岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2018-2019 想いを受け継ぐ 次代の萌芽~東日本大震災から8年~
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リアス式海岸が続く岩手県沿岸部に位置する陸前高田市で約130年以上にわたってブドウ栽培を続け、地元の人々に親しまれるジュース飲料などを製造している有限会社神田葡萄園。その歴史は、出稼ぎ大工だった初代が、晩年果樹栽培を志し、1889年に西洋ブドウの苗木を10本ほど植えたことに始まる。リンゴやナシの栽培が盛んな土地にあって、湿度と雨に弱く、栽培が難しいことで敬遠されていたブドウにこだわり、試行錯誤を重ねた。最初は家族で食べて、余った分を販売していたが、やがて大豊作でさばききれなくなると余ったブドウを搾り、果汁にして安価で販売。それが看板商品である「葡萄液」製造の足掛かりとなった。また、1905年には果実酒の製造免許を取得し、法人化。ワインの製造、販売を開始し、贈答品として人気を集めるようになった。以降、神田葡萄園が6代にわたって受け継いできた歴史や思いについて、代表取締役の熊谷晃弘氏は次のように振り返る。「山、川、海の豊かな恵みに囲まれたこの土地は、夏は冷涼、冬は温暖。春から夏には冷たく湿った『やませ』が海から吹きつけ、潮風に含まれるミネラルがブドウにも独特のすっきりとした味わいを与えてくれます。初代がこの土地で始めたブドウ栽培を守り続けたいという思いと、栽培から生産まで一貫して行い、この地でしか出せない味のブドウを育ててきたプライドを代々受け継いできました。また、早くから加工にも目を向け、今でいう6次産業化に取り組んだことで、今日まで時代の変化に対応しながら事業を継続することができたと考えています」。戦前から生産を続けていたワインだったが、時代背景の変化により、需要が激減。1953年には果実酒の製造を廃止した。それでもブドウ栽培は継続し、事業の柱を葡萄液をはじめとする飲料製造、販売にシフトした。以降、ジュースなど身近な商品を中心にラインアップを拡充しながら業績を回復。1970年には、大手メーカーの飲料に対抗すべく、4代目が社運を懸けて商品化した「マスカットサイダー」が現在まで続くロングセラーとなる。「懐かしい味わいと製法、レトロなデザインが幅広い世代のお客さまから受け入れられ、今でいう『地サイダー』のはしりとなりました」。さらに平成に入ると、ブドウを使用したジャムやゼリーなど、菓子系の商品も手掛けるようになる。2002年には旧・道の駅高田松原に直営店を開業するなど、地域密着型の企業として存在感を示すようになっていった。2011年3月、東日本大震災が神田葡萄園に甚大な被害を及ぼした。敷地内には高さ1~1.5mの津波が押し寄せ、工場及びブドウ畑が浸水。直営店も被災し、営業できない状態が4カ月ほど続く。21有限会社神田葡萄園[SDGs]2030年に向けて2030年復興への歩み[ワイン醸造量(L)]●ワイン専用のブドウの苗木を植栽2010年●工場・ブドウ畑が津波の被害を受ける●直売店にて販売を再開2011年2012年2013年1,000(委託醸造)●「収穫ボランティア」の取り組みを開始2014年3,500●代表取締役に熊谷晃弘氏が就任●果実酒製造免許を再取得2015年5,500●リアスワインを初出荷。約1,000本が完売2016年8,0002017年4,0006,0008,00002,000陸前高田で栽培したブドウを使用したワインを通じて、相性の良い海産物をはじめとする地域の食材の豊かさをアピールし、陸前高田における食文化や産業の維持・発展に貢献する。リアスワインを通して、陸前高田の食の魅力をアピールブドウの栽培から加工まで地元ならではの味を模索身近な商品開発に注力しヒット商品も誕生寄せられた声を励みに商品の製造を再開被災地での再生・被災地への進出海外進出・観光誘致地域振興・スポーツ振興社員の働きがい新分野進出【目指していくゴール】※4月~翌年3月まで103

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