加藤松彦氏はこう振り返る。「荒川さんが『宮城県は練習環境が整っておらず、私が練習してきたリンクも閉鎖された』と話したことで、宮城県や仙台市が再開に向けて動いたのです。それで、うちに管理運営してもらえないかと打診がありました」。ただ、社内では「赤字になるのでは」「選手が集まらないのでは」と反対の声も多かった。加藤氏も悩んだ。「確かに、条件は良くありませんでした。集客の不安に加え、閉鎖期間中に機械は使えなくなってしまい、まるで廃虚のようでしたから改修費もかかります。それでも、当社にとっては東北初のリンクですし、当時は浅田真央さんをはじめフィギュアスケートブームでしたので、挑戦することにしました」。再開後、数年間は赤字が続いた。そして「やっと経営が軌道に乗り始めた頃に東日本大震災が起きました」と加藤氏は言う。アイスリンク仙台がある仙台市泉区は、震度6弱の地震に襲われた。支配人の在家正樹氏は「私は事務所にいましたが、地面から突き上げられるような感じで、事務所内はぐちゃぐちゃになりました。受付の窓からやっと脱出しました」と振り返る。リンクには当時、高校生だった羽生選手もいた。「羽生選手は他のお客さまと一緒に、すぐに外に避難して無事でした。それを聞いてホッとしましたが、『氷が波打った』と話していたそうです」。政府の節電要請を受け、アイスリンク仙台は休業した。ただ、休業中だった4月、再び大きな地震が起きた。在家氏は「東日本大震災で、壁には崩壊寸前の亀裂が入っていました。その壁が、4月の地震で崩れてしまったのです。リンクの氷が溶けていたため、むき出しになっていた配管は落下した壁で断裂しました」と話す。休業中、アイスリンク仙台の職荒川さんの思いを受け営業引き受けを決意東日本大震災により休業リンクには羽生選手も23アイスリンク仙台[SDGs]2030年に向けて2030年復興への歩み[売上高(万円)]10,5002010年8,400●7月 営業再開2011年8,800●4月 仙台市内全域の小学校で スケート教室始まる2012年9,9002013年10,700●2月 羽生結弦選手がソチ五輪で金メダル獲得●年間ののべ入場者数6万人突破2014年11,0002015年10,2002016年9,800●12月 施設リニューアル。荒川さんと 羽生選手のギャラリー開設2017年6,0009,00012,00003,000「フィギュアの五輪金メダリスト2人を生んだ町」であることは、仙台市民の誇りだという。より市民に愛される施設になり、2人に続く選手の輩出を目指す。市民により愛される施設になり世界で活躍する選手も育てたい【目指していくゴール】被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出※6月~翌年5月まで111

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