
生まれも育ちも福島県広野町。青木裕介さんは、この町で合同会社ちゃのまプロジェクトを立ち上げ、多世代交流スペース「ぷらっとあっと」を運営しています。東日本大震災を機に広野町を離れた経験が、故郷への思いをより深めることとなりました。地域の一員として、青木さんはどのような広野町の未来を描いているのでしょうか。女性アイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のメンバーで、福島県いわき市出身の諸橋沙夏さんがリポートします。
「広野町ってどんなところ?」震災を経て見つめ直した故郷
東日本大震災が発生したあの日、当時30歳だった青木さんは、東京電力福島第一原子力発電所で働く親戚から「原子力発電所が危険だ」という連絡を受けました。広野町は東京電力福島第一原子力発電所からおよそ22キロの距離。できるだけ遠くへ避難しようと、妻や幼い2人の子どもたちを連れて車を西へ走らせました。ガソリンが尽きた先は、それまで縁もゆかりもなかった会津若松市でした。
「たまたま辿り着いた場所でしたが、人の温かさに支えられました。宿泊施設を提供してもらい、そこでの生活が始まりました」
青木さんは避難先の会津若松市で、家族を養うために職業訓練校のアシスタントとして働くことになりました。震災翌年には広野町への帰還が可能になりましたが、会津若松市で築いた縁を大切にしたいと考え、子どもたちを市内の学校に入学させ、自らは職業訓練校に正社員として就職しました。パソコン関連の資格を取得し、新たなキャリアを築きました。しかし、その中で青木さんは“あること”に気づいたと話します。
「会津の人たちは、自分の町の魅力を誇りを持って話すんです。お酒が美味しい、食べ物が美味しい、自然が豊かだと。しかし、“広野町ってどんなところ?”と聞かれたとき、僕はうまく答えられなかったんです。自分が生まれ育った故郷のことを、実は何も知らなかった。そのことに気づき、改めて広野町を見つめ直しました」

福島県の沿岸部に位置する広野町。海と山に囲まれ、四季折々の自然が楽しめる町で、ミカンの栽培が行われるほど一年を通して温暖な気候が特徴です。日本の代表的な童謡として多くの人に親しまれる「とんぼのめがね」は、広野町出身の作詞家が作った歌で、広野町の美しい情景が描かれています。また、日本初のサッカー専用ナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」が立地することでも知られ、サッカーが盛んな町でもあります。しかし、その故郷は東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で町民たちが避難を余儀なくされ、バラバラになってしまいました。
「広野町の現状を多くの人に知ってもらいたい」という思いが込み上げ、青木さんは復興への歩みを進める町の様子をFacebookなどのSNSで発信するようになりました。そうした中で、広野町でまちづくりに関わる人たちと出会い、避難先から広野町に通いイベントを開催するなど、次第に故郷への思いが募っていったと言います。そして震災から7年が過ぎた2018年、避難先の会津若松市で生まれた3人目の子どもが小学校に入学するのを機に、家族とともに広野町へ戻る決意をしました。
「ぷらっとあっと」でやりたいことを一緒にかなえる
広野町に帰還した青木さんは、町に住む多くの世代が関わり合える地域交流事業を手掛ける合同会社「ちゃのまプロジェクト」を立ち上げました。2021年にはJR広野駅から徒歩3分の場所に、多世代交流スペース「ぷらっとあっと」を開設しました。この場所は、もともとスーパーの倉庫だった建物。仲間たちとともに壁や照明器具などをDIYで改装し、温かみのある空間に生まれ変わらせました。施設の名前には、誰でも“ぷらっと”立ち寄れる場所という意味が込められています。
その名前の通り、県立ふたば未来学園に通う高校生や中学生たちの寄り道の場所ともなり、電車が来るまでの学習スペースとして活用されています。天井には流木を使ったアート作品が飾られていますが、ここに通う高校生が町の人たちと交流しながら作ったものだそうです。
「ぷらっとあっと」は、震災後の広野町には気軽に集まれる場所が少ないという背景から、地域の人たちが気軽に立ち寄れる「居場所」を作りたいという想いで設立されました。子どもから大人まで、地元の人と地域外の人が交流し、つながりを深める場として機能しています。

