岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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小野食品株式会社オノショクヒンカブシキガイシャ 食料品製造業 岩手県釜石市両石町4-24-7 0193-23-4675 https://www.onofoods.com/ 1988年 39億3,300万円(2020年度)、32億7,200万円(2019年度) 5,000万円 釜石市を代表する水産加工会社。東日本大震災で壊滅的な被害を受けるも、残った工場を復旧させて被災100日後には事業再開。柱だった業務用商品の売り上げが戻らず事業を再編し、通販事業の拡大でV字回復に成功。 小野昭男氏[代表取締役] 0193-23-6332 150人◆被災の100日後に事業再開生産の中心だった釜石の第1工場が全壊し、3カ月後の再雇用を宣言して従業員をいったん解雇。約束通り100日後に第2工場を建て直して事業再開を果たすも、再雇用に応じない人も多く、求人に苦労する。◆主要なBtoB販路が戻らず売り上げの9割近くを占めていた産業給食や学校給食、外食産業向けの販路が戻らなかった。それらBtoB事業は、そもそも東日本大震災以前から中国製品との価格競争に巻き込まれ、低迷傾向にあった。◆通販事業拡大に向けた課題通販事業に活路を見いだすが、ピッキング業務やカスタマー対応、顧客管理などの面で課題があり、顧客拡大に対応する体制が十分に整っていなかった。被災3カ月後の再雇用を宣言し、実際に100日後に事業を再開した小野氏被災前からBtoB事業は中国製品との価格競争に巻き込まれており、高付加価値化を図るため手作り感覚の魚料理の開発に取り組んでいた。2005年に社屋前で販売会を始めると、工場への道路が渋滞するほどの人気となり、釜石駅前に場所を移す。全国でも通用するという確信を持ち、満を持して2009年に通販事業を開始。「三陸おのや『海のごちそう』頒布会」と題し、毎月異なる煮魚や焼き魚を届けるモデルで、被災直前には5,000人まで顧客が増えていた。BtoBからBtoCへの思い切った転換、といえば聞こえはいいが、「まだ全体の1割しかなかったですから、確信は持てませんでしたよ。そこに懸けざるを得なかったというのが正直なところです」と小野氏は明かす。幸い、商品の味や品質で評価を得ていた学校給食、高齢者施設向けの取引が伸ばせそうだという見込みもあった。主軸をBtoCに移行するとともに、BtoBでも良質な顧客の絞り込みに成功した。十分な体制を整え、いざ顧客獲得へ順調に業績拡大も攻めの手を緩めず2020年には通販の顧客が5万5,000人に到達した。商品78背景と課題岩手県釜石市苦境の中、通販事業に活路を見いだしBtoBからBtoCへ大胆な転換東日本大震災による苦境が、未来への針路を取るきっかけとなった。釜石市の水産加工業「小野食品株式会社」は津波により、釜石の第1工場と竣工したばかりの大槌工場が全壊。在庫製品や原材料も流出し、4億円超の被害を受ける。当時の従業員100人弱は数人を残していったん解雇し、3カ月後の再雇用を宣言。半壊した第2工場を急ピッチで建て直すと、宣言通り被災100日後には事業を再開する。ところが再雇用に応じない人も多く、求人に苦労。「あれだけの大災害の後で、今は仕事をするときではないという空気が漂っていました。条件の良い公共工事に人が流れたことも大きかったです」と代表取締役の小野昭男氏は振り返る。さらに、売り上げの大部分を占めていた産業給食や学校給食、外食産業向けの販路が戻らない。「『お宅が納品できないときに供給してくれた業者さんは切れないよ』と。それはそうですよね。だったらもう、腹をくくってやるしかないと思いました」。被災を機に針路変更を決断し10年被災を機に針路変更を決断し10年通販事業の急成長で業績拡大通販事業の急成長で業績拡大小野食品株式会社2727

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