2025年度中学生・高校生が巡る被災地視察ツアー
レポート

被災地視察ツアーの様子

2025年11月15日(土)~16日(日)の2日間で行われた
被災地視察ツアー。

参加者は青森県から佐賀県まで、全国9県・計11校より中高生22人。最年少の中学2年生は東日本大震災が起きた年に生まれ、高校生たちも被災の記憶はありません。災害の爪痕を残す震災遺構施設や被災者が眠る霊園、多くの人の努力で復興を進める場所を巡り、彼らは何を感じたのでしょうか? 2日間の様子をレポートします。

1日目2025年11月15日(土)

環境再生プラザ

まず訪れたのは、「環境再生プラザ」です。こちらは東京電力福島第一原子力発電所の事故後の環境再生の取り組みと放射線の正確な情報を発信するため東日本大震災発災の翌年、2012年にオープンしました。「身の回りの放射線はどこから来るの?」「体への影響は?」など、わかりやすいタイトルが立てられ、復興の歩みとこれからのことを知る上で欠かせない放射線の基礎知識、福島の環境再生のために必要なことをしっかりと学ぶことができます。

  • 環境再生プラザはJR福島駅徒歩5分。福島県の環境再生に関する情報がぎっしりと展示

  • 専門スタッフからの解説や、質疑応答。メモを取りながら話を聞く参加者たち

「放射線に発がん性があることは知っていたけれど、心配になる基準が知りたかった」という生徒たちが多く、放射線の基礎知識のコーナーに注目していました。専門スタッフの安藤さんの話から、「お酒やたばこ、ストレスなどと同じように放射線も細胞を傷つける要因の1つ。食べ物にもカリウム40などの放射性物質が入っているけれど、カリウムは健康を維持するために欠かせないものでもある」と知り、納得の表情を浮かべます。

  • 福島県の環境再生を考えるときに欠かせない「放射線」の正しい知識を学ぶ

  • 帰還困難区域にも様々な仕組みがあり、特定帰還居住区域は将来的な解除を目指している

復興に向けた再生事業では、除染の方法を詳しく知ることができました。2日目に訪ねる中間貯蔵施設には、除染で発生した大量の除去土壌が保管されています。除染は最初の工程のため、参加者たちはここでしっかりと予習をします。放射性物質のセシウムは土に着くと固く結びついて溶け出さずにとどまる性質があると聞き、「表土などを5㎝削り取るのはそういうことだったのか」と合点。地面だけでなく建物の屋根や壁も洗浄したこと、福島県内外の市町村で、大変多くの人が関わったことなど、作業の大変さがよくわかりました。

  • 気になる展示内容はそれぞれ違う。除去土壌の復興再生利用の説明を読み込む参加者

  • 学校に帰ったらこのツアーレポートを発表するために、撮影も一生懸命

参加者の声

放射線は害があるとばかり思って恐れていたけれど、安全性の基準の面もわかった。

福島県の環境再生のおおまかな内容やこれまでの歩みがつかめた。専門スタッフが語る解説は説得力がある。

道の駅なみえ

一行は福島市から、東京電力福島第一原子力発電所の事故で帰還困難区域となった市町村へと入ります。バスで走ること1時間。浪江町の「道の駅なみえ」に着きました。ここで昼食をとり、午後のコースに備えます。
全町避難指示が出た浪江町はいまだに避難指示が解除されていない地域もありますが、復興のシンボルとしてこの、道の駅なみえがオープンしました。2020年のことです。

  • 浪江町は福島県沿岸部「浜通り」にある町

  • 「道の駅なみえ」に到着。これからこのツアーの舞台、浜通りを巡る前に腹ごしらえ

今日のメニューはご当地グルメの「なみえ焼きそば」です。「これが焼きそば?」って思うくらい、なみえ焼きそばは麺が太くて焼きうどんのよう。ここの焼きそばは、いりこだしが効いていてうまみがあり、食べ応えたっぷり。
参加者は、新鮮な海産物や海産加工品、桃味のポテトチップスなどご当地おやつなどがそろっているお土産コーナーでお買い物。道の駅なみえには、東日本大震災後、県外に避難していたが避難指示解除によって浪江町に戻って地元での酒作りを再開した鈴木酒造の日本酒「磐城壽」や、浪江町の伝統的な陶磁器「大堀相馬焼」の作品の共同売店なども。浪江の魅力が盛りだくさんです。