「家には親がいて、学校には先生がいる。でも、学校でも家でもない“第3の居場所”として、地域のちょっと変わった大人がいる場所。そんな感覚で子どもたちが遊びに来てくれるのが嬉しいですね」
そして、この場所は訪れた人同士が交流するだけでなく、何かをやりたい人がいたらみんなで応援してそれをかなえていく拠点にもなっています。例えば、町に新たな名物を生み出そうと「ひまわりの迷路」をみんなで作ったり、自家製野菜やハンドメイドのオリジナル小物などを持ち寄ったマルシェを開催したり、これまでに次々と楽しい企画が生み出されています。
「ここではみんなが主役なんです。どんな小さなことでも、思ったことを口にし、実際にやってみる。それが積み重なって、小さな成功体験になっていくんです」と話す青木さん。住民同士や町を訪れる人たちとのつなぎ役として活動する一方で、この場所でパソコン教室を開き、次の情報発信の担い手の育成にも力を入れているそうです。そんな青木さんは、ここに通う人たちから親しみを込めて呼ばれている“あだ名”があるといいます。
- 諸橋
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「何て呼ばれているんですか?」
- 青木
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「“もじゃ先生”って呼ばれてます。子どもたちだけでなく年配の方にもそう呼ばれるんです(笑)」
- 諸橋
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「見た目もそうですが、優しくて穏やかな性格だからそう呼びたくなっちゃう気持ちが分かります」
広野の人の温かさにふれて育ってほしい
広野町は東日本大震災で全町避難を余儀なくされましたが、2012年には浜通りの自治体でいち早く避難指示が解除されました。その広野町には、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響を受けた双葉郡の教育再生を目指した県立ふたば未来学園が設置され、福島の未来を担う若者たちの学びの場として大きな役割を果たしています。多世代交流スペース「ぷらっとあっと」には、その生徒たちが多く訪れ、町民たちと様々な活動をしています。そうした活動を目の当たりにし、青木さんには新たな思いが生まれています。
「ここでの活動を通して改めて気づいたことがあります。それは、広野町が持つ“人の温かさ”です。だからこそ、この町を誇れる場所にしたい。この町で育った子どもたちが、大人になったときに『広野町で育ちました』と自信を持って言えるような場所にしたい。そのためには、町の魅力を言葉にできることが大切だと思うんです。どんな小さなことでもいい、『これが広野町のいいところだ』と伝えられる町にしていきたいですね」
復興へ歩みを進めながら、新たな未来を築こうとする広野町。その一歩を支える「ぷらっとあっと」は、これからも人と人をつなぎ、町の魅力を発信し続けます。

PRESENT

一般公募で選ばれた正式名称は「朝陽に輝く水平線がとても綺麗なみかんの丘にある町のバナナ」。その名の通り、広野町の美しい海辺や山並みが綺麗な自然の中で育ち、復興への願いが込められています。糖度が高めでクリーミーかつ濃厚な味わいをお楽しみください。
このページの中で、レポーターの諸橋沙夏さんが取材の感想として書いた言葉が応募キーワードです。ページをお読みいただき、番組ホームページのメールフォームからご応募ください。
本商品は、TOKYO FMで放送中の「Hand in Hand」内で応募プレゼントとして紹介されているものです。
本サイトからの応募はできませんので、希望される方はこちらよりご応募ください。
なお、応募締切は2025年4月4日(金)となります。
【動画はこちら】イコラブ諸橋沙夏さんが双葉・広野・富岡へ!復興へ取り組む福島の魅力をリポート
ラジオ放送情報
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