岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社東松島長寿味噌カブシキガイシャヒガシマツシマチョウジュミソ 食料品製造業 橋本孝一氏[代表取締役] 宮城県東松島市大塩字緑ヶ丘4-5-5 0225-83-1550 https://h-cyojumiso.jp/ 2018年 1億4,000万円(2020年度)、1億4,000万円(2019年度) 1,000万円 倒産した株式会社高砂長寿味噌本舗ののれんと従業員を引き継ぎ、宮城県東松島市の建設業・株式会社橋本道路が2018年2月に設立。120年の歴史を持つ「高砂」ブランドを継承するとともに、新製品の開発に意欲的に取り組む。 0225-83-1551 18人◆高砂長寿味噌本舗が破産石巻で1902年に創業した高砂長寿味噌本舗は、東日本大震災で本社蔵が被災。東松島市の工場に移って経営を継続したが、工場への多額な設備投資などから経営が悪化し、2018年に事業停止した。◆地域に親しまれた味を引き継ぐみそづくりが盛んな宮城県で、地域の人々に永く愛されてきた「高砂」ブランドと雇用を守ろうと、地元の建設会社・橋本道路がのれんと従業員を引き継いだ。◆新体制スタートと同時に意識変革引き継いだ「高砂」ブランドにあぐらをかくことなく、高砂長寿味噌本舗時代にはなかったコスト意識を社員が持つことを徹底。企業としての体力強化を図った。少量多品種生産でさまざまな味噌が製造される東松島長寿味噌の工場商品を手にした渡部取締役営業本部長(左)と後藤工場長(右)「高砂」ブランドのみそ、しょうゆで全国に知られていた株式会社高砂長寿味噌本舗は、東日本大震災で石巻市の本社蔵が被災。その後、2005年に建てた東松島市のみそ工場に機能を集約し、運営を行ってきた。しかし、工場への多額な設備投資が重くのしかかり、窮状に陥っていくのに時間はそうかからなかった。みその需要が落ち込んでいく中、昔ながらの考え方で、原料が値上がりする状況でも廉価な製品を大量に作る方針を継続したのは誰の目にも悪手だった。2017年には原料不足で生産が滞る。負債は7億5,000万円まで膨れ上がり、破産へと事態は進んだ。前経営陣より、身売りしたいという情報が出た際、最終的に引き受けたのは同じ東松島市の株式会社橋本道路だった。代表取締役の橋本孝一氏は悩みに悩み、最後は高砂ブランドとその伝統、さらには雇用を守ろうと、みそ工場の任意売買での取得を決意。2018年2月に株式会社東松島長寿味噌が立ち上がった。取締役営業本部長の渡部修文氏は「社長は立ち上がってから5年くらいは赤字が続くことを覚悟して、東松島長寿味噌をスタートさせたんです」と設立当時を振り返る。厳しいことが分かっていての船出だったからこそ、再雇用した従業員たちにはコスト意識を強く持つことを訴えた。「自分も東松島長寿味噌になる以前は、何にいくらかかっているのかという原価、コストについてはまったくノータッチでした。仕入れのことは考えず、ただ、いいものを作ればいいんだと、周りが見えていませんでした」と語る後藤秀敏工場長は今、帳簿と毎日にらめっこしている。売り上げを高めることで原価率を下げるべく、社員は手が空けば畑違いの仕事もいとわず行う。親会社である橋本道路から、さまざまな委託を受ける。例えば、グループ企業64背景と課題畑違いの仕事もいとわないできることを突き詰め本業に生かす宮城県東松島市歴史ある高砂ブランドを守り歴史ある高砂ブランドを守りコスト意識を植え付け新たな道を開くコスト意識を植え付け新たな道を開く株式会社東松島長寿味噌2020

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