
この13年もの間、時が止まってしまったかのように廃れてしまった場所があります。国の伝統工芸品に指定される「大堀相馬焼」の窯元が集まる福島県浪江町にある大堀地区。2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う原発事故で帰還困難区域に設定された場所です。300年以上も伝統を守り続けてきた陶器づくりの職人たちは工房も住む場所も奪われ、“陶芸の里”は見るも無残な状況に陥ってしまったのです。しかし、大堀相馬焼がこの世から失われることはありませんでした。窯元たちが避難先で陶器づくりを続けていたのです。今回の記事では、避難先で伝統を守り続けながら新たな挑戦を続ける大堀相馬焼の窯元を女性アイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のメンバーで福島県いわき市出身の諸橋沙夏さんが取材しました。
原発事故による避難で失われたもの
「その日もいつもと変わらず釉薬(ゆうやく)をかけて窯で焼く準備をしていました。午前中に半分が終わって残りの半分を窯に詰めているときに大きな揺れを感じました。その揺れで積み上げていた作品が全部割れてしまいました」
そう話すのは大堀相馬焼の窯元・春山窯の13代目小野田利治さん(62歳)です。20歳のときに父の跡を継ぎ、先祖代々受け継いできた窯を守ってきました。“13代目”の窯元と聞いて、その歴史の長さを感じざるを得ません。

「大堀相馬焼」の発祥は江戸時代までさかのぼります。「青ひび」と呼ばれる模様が特徴で、狩野派の筆法で描かれた「走り駒」は縁起が良いものとされ、現在の浪江町周辺を治めていた相馬藩の特産品として全国にもその名を轟かせていました。明治時代には「二重焼き」の技法が考案され、入れたお湯が冷めにくく手に持っても熱くないという特徴が加わりました。その美しさと機能性は海外からも高く評価されるようになり、小野田さんの父が窯元を務めていた時代に国の伝統的工芸品にも指定(1978年)されました。さらに、“陶芸の里”の魅力を多くの人に伝えていくため、2002年には観光客が陶芸体験をできる施設「陶芸の杜おおぼり」が完成し、窯元たちの作品を一堂に集めた展示販売会「大せとまつり」には毎年数万人が訪れる人気ぶりでした。しかし、その伝統が途絶えかねない危機が襲ったのです。
2011年3月11日、浪江町を襲った地震は震度6強。大堀地区は海からは離れた場所にあり、津波の被害は受けなかったものの、原発事故による放射能の影響を受け、避難指示区域に指定されてしまったのです。

「当時すぐに避難しろという放送が流れました。1週間もあれば戻れるかなと思いましたが気づけば13年。家も住めるような状態じゃないし、想像以上でした」
当時、浪江町大堀地区には小野田さんを含めて20軒を超える窯元たちがいましたが、避難によって県内外に散り散りとなり、陶芸の里の礎ともなっていた“地域の繋がり”が失われてしまったのです。
「川があって、そこで芋煮会や鮎のつかみ取りなどを子どもに体験させられる、本当にいい場所でした。ここでのコミュニティは壊れてみんなバラバラになってしまいました」
理事長として駆け抜けた混乱期
「この場所にはもう戻れないかな…」と諦めようとしたとき、小野田さんに大きな転機が訪れました。震災後の混乱期に大堀相馬焼協同組合の理事長に就任することになったのです。地区の命運を託された小野田さんは「伝統を絶やしたくない」との思いで避難した窯元たちと連絡を取り合い、国や県などへの支援を求め続けました。
「どうにかして大堀地区で大堀相馬焼の製作を続けていきたいということで、国とか県とかにお願いしに行ったんですけど・・・」
浪江町は原発事故から6年後となる2017年3月に一部の避難指示が解除されましたが、大堀地区は放射線量が高く、避難指示解除の対象にはならなかったため、元の場所での製作活動ができなかったのです。避難が長引くことで、やむなく避難先で新たな窯を作って生産を続ける窯元もいました。しかし、20軒以上あった窯元たちの多くは廃業を余儀なくされてしまったのです。
そうした中でも小野田さんは各地を奔走し続けました。そして、原発事故から丸10年となる2021年3月、避難先で生産再開した7つの窯元たちの作品を展示販売する「なみえの技・なりわい館」のオープンにこぎつけたのです。この施設は、浪江町の復興のシンボルともいえる「道の駅なみえ」に併設され、訪れた人が陶芸体験をすることもできます。

「ここには大堀相馬焼協同組合の組合員で窯を再開した人たちが出品しています。浪江町に再び大堀相馬焼がこうして並ぶとは想像もできませんでした」と話す小野田さん。大堀相馬焼の伝統を守り続ける窯元たちの思いを知ってほしいと、避難先から通いながら陶芸教室も開いてきました。そして、2023年3月、ついに浪江町大堀地区の避難指示が一部、解除されたのです。さらに、その年の6月には「陶芸の杜おおぼり」が再開し、風物詩として親しまれてきた「大せとまつり」も13年ぶりに復活したのです。
取材した日、小野田さんは再開した「陶芸の杜おおぼり」を案内してくれました。そして、復活した「大せとまつり」をこう振り返りました。
「多くのみなさんが駆けつけてくださって、中々会えなかった友人たちと話しするのが楽しかったですよね。やっぱりこの場所で生まれ育ったので、また昔のように集える場所、そして、後継者たちがまたここで伝統をつないでくれるようになれば嬉しいなと思うんですが、そこまでなってくれるように、こちらとしても頑張らないといけないなと思っています」

この14年間、大堀相馬焼の復活に力を注いできた小野田さん。現在は理事長の職を離れ、自由な創作活動を満喫しているといいます。その拠点は浪江町ではなく福島県の中通りに位置する本宮市です。次回は、避難先で生まれた“縁”と新たな挑戦についてリポートします。
【動画はこちら】イコラブ諸橋沙夏さんが取材!相馬・大熊・浪江の復興ストーリー
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