岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2021-2022 第二章、始動~ニッポンの次世代モデルを目指す
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株式会社サンエイ海苔カブシキガイシャサンエイノリ 食料品製造業  立谷一郎氏[代表取締役] 福島県相馬市沖ノ内1-15-8 0244-36-2724 0244-36-2730 http://www.sunei-nori.com/ 1947年 約14億円(2020年度)、約14億円(2019年度) 3,450万円 1947年、現社長の父が「たちや海苔店」を創業。1973年に法人化し、現社名に。東日本大震災前には年間約30億円を売り上げた地域の有力企業で、グループ会社でホテル、飲食店も経営。 135人◆事業の再構築と雇用の維持 約2年分の原料と商品在庫を保管していた自社の倉庫が、建物ごと津波で流失。雇用の維持のためにも、事業の再構築が求められた。◆相馬の漁業者と水産業を守る 地元の松川浦は青海苔(ヒトエグサ)のみの生産で、相馬の漁業者との取引は大きな割合ではないが、漁業者にとってサンエイ海苔は大口取引先の一つ。地元の漁業者と水産業を守ることは使命だと考えた。◆風評対策が必要となった 福島第一原子力発電所の事故以降、取引停止が相次いだ。風評対策は、長期の取り組みが必要だと認識していた。社長室長として新事業をリードする立谷甲一氏現・代表取締役の立谷一郎氏が経営を引き継いだ1985年、株式会社サンエイ海苔は倒産寸前だった。一郎氏は積極的な営業活動と新商品の開発、生産性向上に取り組み、10年で売り上げを6~7倍に伸ばして経営を安定させた。その後、1996年に日本で初めて韓国海苔の本格的な製造・販売に乗り出し、粘り強い営業努力と商品改良を積み重ねて大ヒット商品に育て、会社を大きく飛躍させた。2009年、韓国に工場を建設し、韓国でも製造・販売を展開。2010年には地元、相馬市松川浦産の青海苔を使った「青のり焼酎」を発売し、モンドセレクションで金賞を受賞した。こうしたチャレンジ精神にあふれた積極果敢な経営と優れた商品開発力が、被災からサンエイ海苔が立ち上がる原動力となっていく。東日本大震災では、新地町にあった倉庫が原料の海苔と商品在庫ごと流されるなど、大きな被害を受けた。一郎氏は、被災数カ月後から、松川浦産のシラス・コウナゴを加工する新工場の建設に取り掛かった。グループ補助金を活用しても、投資額は3億円に上る。しかも、サンエイ海苔が海苔以外の商品を手掛けるのは初めて。風評により取引停止が相次ぎ商品出荷のめどが立たず、韓国工場で生産した商品の輸入で徐々に事業を再開させていた中、チャレンジングなプランだった。しかし、一郎氏には「加工業が再起しなければ漁業者が消滅してしまいかねない」という強い危機感があった。相馬は水揚げ魚種が豊富なことで知られるが、中でも大きな割合を占めるのがシラス・コウナゴで、その小魚を商品化することが、相馬の復興の大きな一歩になると考えた。被災前に計画していた中国での事業展開を断念し、地元の復興に貢献する道を、サンエイ海苔は使命感を持って選んだ。大きな課題が風評対策。時間をかけ、安全への信頼を高めていくしかない2014年春、相馬市松川浦漁港近くに建設していた尾浜工場が稼働を開始した。鮮度保持が決定的に重要なシラス・コウナゴの加工品の製造ラインは、全国の加工工場を回って研究を重ねた一郎氏が設計し、釜茹でから箱詰めまで自動で一46背景と課題相馬の漁業者を守るためには加工業が再起しなければならない福島県相馬市相馬の復興のため新事業に挑戦相馬の復興のため新事業に挑戦風評対策に最高レベルの認証を取得風評対策に最高レベルの認証を取得株式会社サンエイ海苔44

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