  • 極太麺が特徴の「なみえ焼きそば」の具はモヤシと豚肉とシンプル。ご当地グルメの1つ

  • バスでの自己紹介で盛り上がり友達に。趣味のこと、部活のこと…話したいことがたくさん

ポケモン好きの参加者が向かったのは「ラッキー公園inなみえまち」。ポケモンの作者・田尻智さんのお父様が浪江町出身ということで、「ラッキー」は「幸せ(福)を運ぶ」と言われることなどからふくしま応援ポケモンに任命されているんです。

  • ラッキー以外にもベロリンガ、ピィやププリンなどのポケモンたちが公園遊具のモチーフになっている

  • ポケモン好きが集まった。好きなポケモンのこと、ゲームの進捗…会話が盛り上がる!

参加者の声

とても明るい雰囲気で、驚きました。ここで「ラッキー」に会えると思わなかった。

浪江町のグルメは海鮮がメインだと思っていたので、まさか焼きそばが出てくるとは。麺がもちもちしていておいしかったです。

大平山霊園~震災遺構
浪江町立請戸小学校

浪江町請戸地区にある「大平山霊園」と「震災遺構 浪江町立請戸小学校」は、浪江町在住でご自身も津波の被害にあい、一時避難を経験した岡洋子さんが案内してくれました。岡さんは現在、東日本大震災前後の浪江町を紙芝居で伝える「浪江まち物語つたえ隊」で活動しています。 浪江町請戸地区は100種類もの魚介類が水揚げされ、500軒の家に約1600人が生活する活気ある港町でした。「そこに15.5mの波が襲い掛かったんです。防波堤が決壊し、181人の犠牲者が出ました。壊滅的な被害を受け、墓地も流されましたが、またここに戻れなくても先祖の墓を供養し続けたいという声から整備されてできたのが大平山霊園です」と岡さん。参加者は犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に手を合わせます。

  • 「全国から来てくださったんですね。ありがとございます」と挨拶された岡さん

  • 岡さんの「自分の命を守ることを一番に」の言葉をかみしめながら慰霊碑に手を合わせる

  • がれきが積み重なり死亡者もいたこのエリアにできた祈りの場所が、ここ大平山霊園と聞き生徒の表情も真剣に

  • 「刻まれた名前で家族だとか、小さい子どもと想像がつく」と、犠牲者を偲ぶ参加者たち

  • 浪江町東日本大震災慰霊碑。慰霊碑の裏に、慰霊碑に込められた想いが刻まれている

  • 岡さんは「大平山の手前まで人家があり、漁業関係者が住んでいたのが今は何もない」と話した

「震災遺構 浪江町立請戸小学校」は、防災について考えるきっかけになるようにと震災遺構として保存され、2021年から一般公開されています。学校は海から300mの場所。「津波が来る」の知らせを受けて、先生たちは大平山まで児童を避難させました。地震発生から約30分後には標高45mの大平山に到着しました。その後、地震から約40分後には学校は津波に飲み込まれましたが、全員助かりました。
天井や壁が剥がれた教室、天井が落ちた体育館、がれきとなった印刷機、職員室の名簿…参加者は津波の爪痕を見つめながらゆっくりと歩きます。構内は窓ガラスが破れ、吹きさらしです。学校は参加者にとって身近な施設だけに、心に迫るものがありました。そこにあった日常が一瞬にして消えてしまう自然の力を前に、参加者たちは自分に何ができるのか考えようという気持ちが芽生えたようです。

