Hand in Handreport.79

風評の払拭にむけて実際に現地に訪れて見たこと聞いたことを、分かりやすく伝えるレポートです。

インタビュー2024.09.20

釣り客復活まで愛船と耐えた我慢の日々…相馬の遊漁船業・佐藤信敬さん

女性アイドルグループ「=LOVE」のメンバーで福島県いわき市出身の諸橋沙夏さんと大堀相馬焼の窯元・春山窯の13代目小野田利治さんの写真

2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲ったその日、福島県相馬市の海はかつてない恐怖に包まれました。しかし、その恐怖に一人の男性と彼の愛船が立ち向かい、命がけの航海を繰り広げました。その男性とは相馬市で遊漁船を営む佐藤信敬さん(54歳)、そして彼の愛船「アンフィニー号」です。あれから13年…震災と原発事故を乗り越え、全国からも多くの釣りファンたちが訪れるほどの人気となったアンフィニー号の軌跡について、いわき市出身の女性アイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のメンバー・諸橋沙夏さんが話を聞きました。

取材の様子は動画でも公開中!

未曾有の大津波との命を懸けた戦い

「子どもの頃から釣りが大好きだったんです」と話すのは釣り船「アンフィニー号」の船長・佐藤信敬さんです。幼少期から父親が所有していた船で毎日のように釣りを楽しんでいた佐藤さんは、相馬をはじめ、宮城、山形、秋田など各地で釣りを学び、その経験を活かして28歳のときに遊漁船業を始めました。“お客さんが無限に楽しめる釣り船にしたい”との思いから名付けたアンフィニー号。県内外から訪れる多くの釣りファンに親しまれ、アイナメやヒラメ、メバルといった旬の魚を求める人々に夢とロマンを提供し続けていました。

旬の魚を求める人々に夢とロマンを提供して続ける釣り船「アンフィニー号」の船長・佐藤信敬さん
船長の佐藤信敬さん

遊漁船を営みながら家族との幸せな日々を送り、新しく購入したばかりの住宅で暮らし始めて1か月が過ぎた2011年3月。巨大な地震が日本を襲いました。突然の大地震とその後に押し寄せた大津波は、佐藤さんの人生を一瞬で変えてしまいました。

大津波警報が鳴り響く中、佐藤さんは港に停泊していたアンフィニー号を守るため、直ちに沖へと船を出しました。津波が白い泡を立てて押し寄せる様子を、船のレーダーで確認した佐藤さんは、命がけの決断をしました。「船を港に留めていたら津波にもまれて大破してしまう。沖で立ち上がる津波を乗り越えれば、船を守れるはずだ」と。

津波の山が迫りくる中、佐藤さんは操舵輪を握り締め、全身全霊で船を沖へと進めました。「怖かった。波が山のように見え、その頂点に船が差し掛かったときには、下にいる船が小さく見えた」と語る佐藤さん。大津波の頂点を越え、まるでジェットコースターのように急降下する瞬間は死を覚悟したと言います。

「万が一、船が転覆しても遺体が上がるようにライフジャケットを2つ装着していました」

船長のその覚悟を感じていたのか、アンフィニー号は大津波を乗り越えてくれました。佐藤さんは船を守り切ったのです。しかし、港に戻ると、佐藤さんを待っていたのは変わり果てた港の光景でした。

震災直後の相馬港の様子の写真
震災直後の相馬港(提供:福島中央テレビ)

アルバイトの毎日と再起への想い

何とかアンフィニー号を守り切った佐藤さんでしたが、海のすぐそばにあった自宅は津波に押し流され、土台だけが残る姿となっていました。その状況に言葉を失った佐藤さんですが、避難していた奥さんと二人の子どもが無事だったことに安堵しました。

「自宅は失ったけれど、船と家族の命が残っただけでもよかった」

その後、佐藤さんは避難所での生活を続けながら、アンフィニー号の営業再開を目指します。しかし、津波からの復興だけでなく、追い打ちをかけるように起こった原発事故が釣り船の営業再開の道を阻みました。放射能の影響で、福島県沖で獲れる魚介類の出荷が制限され、佐藤さんは長期間の休業を余儀なくされました。

