岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社久慈ソーイングカブシキガイシャクジソーイング 中田輝人氏[代表取締役] 繊維工業 岩手県久慈市夏井町字早坂1-6-19 0194-52-4415    http://kujisewing.com 1983年 5,000万円(2020年度)、5,300万円(2019年度) 1,000万円 1983年に水着製造業として創業。東北地方で2つしかない水着専門縫製工場の一つとして、高級ファッション水着を中心に手掛けてきたが、震災を経て2018年より主力生産品目をカジュアルシャツに転換。「東北グランマの仕事づくり」プロジェクトにも取り組む。 0194-52-4416 21人◆津波で工場が壊滅状態に津波の直撃を受け、海岸から数百mの位置にあった工場が壊滅状態に。内部はミシンが流されて積み重なり、がれきの山になっていた。出荷準備のできていた製品も、水着用の生地もすべて流されてしまった。◆水着縫製用ミシンの修繕には半年以上水着の縫製に欠かせない特殊なミシンが約150台あったが、すべて泥と海水をかぶってしまった。まずは分解し、復旧したばかりの水道で水洗いしたものの、修繕には半年以上かかる見通しとなった。◆やむなく社員の多くを解雇業務を再開する見通しがなかなか立たなかったため、給料を払えないままで雇用を続けるよりは、失業保険の給付を受けた方がよいだろうという判断もあり、いったん社員の多くを解雇した。復興への道を力強く歩んできた社長の中田輝人氏「地震が発生したときには、手作りの棚が一つ壊れた程度で、工場にはほとんど被害がありませんでした」と、東日本大震災の発生当時を振り返る株式会社久慈ソーイングの代表取締役、中田輝人氏。すぐに停電になったので仕事を続けることができず、スタッフ全員が帰宅を余儀なくされた。その後も停電は続き、情報は何も入ってこなかった。久慈市沿岸部を高さ14mの津波が襲い、工場が壊滅的な打撃を受けていたことを確認できたのは、3日後のことだった。「津波に押し流されたミシンが、折り重なって山のような状態」になっていたという。それまでの久慈ソーイングは、水着の縫製が主要な事業だった。出荷直前の製品も、水着に縫製するための生地も津波によって流されてしまい、縫製を発注した得意先も大きな被害を受けることになった。中田氏は当時の社長で父の中田利雄氏とともに、がれきと泥にまみれた工場の中からミシンを外へ運び出し、分解して水洗いした。冷たい雪の降る中で震えながら、復旧したばかりの水道からホースで水をかけて洗った。「そんなことをしても動くようになるかどうか分からなかったのですが、ほかにできることもありませんでした」。2011年6月ごろ、水着の縫製に使う特殊なミシンは修理に半年以上かかる見通しとなり、一般的なミシンでできるカジュアルシャツの縫製にひとまず切り替えることを決めた。そこに、秋田県でシャツの縫製を行っていた同業者が廃業するため、そのミシンと得意先の譲渡、さらに縫製技術のレクチャーまで受けられることになった。津波の被害を受けてから約半年。まだ限られた数のミシンしかなかったが、スタッフの再雇用を進め、少しずつ工場が再び動き始めた。確かな縫製技術で評価され着実な歩みを続けるも、復興は道半ば2013年にはNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』をモチーフにしたアロハシャツ「くじあろは」を開発。ほかにも、脱がずに用を足せる日本初の水着などユニークな製品を開発するとともに、フラダンス用ドレスやレオタードなど、多様な84背景と課題津波で工場が壊滅的な打撃を受けるも同業者の支援と業態転換で再び立ち上がる岩手県久慈市高い技術でさまざまな衣装の縫製に対応高い技術でさまざまな衣装の縫製に対応女性の雇用創出にも取り組む女性の雇用創出にも取り組む株式会社久慈ソーイング3030

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