  • 右中央にある青い看板は津波の高さを表している。2階の床まで浸水した

  • 教室や保健室、放送室などがあった1階部分。見る影もない姿に言葉を失う

  • 見学ルートには「16:40奇跡の救助」など時系列でそのときの様子が書かれ、追体験できる

  • 調理室。大きな窯も壊れ、中はぐちゃぐちゃ。「おいしい湯気が立っていたところだったのに」

  • 2階は展示スペースになっていて、震災前の請戸地区の姿も見ることができる

  • 東日本大震災発生時の津波の様子や体験談インタビューの映像を観る参加者たち

参加者の声

「どうせこないだろう」と海を見に行った人がいたことがショック。起こりうることとして考えなければいけないと思いました。

津波の威力を感じずにはいられませんでした。

181人という犠牲者の数だけを見れば多くはないと思っていたけれど、大平山霊園の慰霊碑で名前を見ると、1人1人に人生があったんだなと悲しみがこみあげました。

東京電力廃炉資料館

一行は浪江町から富岡町の「東京電力廃炉資料館」へ。「東京電力廃炉資料館」は東京電力福島第一原子力発電所事故と廃炉事業の現状を確認する場として、東京電力が設置しました。まずは地震発生から東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故とその対応についての映像を観ます。「天災と考えず、防げなかったことに正面から向かい合い安全な廃炉に全力をつくす」という言葉に、参加者はこの資料館での学びの意味をしっかりつかんだ様子です。
次に、東京電力福島第一原子力発電所敷地内の原子炉建屋が水素爆発を起こした原因など事故の詳細や、廃炉作業の現況について説明を受けました。震災当日事故現場で起きていたことを運転員の目線で体感できる構成で、津波、停電…想定外の現実にぼうぜんとした運転員たちのリアルな感情に触れ、想像をふくらます参加者たち。積極的にリスクを伝えなかった対話力、安全意識、事故に備える技術力、すべてが足りずに事故が起こったとの分析に、神妙な面持ちでうなずいていました。

  • 浪江町から富岡町への途中にもまだ帰還困難区域のバリケードがところどころに見られた

  • 「東京電力廃炉資料館」外観。事故発生前は「エネルギー館」として地域の憩いの場だった

  • 東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故とその対応についての映像を観る。社会不安をもたらした事故の大きさがまざまざと感じられる

  • 2班に分かれてスタッフの説明を聞きながら見学。気になる部分はしっかりメモを取る

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉事業では、原子炉建屋で発生する放射性物質を含む汚染水の処理も大きな課題です。トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水が「ALPS処理水」です。「ALPS処理水」を海に放出し始めたことは知っていたけれど、これから数十年もかかるとは」と驚く生徒も。

  • 1~4号機の原子炉建屋それぞれで何が起きたのか、各原子炉建屋の問題について学んだ

  • 運転員が事故時現場で起きていたことを語る映像

参加者の声

謝罪から始まったことに驚き。なぜ事故を防げなかったのか、もっと考えていきたい。

燃料デブリのレプリカ(模型)を見ることができた。燃料デブリは放射線量が高く、量も880tもあって、取り出しも長い道のりだということがよくわかった。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を体験したかのように感じることができた。

震災語り部講話

バスは浪江町からお隣の双葉町にある双葉町産業交流センターへ。ここで、大平山霊園からツアーに同行してくれている「浪江まち物語つたえ隊」の岡さんの紙芝居を鑑賞します。
岡さんたちは、生きたかった人の思いを伝えたいと思っていたときに、広島県で紙芝居の活動をしている作家と出会い、東日本大震災の翌年から紙芝居を読み始めました。レパートリーは浪江町に伝わる昔話と、3.11以降の東日本大震災にまつわる実話が50本ほど。それを持って仮設住宅などを訪問してきました。「今も心の傷が癒えず、自らの経験を語れずにいるという人がいます。この事実を知らない人がいっぱいいるから、私たちは伝え続けるんです」。参加者は、岡さんの力強い言葉をかみしめます。

  • 「震災はどこでも誰にでも起こりうる。どう行動するか、家に帰って家族と話してね」と参加者に伝える岡さん

  • 語り部の話を紙芝居という形で聴くのは初めての体験という参加者がほとんど

この日の紙芝居のタイトルは『無念~なみえ消防団物語』。がれきの下の生存者に気づきながら原発事故で立ち入り禁止となり、救助に向かえなかった消防団の無念が描かれています。「許してくださいと唱え、涙する時もある」「無念さに怒りを感じている」「この思いは一生消えることがないだろう」…一文一文が生徒たちの心に迫ります。
紙芝居を読み終えて岡さんはこう言いました。「目の前にいる人を助けられなかった。消防団は大きな十字架を背負ってしまった。役場職員さん、介護士さん、農家の方、学校の先生、東電職員…いろんな無念がある。社会に出て何ができるかを彼らの“無念”から学んでほしい」。

  • 紙芝居を読む岡さん。岡さんの声から登場人物の感情が伝わってくる

  • 自分だったらどうしていただろう…共感しながら真剣に聴き入る参加者たち

被災地には道の駅など人が立ち寄れる場所も増えてきましたが、まだバリケードもあちこちにあり、浪江町はまだ約80%が帰還困難区域です。「人口は震災前の10分の1で約2300人になってしまいましたが、移住者といっしょに新しいまちを作り上げたい」という岡さんの言葉のあと、参加者たちは今日の振り返りをしました。
自分の目で震災の爪痕を、また東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故の真相に触れたことは参加者にとって印象的な出来事でした。災害・防災について学び、原発のことを正しく知って不安をなくしていきたいという気持ちを持ったようです。