営業再開前のアンフィニー号の写真
営業再開前のアンフィニー号(提供:福島中央テレビ)

避難所での生活は決して容易なものではありませんでした。釣り客からは「早く再開してほしい」との要望がありましたが、原発事故の影響で営業再開の見通しは立ちませんでした。佐藤さんは、知り合いのつてを頼りに様々なアルバイトをこなしながら生計を立てる日々。仮設住宅の水道工事や空調工事、火力発電所での作業員、冬には高速道路の除雪作業など、数多くの仕事に従事していたといいます。

福島県以外の釣り船は震災後数年で再開できるところもありましたが、福島県沖で水揚げされる魚の多くが出荷制限されていたため、営業再開の見通しは非常に厳しいものでした。佐藤さんは一時、別の土地へ移り住んで釣り船を再開しようかと悩んだこともあったといいます。しかし、見知らぬ土地では船を係留する場所や魚が釣れるポイントが分からず、断念せざるを得ませんでした。

そんな辛い日々の中、佐藤さんは「絶対に再開できる」と信じ続けました。魚から検出される放射性物質の量は徐々に減少し、検出限界値未満となる魚が増えていきました。「ひたすら我慢の日々だった」と当時を振り返ります。補償についても、弁護士に依頼して請求するなど、苦労を味わいました。

「自宅の購入や船の修理などで借金がいっぱいあった。このまま営業が再開できなければ破産するしかないと思った」と語る佐藤さん。それでも「とにかく海に出たい。お客さんたちが魚を釣って喜んでいる姿をもう一度見たい」と願い、辛い日々に耐えました。

ついに訪れた再開の日

そして、震災から5年9ヶ月が経過した2016年12月、ついにアンフィニー号は営業を再開しました。休業している間に多くの釣り客たちは県外での釣りに流れてしまいましたが、アンフィニー号が再開すると聞いて常連客たちが徐々に戻ってきてくれました。再開当初は予約が埋まらない日もありましたが、その後、相馬の海での大物釣りの魅力が再び広まり始めます。

営業再開に向けた試験運航をする佐藤さんの様子
営業再開に向けた試験運航をする佐藤さん(提供:福島中央テレビ)

「震災の影響で漁業者が操業を制限されていたため、水産資源が豊富になっていたんでしょうね。1メートルを超えるヒラメが釣り上げられることもありました。」と話す佐藤さん。大物を次々に釣り上げて喜ぶ釣りファンたちの姿が相馬の海に戻ってきたのです。辛かった日々がようやく報われた瞬間でした。

「お客さんたちが再び相馬の海で釣りを楽しむ姿を見ることができて、本当に嬉しい」

アンフィニー号の営業再開は、佐藤さんにとっても地域にとっても大きな喜びでした。相馬の海で再び大物を釣り上げることができるという事実は、震災を乗り越えた証でもあります。そのことを裏付けるように、「相馬に行けば大物が釣れる」との口コミが広がり、関東圏からの釣り客のみならず、愛知や大阪など遠方の釣りファンたちも訪れるようになったのです。

実際に釣れたヒラメの写真
大物のヒラメを狙って県内外から釣り客が訪れる

現在では土日の予約はすぐに埋まってしまうほどの人気にまで復活したアンフィニー号。全国の釣りファンたちを魅了する相馬の海での釣りとは?次回の記事では、イコラブの諸橋さんがアンフィニー号に乗船!ヒラメ釣りに挑戦した様子をお届けします。

アンフィニー号は10月27日(日)に行われる「親子ヒラメ釣り大会in浜通り」(復興庁主催)にも参加します。ご応募はこちらから。

【動画はこちら】イコラブ諸橋沙夏さんが取材!相馬・大熊・浪江の復興ストーリー

ラジオ放送情報

「Hand in Hand」は、平日朝6時から生放送でお届けするラジオ番組「ONE MORNING」内で毎週金曜の朝8時11分に放送。TOKYO FM/JFN36局ネットにてお聴きいただけます。番組を聴き逃した方は、ラジオ番組を無料で聴くことができるアプリ「radiko」のタイムフリーでお楽しみください。
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