岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社海楽荘カブシキガイシャカイラクソウ 志田豊繁氏[代表取締役] 宿泊業 岩手県大船渡市大船渡町字丸森29-1 0192-26-1717 https://oofunato-onsen.com/ 2012年 3億円(2020年度)、5億円(2019年度) 7,500万円 観光名所、碁石海岸で温泉民宿「海楽荘」を営む傍ら、ワカメやカキの養殖を手掛ける。東日本大震災後の2014年に「大船渡温泉」開業。地元客から観光客に軸をシフトし、サービス改善にも努め「温泉総選挙」で評価を得る。 0192-26-1414 45人◆度重なる計画変更閉館したホテルの跡地で温泉を掘削し、健康ランドの建設計画を進めていたが、被災した人々に銭湯の入浴料で入ってもらえる温泉を作ろうと計画変更。業界関係者の助言を受け、さらに宿泊施設へと変わっていく。◆宿泊客の口コミ評価が低迷地域住民が心身を癒やしに訪れ評判を集めるも、それによって混み合う温泉や、接客経験の乏しい地元雇用のスタッフの不慣れなサービスに宿泊客から不評の嵐。◆外部環境の変化による観光客減少北海道新幹線の開業で三陸を訪れる観光客が減少し、世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響で訪日外国人は激減。見通しの立たない状況が続いている。太平洋に面して建つ大船渡温泉。大浴場や露天風呂、客室からも眺望を楽しめる大船渡湾の眺望は、温泉総選挙の絶景部門で上位に入賞するほど「かなりの人が亡くなって、たまたま俺が生き残ったような感じなのさ」。株式会社海楽荘代表取締役の志田豊繁氏は、そう語り始めた。東日本大震災発生時、40代半ばだった志田氏は、口を出すだけでなく頭も体も使う「復興の当事者」として適齢にあると自覚。被害を受けた2軒の民宿を応急処置で立て直すと、工事関係者やボランティアを受け入れ、被災者に風呂を開放し、地域の復興に取り組んできた。大船渡温泉が建っているのは2004年に取得していた大船渡グランドホテル跡地で、2009年には温泉の掘削に成功していた。当初は健康ランドの建設を予定していたが、仮設住宅で暮らす人が気軽にお湯に入れるようにしたいという思いから銭湯に計画を変更。ところが、業界団体の人物から「もうからない仕事だからやめた方がいい」と助言を受け、客室を備えた宿泊施設「大船渡温泉」として2014年に開業する。「銭湯に後から宿泊施設が付いた」と志田氏は笑う。それを象徴するように、エントランスには木札の付いたげた箱があり、ロビーを抜けると男湯、女湯ののれんが見え、湯上がり客が窓の向こうに広がる大船渡湾を眺めくつろいでいる。志田氏の意向通り、日帰り温泉は東日本大震災で心も体も疲れ果てた人々にひとときの癒やしを提供し、大いに喜ばれた。ところが温泉が地元住民であふれると、宿泊客から厳しい評価を受けることになる。経営にまで影響を及ぼすようになり、雇用を守るため背に腹は代えられないと、客層の軸を観光客にシフト。日帰り温泉の受け入れ時間を短縮し、宿泊客のホスピタリティーを向上させる。ホテルチェーン運営会社を経て2015年から経営に参画していた弟の志田繕隆氏を中心に、宿泊客を対象とした観光ガイドサービスを立ち上げるなど、サービス改善を図るとともにインターネットでの販売・情報発信を強化。74背景と課題地域の人が気軽に入れる温泉から口コミに対応し宿泊施設として改善岩手県大船渡市どん底ならば、あとは良くなるだけどん底ならば、あとは良くなるだけ地域に支えられ、地域を支える地域に支えられ、地域を支える株式会社海楽荘2525

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