  • 紙芝居のあと、今日一番印象に残ったこと、イメージと違ったことを発表した

  • 印象に残った施設に「請戸小」を挙げる生徒が多々。震災前の町を展示で知り、今の様子とのギャップがショックだったそう

参加者の声

「原発事故は数字だけでは語れない」という岡さんの言葉や災害関連死が多く、福島県内で2,000人以上、浪江町だけでも何百人もいるということが心に残った。

浪江町は、被害を感じられないくらいにきれいになったところはあるけれど、復興という面では、まだまだ難しいんですね。風評被害などの問題を解決していくことが大事だと思いました。

福島移住・起業者
との交流

一行は浪江町に戻り、今日の宿泊先となる「福島いこいの村なみえ」へ。こちらのコテージは、避難生活で使った仮設住宅を再利用して整備されました。
夕食は福島のツヤツヤの新米と新鮮な山海の幸を堪能。夕食後は、双葉町の南隣・大熊町で震災後初めてとなる本格的なキウイ栽培を行っている起業家・原口拓也さんのお話を聞きました。原口さんが大熊町でキウイ栽培に関わり、株式会社ReFruitsを立ち上げたのは大学4年生のときです。大熊町は震災前までフルーツの生産が100年以上続いた一大産地でした。原口さんがキウイで起業したのは、大熊町のキウイの甘さに衝撃を受けたのがきっかけなのだそう。参加者と年齢が近く、システム工学を学び農家になったという異色の経歴に興味津々です。

  • 参加者が宿泊した避難生活で使われた仮設住宅を再利用したコテージ(写真奥)

  • 食後のデザートは原口さんがつくったキウイなどを試食。「甘い!」の声がそこここに

原口さんによるキウイクイズが始まりました。「“キウイ”になる前の名前は?」「キウイの原産国は?」「キウイは何といっしょに袋に入れておくと甘くなる?」…正解発表のたびに会場が盛り上がります。最後は「収穫個数予想」と「有効生産温度による収穫日予想」という激ムズ計算クイズ。「これは、僕たちが日々行っている計算」と原口さん。「農業ってとってもロジカルなんです。まさか社会に出ても数学が役に立つとは」と気負いなく話す原口さんに、参加者は心をグッとつかまれたようです。
キウイは初収穫まで3年程かかることから、原口さんたちは、来年待望の初収穫となります。この地で積み重ねられてきたキウイの歴史と、ドローンによる受粉作業など先端的な果樹栽培技術を組み合わせることで、この町でもう一度、人々を笑顔にする最高においしいキウイを作るのが原口さんの目標。「10~20年後にキウイで世界を驚かします!」と目を輝かせます。「キウイだけでもこんなにも面白い世界が広がっていることを知ってほしい」という原口さんの言葉に、コクリとうなずく参加者の横顔が印象的でした。

  • 株式会社ReFruits・原口さんによるキウイクイズ。雑学から計算クイズまで広範

  • 「どっちだと思う?」キウイの雑学は意外と知らないことが多かった

  • 原口さんから世界最小の「さぬきキウイっこ」と中心部分が赤い「紅姫」、キウイケーキのプレゼント

  • 「さぬきキウイっこ」と「紅姫」。どっちがおいしかった? のアンケートに答える参加者

参加者の声

おいしかったという「感動」がきっかけで、起業で被災地を盛り上げるパワーがすごい。

農業に数学の勉強が役に立ったと聞きました。勉強に身を入れます。

2日目2025年11月16日(日)

東日本大震災・
原子力災害伝承館

2日目の最初の訪問施設は、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館です。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を風化させず後世に伝えていくために、福島県が2020年に開館しました。
火祭り、双葉だるま、大堀相馬焼…といったこの土地の文化と、津波で流されたランドセルやハーモニカ、台座ごと流されたポスト、遺されていたタイムカード…などの被災展示物の両方を見ていく参加者たち。震災以前、確かにそこにあった人々の暮らしから、大切なものを失ってがらりと変わってしまった生活を想像し、胸が締め付けられる思いです。

