村尾信尚さん特別インタビュー 福島で起こったことを伝えていくのが私の役割

関西学院大学の教授で、2006年から2018年までニュース番組「NEWS ZERO」のメインキャスターを務めた村尾信尚さん。

東日本大震災の後、取材や授業で幾度となく福島県を訪れる中で感じたことや、さらなる復興に向けて一人ひとりができることについてお聞きしました。

東日本大震災の発生当時はどこで何をしていましたか。

仕事の関係で東京・上野の美術館にいて、入る直前に地震が起こりました。建物は耐震・免震構造なので大丈夫だということでしたが、やっぱり相当揺れましたし、20~30分すると津波の情報が入ってきて、これは大変だということですぐに日本テレビに駆けつけました。そこから私も夜通しで中継をしていましたね。

ただ、日本テレビに入って情報を集めようとしたときにはもう周りがだいぶ暗くなっていて、現場がどうなっているのかよく分からない。スタジオでは本当に確実な情報、あるいはテレビのモニターから分かる情報、それを何回も繰り返している状況でした。
例えば被害者数もまだ数十人だとか、これからどんどん増えていくと思っていても、全く分からない。どちらかというと周囲の状況、特に千葉県の火災や東京都内の様子、帰れない人の交通困難、そういった報道がほとんどでした。

福島県に14年間で何度も足を運んだ中で、変化をどう感じていますか。

着実に復興に向けて歩みは進んでいるとは思います。ただ、やはり光と影があって、その格差が特に福島は広がっている気がしますね。
太平洋側の浪江町の辺りには新興ベンチャーが進出しているし、「福島イノベーション・コースト構想」で水素の研究施設など、いろんな施設を作っている。私も学生を連れて毎年見に行きますが、若い人がどんどん入ってきて、将来の日本が見えるような試みをされているし、期待を抱いています。

明るい部分がある一方で、例えば大熊町や双葉町の中を回ってみると、まだまだ帰還困難区域があって、14年間そのままの状態だった家屋や町並みが残っています。そういうところを見ると、やはり格差というか、光と影の部分があるのは私もしっかり認識しないといけないし、伝えなくてはいけないというのは来るたびに感じます。
宮城や岩手、その他の東北と違って、やはり決定的だったのは原発事故の影響なので、私達が福島でできることは何なのかということはいつも考えますね。

福島の復興に向けて、具体的にはどのように関わっていますか。

私は関西学院大学の特定任期制教授で、専任の教授ではなく、学生の授業を持っているのは1年間に1週間くらいだけなんです。その授業は「福島から原発を考える」というテーマで、例年8月下旬に学生たちを福島に連れてきて、福島県庁の方からの説明と同時にバスで地域を回り、2日目は福島第一原発の中に入って、3日目は東大の開沼博先生の講義を受ける。伝承館に行ってみたり、住民の方からお話を聞いたりして、ニュートラルな形で原発を考えるということをやっています。

やはり関西地域では、ある意味で他人事なんです。だから学生たちを連れて行って、実際に現場を見せています。一昨年も保護者が危険だから行くなということで、学生は行きたいと言っていたのに、取りやめざるを得なかった。それほどまだ認識が進んでいないというのは痛感しました。
学生たちは福島に行く前後では全然違います。みんな他人事じゃないと思うようになっているし、本当に百聞は一見に如かずというか、私がどれだけ言っても、やはり福島であの地震を体験した人の一言のほうが学生には響きますよね。中には帰ってきた後に、関学の学生食堂で福島県産の野菜を売ろうと職員に交渉した学生もいました。

私たち一人ひとりにできることはどんなことでしょうか。

われわれにできるのは、やはり消費行動だと思うんですよ。消費を通じて福島を応援する、福島産のものを食べる、福島に旅行する。それが福島を助けることになります。
よく高校生に言っているのが、君たちは高校3年生になると投票権がもらえますが、もう一つの「けん」は日本銀行券、つまり君たちの財布の中にあるお札だと。消費というのはある意味で日銀券による投票行為で、それをどこに使うと社会が良くなるかを考えてほしい。例えば福島の企業に使うということは、福島を助けることになります。

今はSNSで事実かどうか分からないような情報が流れているので、やはり見て確かめてみることも非常に重要です。それが福島についてマイナスに響くと本当に良くないので、そういうところも心掛けなければいけないと思いますね。

福島のさらなる復興に向けて、課題に感じているのはどんなことでしょうか。

私は日本でいろんなところに行っても、一番元気が出るのは福島県なんですよね。希望もあれば、失望もある中で、しかしながら本当に福島で会う人は、頑張ってらっしゃるっていうのは力強く思います。
福島県の特に沿岸部を見ていると、確かに人は去っている一方で、どんどん新しい人が入ってきて、そこで新しいことを始めている。いい意味での新陳代謝がものすごく進んでいます。若い人たちがゼロからやって、日本を展望するような活躍をしてほしいという意味で、すごく元気が出るし、また残ってる方々も力づけてくれています。

ただ一方で、もうここには戻りたくないというのを聞くと寂しいし、それから帰還困難区域で立ち入れないところを見ると、やはりまだこの影は引きずっていくという思いはしています。
あとは、だんだん忘れ去られていることは被災地の方から本当に聞くし、忘れ去られていくのは怖い。だから私の一つの役割は、やはりそれを伝えていくことです。福島で起こったことを忘れず、福島以外の人にも、次の世代にも伝えていくことは、非常に重要だという想いはありますね。

関西学院大学 教授
村尾信尚さん

公務員・NPO活動・ニュースキャスター等の豊富な経験を踏まえながら、政策提言・教育研究・ 情報発信を行う。
1978年大蔵省(現財務省)入省。2003年より関西学院大学教授。
2006年10月~2018年9月「NEWS ZERO」(日本テレビ系)メーンキャスター。

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