Hand in Handreport.15

風評の払拭にむけて実際に現地に訪れて見たこと聞いたことを、分かりやすく伝えるレポートです。

インタビュー2020.10.22

『悲願の本格操業再開へ~福島・相馬の漁師の思いを聞く』

全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。

今回は、福島県相馬市から「『悲願の本格操業再開へ~福島・相馬の漁師の思いを聞く』をレポートします。

相馬市の地図の画像

福島沖は、暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかる“潮目”と呼ばれるプランクトンの豊富な海域で、獲れる魚種は200種以上と非常に多いです。しかもこの海域で揚がる魚は、肉厚で身の質もいいということで、“常磐もの”と呼ばれ、高値で取引されてきました。

しかし、2011年に東日本大震災が起こり、9年半余りたった今でも、福島県では魚を獲る日数や規模を限定し、漁業を試験的に行う「試験操業」という独自の漁業体制を続けています。

この「試験操業」は、震災の翌年に相馬双葉漁港から始まりました。その時の対象魚種は、モニタリング検査で安全が確認されたミズダコなど、わずか3種類のみ。その後、福島沖で採れる魚介類や海水に含まれる放射性物質の状況などの調査を重ねながら、安全性が確認される度に、徐々に出荷制限を解除、水揚げ対象魚種の拡大を図ってきました。
福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)では、国の基準値(1キログラム当たりの放射性セシウムが100ベクレル)を超える魚介類が市場に出回らないよう、更に厳しい自主基準値(50ベクレル)を設定。魚介類はもちろん、海水に含まれる放射性物質の状況なども含め調査を重ねてきています。
県水産海洋研究センターの調査では、2015年4月以降、放射性セシウム濃度が国の基準値を超えた検体は一つもありません。
これらの状況を踏まえ、2020年2月に全ての制限が解除され、現在では、すべての魚種が出荷できるようになっています。

そして2020年9月29日。福島県漁連はついに、2021年4月の本格操業再開を目指すことを発表し、福島の漁師さんたちにとっての悲願である本格操業再開への道のりが初めて示されました。

復興へ向けて着実に歩みを進める福島の海。そんな“豊饒の海”を漁場にする漁師の4代目である菊地基文(きくちもとふみ)さんに、福島の漁業の現状についてお話をお伺いしました。

海を背景に開沼博さんと菊地基文さんが並んで腕を組んでいる写真
写真左:インタビューアーを務めた開沼博さん(立命館大学衣笠総合研究機構准教授)
写真右:菊地基文さん

菊地基文さんのお話

Q
福島の漁業の現状についてお聞かせください。
A
東日本大震災があって操業自粛が続いて、1年3ヶ月後からはサンプリングで魚を獲って、安全性が確認された魚種に限って市場と消費者の動向を調べるという目的で試験操業が始まりました。地道にモニタリングを重ね、安全性が確認された魚を随時出荷規制から外し、魚種が増えて、操業海域も増えて今に至るという感じですね。今は全ての魚種が出荷できるようになりましたが、漁場はもうちょっと制限されていて、あと操業時間が短いので、水揚げ量的にはまだ震災前の実績の2割とかそれくらいです。
相馬双葉漁協の停泊所と、コンテナが積まれている漁港入口の写真
写真:相馬双葉漁協
Q
震災前と比べて操業はどうですか?
A
自分は沖合底引き網漁と言って泊まりがけで漁をしてくる操業内容だったんですけれども、今は試験操業で日帰りで戻ってくるので、行ける漁場も限られていて水揚げ量的なところとか(が元に戻っていない)。あとは魚価ですね。じわじわ震災前の魚価に戻りつつあるんですけど、それでもまだ当時よりは安値で取引されているという現状もあるので、その魚価の回復というところですかね。
Q
特に若い方は、これからも漁業をやっていくぞという気持ちとか、モチベーションが下がってしまうこともあるかと思いますが、いかがですか。
A
若くもないですけどね、もう44歳ですから(笑)。まあでも、別に東日本大震災があってもなくても漁業を取り巻く環境ってどんどん厳しくなってきていたから、個人的な考えですけど、原発事故があったから逆に、その魚の価値ってどうやったら上げられるんだろうとか考えられたし、実際そういうことに取り組む時間もできたし。まるっきりマイナスじゃなくて、楽しいことばかり考えて、どうやって面白い取り組みにできるかとか、そういうことばかり考えてやっているんで、苦労したとか全然思っていなくて。そういう風に捉えれば全然下を向くこともなくなると思うし。
後継者は毎年増えているんですよ。やっぱり漁業の魅力って、本来は獲ったら獲ったぶんお金になるという仕事で、漁師の醍醐味というところ。他の浜よりは水揚げも下げずにやっていた浜だったから、後継者はもともと多かったですね。ただ、震災後も世襲なんですよ。個人の家庭で船を経営しているからとか、お父さんがかっこいいからとか、お父さんが海で稼いでくるからその仕事に憧れてとか。結局、息子が後を継ぐというのがずっと続いているんですよね。
網を水揚げする機械とレーンを積んでいる漁船清昭丸の写真
写真:菊地基文さん所有の「清昭丸」船内