  • 伝承館ではまずは大型スクリーンで地震・津波・原発事故発生当時の映像を鑑賞

  • 津波で変形した消防車。津波の威力をまざまざと見せつけられる

伝承館の展示は、人々の証言、事故調査の記録などで、震災のあの日あの時、人々はどのように行動したのか克明に描かれています。
「なんでおいらのうちばっかり流れたの」「まさか水素爆発が起こるとは。だまされた」「家族がバラバラになって、泣いて泣いて泣いた」と話す被災者の映像の前で「この気持ちをどう治めていったの?」と立ち尽くす参加者たち。伝承館は人の想いにもスポットがあてられていました。

  • それぞれ気になる展示の前で立ち止まり、じっくりと解説を読んで学習した

  • 写真や数字で語られる被害の真実。震災を知らない世代にもわかりやすい構成

逆境を乗り越え、復興に挑み続けている福島県民の姿もありました。参加者は、複合災害の影響を大きく受けた福島県浜通りの産業回復のために、新たな産業基盤の構築を目指す「福島イノベーション・コースト構想」(福島イノベ構想)、「福島ロボットテストフィールド」など、ロボット、ドローン、エネルギー、環境、リサイクル、航空宇宙といったプロジェクトで、人材育成や交流人口の拡大にも取り組んでいると知り、福島県民の底力に感嘆。被災地の光の側面に視点を持つことができました。

  • 一時帰宅時の防御服や手袋も展示。わが家に入るにも重装備だったということに驚きを隠せない

  • 震災写真のパネル展示。1枚の写真で語りかけられることの大きさに惹き付けられる

参加者の声

人によって被災の受け止め方は違うし、望むことも違う。復興は急ぐことはできないのではないかと思った。

2011年の5月と6月に、時間制限を設けて一時帰宅した際の防御服や手袋があった。「わが家に入るのに手袋を三重に!?」。その理不尽さを想像して見入ってしまいました。

ロビーに全国の大学などによる福島復興に関する「復興知」事業の成果報告会のパネル展示があり、「ドローンを用いた復興基盤の構築」を発表している大学があった。今ドローンに関心がある。進路の視野が広がった。

中間貯蔵事業情報
センター~中間貯蔵施設

次に向かったのは「中間貯蔵事業情報センター」と「中間貯蔵施設」です。福島県では東日本大震災の翌年から県内で除染作業を開始し、県内1300か所以上の仮置き場に除染で生じた除去土壌を保管していました。それを県外へ最終処分するまでの間、安全かつ集中的に保管するためにつくられたのが中間貯蔵施設です。
敷地は、双葉町から大熊町にまたがって、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲むようにあり、面積は約1,600ha。保管されている除去土壌は約1,400万㎥で、なんと東京ドーム11杯分です。参加者はその規模の大きさに驚きつつも、自分の目で見てその規模を感じ取りたいと気持ちは前のめりに。中間貯蔵事業情報センターでのガイダンスで、除去土壌の処理方法など基礎的な知識を得てからツアーバスに乗り込みました。

  • 中間貯蔵施設の中には、受入・分別施設、土壌貯蔵施設、減容化施設などさまざまな施設があることを知った

  • ガイダンス映像視聴中。これから事故のあった原子炉建屋が見えるところまで行くとあって少しドキドキ

最初に車窓から見学したのは「特別養護老人ホーム サンライトおおくま」です。震災当日約40名の職員は約110名の利用者を避難させ、当日夜には全員の避難が完了しました。ベッドも歩行器もそのまま置かれ、カレンダーは2011年3月のまま。時が止まったかのようです。外に放置された車はタイヤの空気が抜け、木が覆いかぶさっています。参加者たちはその爪痕に、震災の経緯と当時の状況を感じ取りながら東京電力福島第一原子力発電所が見える場所へと進みます。
バスを降りて、見晴台に降り立ちます。事故が起きた東京電力福島第一原子力発電所の原子炉建屋が見えました。ALPS処理水が収められた大きなタンクがいくつも見え、事故の大きさを感じずにはいられません。

  • サンライトおおくまの事務室。利用者を不安にさせるので片付けもできなかったそう

  • タイヤの空気が抜けたトラック。建物、車、木々…人が生活しないことの現実をありありと感じた

  • 見晴台から東京電力福島第一原子力発電所の原子炉建屋、ALPS処理水のタンクを眺める。森林の手前には大熊第4工区土壌貯蔵施設が見える

  • 中間貯蔵施設の敷地になっているところは、以前は美しい水田風景だったそう

さらに海側へと進み、車窓から見学したのは「福島県水産種苗研究所」です。15mの津波は研究所の屋根をゆうに超え、建物は大きく崩壊しました。屋根は半分抜け落ち、ガラス窓は割れたまま。震災前はウニ、アワビ、ヒラメの稚貝や稚魚を育てて養殖をしていた、命を育むいきいきとした美しい場所だったと説明を受けました。目の前の建物の姿とのギャップに、自然のもたらす災害の怖さ、震災の恐怖を改めて考えます。
いよいよ土壌貯蔵施設の土の上に立ちます。参加者が実際に立ったのは、除去土壌のうち全体の3/4の量を占める、放射線濃度が比較的低く安全に利用することができる8,000Bq/㎏以下の土壌の上です。除去土壌は数種類のマットやシートで覆われ、厚さ60㎝の土で覆土されて貯蔵されており、3段構造になっています。手元と足元の放射線量を計ると、両方とも0.2μSv/h前後で、除去土壌からの放射線は低い数値であることがわかりました。
この8,000Bq/kg以下の土は「復興再生土」と呼ばれ、最終処分量を減らしていくために、今後公共事業などで復興再生利用されることが想定されています。残りの1/4の除去土壌(8000Bq/㎏以上)などを含め、今後2045年3月までに福島県外で最終処分することが法律で定められていると聞き、参加者たちは復興で残された課題の長い道のりを改めて感じたのでした。

  • 壊滅的な被害を受けた水産種苗研究所は福島県の「つくり育てる漁業」の拠点だった

  • バスの中でこれから降り立つ土壌貯蔵施設の構造を説明。除去土壌が外部に流出しないための覆土など、様々な工夫が理解できた

  • 大熊第3工区土壌貯蔵施設の上に立つ参加者たち。これからこの下に保管されている土が復興再生利用されていく

  • 地面と手元の放射線量を測る。放射線量は低い数値を示していて、安全に管理されていることがわかった

参加者の声

中間貯蔵施設の存在は知らなかった。広大でびっくりしました。いろんな問題を乗りこえて中間貯蔵施設の土地を確保して、ここまで来たんだなと実感。

中間貯蔵施設に行く前は、除去土壌を自分の住む地域で受け入れるか、と言われたら他人事のように考えていたと思う。実際に行ってみて、大変厳しい安全対策の上で管理されていることを知り、安全面の不安が減り、自分事として捉えられるようになった。多くの人に行ってほしい。

双葉みらいラボ&
ふたば未来学園中学校・
高等学校卒業生の講話

午後は双葉町産業交流センターで、このツアーのまとめのステップに進みます。まずは、探究学習の経験などについての講話を聞きました。お話ししてくれたのは、ふたば未来学園中学校・高等学校で探究学習の支援をする「双葉みらいラボ」の池端健さん、ふたば未来学園1期生の佐藤勇樹さん、6期生の渡邉光希さんです。
池端さんは、探究を深めていくときは、「私」から始めることがとても大事だと言います。「ワクワクなどポジティブなものだけでなく、悲しいとか何とかしたいというネガティブなものでもいい。“自分”が感じたひっかかりこそが“探究”の種」という話を聞き、各自に配られたシートに”探究”の種を書きました。

  • 「”探究”の種」を書き出す参加者たち。池端さんは「日頃からアンテナを持つことが大事」と話した

  • 池端さんが「このツアーでの学びをどう探究していくか考えてみよう」と呼びかけ

佐藤さんは「福島の野菜はおいしいのに東日本大震災以降、風評被害にあっている。農家さんの思いを知ってもらう機会を作りたい」と、ファーマーズマーケットを開催し始めました。渡邉さんは小さい頃大好きだった遊び場、「エネルギー館」が「東京電力廃炉資料館」に変わってしまった悲しさが、高校でのフィールドワークや、大学での学びの場、対話の場づくりにつながっています。2人の話をヒントに「この2日間の経験から生まれた”探究”の種って何だろう」と、参加者たちは考え始めたようです。
「2日間で”探究”の種を見つけるレンズを磨いてきたと思う」と池端さん。佐藤さんからは「疑問や自分にできることは身近なところにもあるはず。自分の、いつもの生活にあてはめてみてほしい」、渡邉さんからは「正しいと思っていたことがそうではなくなることがある、という心の持ちようを大切に」とアドバイスをもらって、次のワークショップに臨みます。

  • 池端さんは東京都出身。2024年から双葉みらいラボで探求学習の支援と居場所づくりをしている

  • 佐藤さんは福島大学卒業後に震災の語り部に。学校で災害ワークショップなども行っている

  • 渡邉さんは福島大学3年生。”探究”の種を見つけては「動き→話す・わかる・変わる」を実践してきた

  • 年齢が近い3人の経歴に参加者は興味津々。自分にできることが見えてきた?