福島沖で水揚げされた魚介類も当初は福島県内のみの流通でしたが、安全性を示すデータを積み上げることで出荷先が拡大しています。流通大手のイオンが「福島鮮魚便」と銘打った販売コーナーを設けるなど、現在は39都道府県に「常磐もの」等の福島県産魚介類が流通しています。

イオン株式会社 -イオンリテール「福島鮮魚便」
(「福島鮮魚便」を展開する東京・埼玉・群馬・宮城の13店舗の販売コーナーでは、福島の現状と放射線の正しい知識を伝えるマンガ「キャイ~ンの福島探訪記~美味しい魚とスーパー科学に出会った~」を配布しています。)

一方で、農林水産省がまとめた2018年漁業センサス(実態調査)によると、過去1年間に利益などを得るために漁業を行った世帯や事業所を指す「漁業経営体」の数は、震災前と比較し、福島県ではようやく半分の水準にたどり着いた段階です。

農林水産省 - 2018年漁業センサス報告書

再び、菊池さんにお話を伺いました。

Q
震災以降、菊池さんは情報発信を続けていらっしゃいますが、「常磐もの」のアピールポイントはどんなところでしょうか?
A
ざっくり言うと水産業界ってすごく閉鎖的な業界で、何々漁港ってググっても魚種とか調理方法とかなかなか出にくい産業ではあるんですよね。そういうところも震災後に気づかされて。だったら自分たちで発信すればいいやと思って、現在もいろんな取り組みを引き続きやっているんです。この魚はこうやって食べたら美味しいんだよ、とか漁師が言ったらまずい訳ないじゃないですか。だからそういう漁師目線も活かしながら、発信していけたらと思っていますね。
カレイ一つとっても、震災前ここはカレイの水揚げ日本一の漁港だったんです。カレイは1魚種しかないと思われがちなんですけど、この浜でも20種類以上のカレイがかかるんです。やっぱり刺身で美味しい魚、煮付けで美味しい魚、焼き物で美味しい魚、揚げ物で美味しい魚とか、カレイでも色々あって話し出したら明日までかかりますね(笑)。
今のこの季節で言ったらやっぱり常磐もののヒラメですかね。ヒラメも震災前は日本一の水揚げがあった場所で、他の漁港と決定的に違うのは自然管理に特化している浜でもあって50センチ以下のヒラメは漁獲しない。50センチですよ!毎年夏場に100万尾放流するんですが、その資本というのも自分たちの水揚げから払うんです。稚魚種苗栽培というのを震災前からずっと続けていて。だから資源も毎年潤沢にあるし、ここは日本の中でも有数の遠浅の地形で、そういうところがカレイ類ヒラメ類のいい棲家になっている。だからクオリティも品質もいいヒラメやカレイが育っていて胸を張れる魚だと思います。
水揚げされ、トレイに乗せられた活きのいいヒラメとカレイの写真と、茶色の皿に盛りつけられた刺身の写真

“50センチ以下はリリース”というルール。こうした独自のルールだけではなく、漁に携わる人たちが稚魚を放流するなど、資源を守っていることが美味しい“常磐もの”の背景にはあります。“カレイの話は明日までかかる”と菊地さんは言っていましたが、震災後、各地で“常磐もの”の魚を使ったイベントを開き、その質の高さや美味しさを伝え続けている方でもあります。