ワークショップ
(ファシリテーター:
東京大学大学院情報学環准教授
開沼博氏)

ワークショップのファシリテーターは福島県内外の中高生対象の学習プログラム「福島学カレッジ」の講師も務める東京大学大学院情報学環准教授の開沼博先生です。2日間を振り返って、①イメージと現実のギャップ②考えるからアクションへの2つをテーマに3グループに分かれて話し合い、意見をグループで共有し、発表します。
開沼先生は「悩んだら①のギャップに立ち戻って、自分のアクションに絞ってディスカッションしてください。例えば、『福島に来てもらったほうが現状をわかってもらえる』そのためには『来てもらうには自分はどうしたらいいか?』」という具合に。」と生徒にヒントを投げかけました。

  • アクションを考えるときのキーワードは「“見方の更新”と“自分事化”」と語る開沼先生

  • 同じコースを見学しても「”探究”の種」はさまざま。人と話すことで自分の意見が研ぎ澄まされていく

発表では、①のギャップでは「もっと復興していると思っていたけれど、実際にはあまりまだ進んでいない状況だった」「被災地の人は新しいまちをつくりたいのだと思っていたら、元の生活に戻りたいという声も。思っていたより気持ちの負担が大きかった」「農業が衰退したと聞いていたけれど、新しい農業者が入ってきている」「建物やインフラは戻ってきているけれど、人の心や暮らしは元に戻っていない」などの意見が。②のアクションでは、「福島のものを買ったり食べたりして安全性を示していく」「今はまだできなくても、大人になったらできることを調べ続けていきたい」などの意見が出ました。

  • ギャップもアクションもまずは1人ずつ付箋に自分の考えをメモに書く

  • アイデアや意見を書いた付箋は模造紙に張り付け、グループで共有していく

  • 「福島を知るきっかけをつくりたい」「友達にどう興味を持ってもらったらいいかな」といった意見も

  • ギャップとアクションをグループごとに発表。復興に対する心のありようを考えた意見が目立った

発表を終えて、「伝える、つながる、きっかけをつくる、という要素が入っていました。とても重要な視点だと思います」と述べた開沼先生。ご自身は「福島のために何かしたいんですけど」と聞かれると、「“買う、行く、働く”で福島に一歩踏み込んで!」と答えるそうです。「皆さんも“買う”は小さなものなら買えるし、“行く”は大学受験のためにとか、家族で再訪もあるでしょう。“働く”は大学生になったら、例えば、学食で福島の食材を使ったフェアをやるなどプロジェクトを立ち上げることもできる。イメージと現実の溝をあぶり出し、その溝を次なるアクションに生かしてほしい」と参加者に伝えました。
14年前に起きたことを知り、学んだことをどうアクションしていくかまで考えたこの2日間。「ここでできた縁も皆さんがアクションを起こしたからこそ。人と人はつながっていくし日々変化しています。そして、変わっていくというのは面白ものです」という開沼先生の言葉を参加者たちはどう受け止めたでしょうか。それぞれの持ち味を大事に、表現していってほしいと思います。

参加者の声

自分にできることに絞ってアクションを考えるということで、今も活動しているお菓子作りで福島の食材をマフィンの材料として使うことを考えました。

福島のためにと考えると壮大だけれど、身近なところから考えていけばいいんだと、思いました。

旅のまとめ

「実際に来てみないとわからない感情や現実があると感じた」「福島の良いところをたくさん見つけられた」「クラスの皆にも来てほしいと思った」…2日間の見学を通して、震災の規模も、福島のイメージも、放射線の心配も、イメージしていたことと実際のギャップが大きかったという声が多く聞かれました。
自分の目で見ることで当たり前の日常の大切さを痛感し、今を生きる自分に起きていることとして震災をとらえられるようになったようです。

アーカイブ

出前授業レポート

被災地視察ツアーレポート