風評被害についてもお話を伺いました。

Q
風評被害にどう立ち向かっていこうとお考えですか。
A
個人的な考え方なんですけど。魚は獲れた場所から、地場から発信して魅力的だなと思わせる事が、ひいては魚価につながってくることだと思うし、細かく言い出したら難しいんですけど。
今まで魚って大規模物流に乗って大消費地に流れていった訳で、物流の中には仲買さんが荷受業者さん(卸売業者)に送って、そして豊洲の市場価格に左右されてきたんですね。この地方卸売市場というのは、中央市場出荷の割合が大体8割9割だったんです。ここの浜はそうじゃなくて、もうちょっとその割合を下げて、一般の小売や飲食店にお客さんが増えれば、自分たちの言い値で値段を付けられるんじゃないかと。だから市場出荷を抑えて新しいお客さんや新しい販路を作るということで、魚価も結構上がってくるとは思うんですよね。
プラス、今までここの市場で値が付かなかった魚とかがある訳です。そういう魚に値がつけば、水揚げの補填にもなるし、今までの実績を上回るかもしれない。マグロの大トロだって、アンコウだって昔は猫またぎと言われて誰も目をつけなかった魚で、それがどんどん高級魚に生まれ変わっていった訳だから、どんな魚でもスターになる可能性はあって、そういうものを生み出すということも、ここの浜の魚の価値につながってくることだと思うから、今、自分たちでもECとかも使ってそういう名前も知らないけど美味しい魚を消費者に直接届けられるような仕組みを構築中です。
ここに挙げただけでもいくつかあったけれども、もっともっとやりようはあると思うから、そういう一つひとつを自分たちがやって楽しい取り組みに変えられればいいなと思っています。
Q
今後、漁師としてどのように生きていきたいですか?
A
結局、自宅が海のすぐそばだったので、仙台に来たころからちょこちょこ帰ってきては海を眺めに行ったんですよ。その時にぼーっと海を見てたんですけど、周りはすごい瓦礫の山で、もう何もなくて全然景色が違ってるんです。でも、海は全然変わってないんですよ。夏の6月、7月で天気の良い日で、すごく波もいいし、何か見てるうちにムラムラっと波乗りしたくなってきて、それでウエットスーツを着て入ろうとしたら家族から猛反対を受けたんです。
Q
それはどういう理由で反対だったんですか?
A
目標とかはあまり作っていなくて、自分のやりたいことをやっていければなと思っています。俺は51歳で死ぬと考えながら生きているから(笑)。うちのじいちゃんも親父は51歳で死んでるんですよ。じいちゃんの場合、俺が小学校くらいの時によく口癖で「ああ早く死にてえな」とか言っていて、なんかその意味が今になってすごくよく分かるようになってきて。もうやりきったからいつ死んでもいいや、みたいなことからそういうことを言っていたのかなとか考えると、すごくじいちゃんがカッコいいなと思い始めて。だから自分もその血を継いでいる訳だから、そうやって死ねればな、と思っていて。漠然と目標というよりは、自分でやってやると、できる、必ずできるみたいな目標をというくらいしか置いていなくて(笑)。
広大な海の上にたたずむ松川浦文字島の写真
写真:松川浦文字島 提供:相馬市産業部商工観光課

今回は、「悲願の本格操業再開へ~福島・相馬の漁師の思いを聞く」と題しレポートしましたが、福島県漁連では、来たる2021年春の本格操業に先駆けて、新たな漁業復興計画を9月からスタートさせています。相馬双葉漁協の主力である沖合底引き漁船の2024年の水揚げ総量の目標を2,888トンと定めるなど、現在では震災前の2割程度にとどまる水揚げ量を、今後5年間で6割程度まで回復させるとしています。

そして菊地さんが拠点とする松川浦でも、地元海産物などを直売する相馬復興市民市場「浜の駅松川浦」が10月25日にオープンします。隣接地には大型遊具を備えた「尾浜こども公園」も開園するなど、にぎわいの再開へ向けた明るい話題が続いています。

相馬復興市民市場【浜の駅 松川浦】2020年10月25日オープン


この取材を収録した「Hand in Hand」は9月26日の朝8時からTOKYO FMでオンエアされました。またオンエア後の放送内容は(http://www.tfm.co.jp/hand)でご覧になれます。

ラジオ放送情報

「Hand in Hand」は8地区(FM北海道/FM仙台/ふくしまFM/TOKYO FM/FM愛知/FM大阪/広島FM/FM福岡)で放送中。
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※8地区(FM北海道/FM仙台/ふくしまFM/TOKYO FM/FM愛知/FM大阪/広島FM/FM福岡)の放送エリア外からは、radiko.jpプレミアム(有料)でお聴きいただけます。

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